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なんか、変な雰囲気。
そっとホリちゃんの顔をのぞくと、いつも大口開けて笑ってる彼女の顔が翳って悲しそうに見えた。
だけど次の瞬間、ふんと鼻から息を吐き、いつもの笑顔で私を見た。
「さ、アンタも傷の手当て終わったんだから、教室帰りなさいよ」
と、ガーゼの上から、人差し指でばちんと私の額の傷口をはじいた。
「あたっ! ホリちゃん、違うんだってば、本当は頭が痛くって来たのに。そこでアイツがドア開けたときに、角がぶつかって。角だよ、角。もう、何アイツ、謝りもしないで」
「いつもの頭痛? そういえば、香澄も高校の時、よく痛がってたわねぇ。病院行けばって言ったけど、保健室行って寝てれば治るって。どうせさぼってるんだろうと思ってたけど、姉妹そろって頭痛持ちなの?」
「えぇ? お姉ちゃんも?」
ホリちゃんは、姉の高校時代の同級生だ。
高校を卒業してからも、姉が結婚するまで、うちにもよく遊びに来ていたから、ホリちゃんも、私にとってはお姉ちゃんみたいな存在だ。
だけど、姉のそんな過去を聞いたのは初めてだ。
「そういえば、香澄、元気? 今はどこにいるんだっけ?」
「今年から、ロシア。えぇっと、何だっけ、舌噛みそうな……ユジノサハリンスクだったけなぁ……」
「その前は、エジプトじゃなかった? 灼熱のエジプトから、今度は極寒のサハリンか。外交官の妻ってのも、大変ねぇ」
姉は五年前に、大学時代の先輩だった、外交官である人と結婚した。
三歳になる女の子もいる。
結婚する時、すでに義兄はエジプトに勤務していたので、結婚式をこっちで挙げると、あっという間に向こうに行ってしまった。
かけがえのない、唯一の理解者だった姉を失って、私は不安でしょうがなかった。
そして、この学校に入学して、ホリちゃんに出会えたのは、なんだか姉が引き合わせてくれたような気がして。
こうやってホリちゃんと話していると、少し心が落ち着く。
ほんのちょっとだけ、安心する。
少なくとも、教室の雑音の中で、女子のくだらないお喋りに付き合っている時よりは、ずっとましだ。
それに。
彼女らは「ババア」だなんて言うけど、はっきり言って、ホリちゃんには私たちには持ち得ない、女の色気と経験があるのは確かだ。
だから、男子のファンが多いのも、私は納得できる。
ついでに、そんなホリちゃんが、たとえこの学校でナンバーワンの人気を誇る宮元先輩から好意を寄せられたところで、相手にするはずがない。
ホリちゃんは、私の傷の処置に使った道具を片付けると、窓に向かって置かれている机の上にあったケータイを手に取った。
ディスプレイが点滅して、メールが届いているのを知らせている。
「彼氏から、メール?」
冷やかすように言うと、いっと歯を見せて、あまり浮かない表情でケータイを開いた。
メールをチェックする表情が厳しい。
「どうしたの?」
「うーん……」
そう言ってケータイを閉じると、無造作に机の上に積み重なった紙の山へ、ケータイを投げた。
仁王立ちでそのケータイをしばらく睨みつけると、私の横にきて、溜息をつきながら、白くて思わず触りたくなるような足を組んでイスに座る。
「最近さぁ、なんか変なメールがくるのよね」
「変なメール?」
「ほら、私って、生徒たちのアイドルじゃない? どうやら、熱心なファンがストーカーになっちゃったみたいなのよねぇ」
真顔で言うから、私は呆れた。
でも、呆れてる場合じゃない。
「何それ、どういうこと?」
「まあ、たいしたことじゃないんだけど。相手の知れない告白メールが一日に何度も届いたり、下駄箱にプレゼントが入ってたりするの。そんなに高価なものじゃないんだけどね。新発売になったお菓子がおいしいって話、女子としたりするじゃない?そしたら、次の日、そのお菓子が入ってたのよ」
ホリちゃんは、腕を組んで天井を仰ぎながら、首をかしげる。
「その話をした女の子のいたずらだと思ってたんだけど、そうじゃなくて。そんなのが何回か続いてるのよね。で、おいしかったですかってメールが届くの。なんか、気持ち悪いでしょ」
「それって、完全なストーカーじゃん」
私は話を聞いているうちに、鳥肌が立った。
「それで、心当たり、ないの?」
「ありすぎちゃって、困ってんのよねぇ」
あはは、と笑って、下に置いてあるかごから、なにやらごそごそと出してきた。
最近発売されたチョコレート菓子だ。
「食べる? これ、今日のプレゼント。三年のコがおいしいって言っててね。しおりも食べたいお菓子あったら、私に言って。きっとまたくれるはずだから」
「……ホリちゃん、楽しんじゃってない?」
「そう?」
否定しなさいよ、せめて。
パッケージを豪快に開けると、中に包装された一つを取って、パッケージごと私に渡す。
金色の小さな袋を破き、中から出てきた四角いチョコレートを口に運ぶと、幸せそうな顔をする。
「おいしいー。しおりも食べなよ」
「私、ちょっとホリちゃんの神経疑っちゃうかも」
「やあねぇ、これくらいのことで不安になってたら、高校の養護教諭なんてやってらんないわよ」
「へぇ……けど、そんなことするヤツって、きっと陰険で、暗い人間よね。あ、そうだ、さっきここにいたヤツみたいな。あいつじゃないの?」
急に、さっきここにいた、人に怪我をさせておきながら謝りもせず出て行った、あの男を思い出した。
口に入れた二個目のチョコレートを吹きだしそうになって、ホリちゃんは口元をおさえた。
口の中のものをゴクリと飲み込んで、また大口を開けて笑う。
どうしてそんなに笑うのか、私にはわかんない。