file2 「infighting」
「ぶ、部室!?」
温室の向こう側に、なにやらたくさんの丸太が積まれていることを生物教師でもあり、この園芸部の顧問でもある倉田恭介先生に聞くと、衝撃的な告白を受けた。
白衣の袖をきちんと肘まで均等に折ってめくり、眼鏡の角度を直すと、にっこり微笑む。
「そう、ほら、せっかく部員が3名になったでしょ。理事長に報告したら喜んでね、それならログハウスの部室を建てようってはりきってたよ」
「……はぁ」
確かに……自称部員が2名増えたけど。
10月も半ばを過ぎて、北原のクラスは他のクラスと違うカリキュラムで授業を行っていて、陽がはるか西に傾いたころ、やっと授業が終わるのだ。
以前みたいにのんびり温室前のイスで参考書を眺める時間もなくなったし、私が帰ろうとするころやっと姿をみせる。
それも、彼女同伴で。
ま、べつに↑コレはいいんだけど。
川島くんも毎日顔をみせるけど、彼も彼で北原に刺激されたのか、勉強一筋であることに違いないわけで。
やっぱり私ひとり+ユーレイ部員2名ってことになると思う。
でもまぁ、これも理事長の道楽と思えばいいか。
ふっと息を吐いて、花がらを摘むために手を伸ばす。
「最近、北原くん来ないから淋しいね?」
「えっ!?」
どっきりして思わず先生を見ると、私なんかよりずっと女性っぽい優しい瞳を細めて笑う。
「もう受験のカリキュラム始まったみたいです。だから、授業が終わらないらしくて」
「そっか、もうそんな時期なんだね」
夏の間、伸びきってしまった枝の手入れをする左の薬指に、銀色の指輪が光る。
夏休み明け、先生は結婚して、現在新婚ホヤホヤ。
貧弱で華奢な体も、こころなしかふっくらしたんじゃないかと思う。
この学校に入学して、環境に耐えられなかった私を癒してくれたのは、この温室と倉田先生。
いつの間にかそんな倉田先生に恋してた私は、夏休み、見事に失恋した。
それでも、やっぱり先生のことは人として好きだ。
「あれ、噂をすれば」
先生の言葉に、校舎の方を見ると、久しぶりに「ひとりきり」の北原の姿があった。
「じゃあ、先生は外の鉢植え見てくるね」
「えっ、じゃあ、私が外を」
「花がら、まだ摘み終わってないでしょ」
先生までそんな余計な気遣いしてくれなくっていいのに。
それに、私は北原と一緒にいたくない。
『これ以上、彼に近づかないで』
数日前、愛美先輩に忠告を受けたことを思い出す。
そんなこと言われたって、今みたいに向こうから近づいてこられたらどうすればいいのよ。
理不尽なオンナの嫉妬って面倒くさい。
私は温室に入ってきた北原を一瞥すると、手元の花に視線を戻した。
「まだ授業中なんじゃないの?」
「息抜き」
横に並んだ北原を避けるように、私は反対側の棚へ振り返る。
こんなところ、また先輩に見られたら何を言われるかわかんない。
「何か、あったのか?」
背中越しに聞こえた言葉に、枯れた葉に伸ばした手が一瞬止まる。
「別に」
「桜井」
「何よ」
「こっち向けよ」
左側に北原の制服が見えるけど、私は顔を上げず、右側の植物の葉に指を触れた。
「また余計なことに首つっこんで、巻き込まれてるんじゃないだろうな」
「そんなことないわよ」
あぁ、もうあっち行ってよ。
私はまた振り返って、さっきまで倉田先生が切っていた枝に鋏を伸ばす。
私の口から出てくる言葉は、どういうわけか棒読みで、嘘なんかついてないのに白々しい口調になってしまう。
「ひとりで抱えて、解決しようとするなよ」
ばちん。
切った枝が地面に落ちて、私は息を飲んだ。
まるで、体の動かし方を忘れてしまったロボットみたいに、私は足元に転がる枝を見つめる。
「危なくて、見てられない」
どんなカオして、北原は私にそんな言葉を言ってるんだろう。
一体、どういうつもりなの。
胸にこみ上げる淡い期待をかき消すように、私は目の前にある伸びすぎた枝を切り落とした。
「桜井」
「今日は、先輩来ないんだ?」
何か言いかけた北原の言葉を遮るようにして、私は彼女のことを聞いた。
「……あぁ」
肯定とも否定とも取れるような、感情のこもっていない曖昧な返事。
愛美先輩にあんなことを言われて以来、まともに北原の顔なんて見てないし、自分でもよくわらかないけど、上手く話ができなくなった。
テンションを上げて吹っ切ろうにも、どこかに何かがひっかかってるみたいで気分が悪い。
認めたくないけど。
私は大嫌いだったこの北原のこと、いつの間にか……。
「これ」
北原の溜息と共に、私の目の前に折りたたんだ紙が差し出された。
「携帯の番号とアドレス。まだ教えてなかっただろ」
「え……」
紙を受け取って、私は思わず北原の顔を見上げた。
「とにかく、何かあったら必ず連絡しろよ」
「……べ、別に。大丈夫よ」
いつもみたいにこっちを睨むから、私も睨み返して顔をぷいと背けた。
「なら、いいけど。じゃあな」
北原の姿が、私の視界から消える。
芝生を踏む足音が、遠くなる。
たとえば、こんな時、愛美先輩だったらどうするんだろう。
ありがとう、今度連絡するね、なんてあの黒いたっぷりのマスカラとアイライナーに縁取られた瞳を潤ませて、熱い視線を送るんだろうか。
私はゆっくり振り返って北原の背中を見送った。
「絶対、無理」
私って、カワイクナイよね。
呟いて、自己嫌悪に陥る。
私は手の中にある、北原からもらった紙を広げた。
ちぎられたB5の大学ノートの真ん中に、罫線を無視して数字とアドレスが斜めに書いてある。
スマートでキレイな字体。
初めて見た、北原の文字。
ほんの一瞬、がんじがらめに縛られた心の奥が、ふと緩められた。
でもまたそんな気持ちに覆いかぶさるように、愛美先輩のことが頭に浮かんでくる。
「バカ」
やっぱり大嫌いだ。
北原も、愛美先輩も。
こんな、自分自身も。
私は元通りに紙をたたむと、スカートのポケットにつっこんだ。