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「だって、北原に振られたんでしょ。だったら俺と付き合ってよ」
「振られてもないし、付き合う気もありませんっ!」
私はきっぱりとお断りすると、思いっきり相手を睨んでやる。
彼が怯えるような顔で苦笑するのを確認して、私は彼に背を向けた。
だいたい、物には言い方ってあるでしょ、振られたから、じゃあ付き合えだ? そんなムードも何もない告白の仕方ってある?
よっぽど自分の容姿に自信があるのか知らないけど、男ってこんなもんなの?
「信じらんない」
溜息混じりに呟くと、なんだか悲しくなった。
北原の隣に突然女のヒトが現れて一週間。噂では、私が北原に振られたことになっているらしい。
っていうか、付き合ってもないし!
みんな勝手に好き放題ばっかり言って、全然私の言うことなんか聞いてくれない。
北原といえば、お昼も、放課後も、ずっと彼女が隣にいる状態で、温室に顔を出すこともないし……。
「みーちゃった」
目の前に突然現れた巨乳に、思わず私は後ずさる。
「しおりってば、最近モテてしょーがないんだって?」
いっと白い歯を見せて笑うのは、保健室の先生、ホリちゃん。
白衣の中に出るトコ出て、引っ込むべきところが引っ込んだ羨ましいボディを隠して、ちょっとだけ胸の谷間をアピールさせてる、相変わらず高校養護教諭としてそぐわないスタイル。
だけど、顔のパーツはイマイチな惜しいヒト。
ゆるくカールのかかった茶色い長い髪を揺らして、私の腕を勢いよく叩く。
「しかも、立て続けに振っちゃってるって、ホント?」
「……うん。それは、ホント」
「やっぱり、恋する乙女はフェロモンの発散量がケタハズレに多いのよねぇ」
「何、ソレ」
「ん? まぁまぁ、話はゆっくり保健室で、ね」
意味深に微笑むホリちゃんと、私は保健室へ向かうことにした。
ホリちゃんは私の姉の同級生であり親友で、この高校に入学する前から、もうひとりのお姉ちゃんみたいに付き合わせてもらってる。
サバサバした性格から、生徒たちからもよく慕われて、通称「ホリちゃん」と呼ばれてるんだけど。
ホリちゃんとまったく正反対の北原、このふたりがイトコ同士だなんて、やっぱりまだ信じられない。
保健室に入ると黒革のソファにふたりで座り、ホリちゃんが楽しそうにこっちを向いた。
「で、知りたいでしょ、彼女のこと」
「へっ!?」
「うふふ、恋の相談事なら、このホリちゃんにおまかせよん」
いつかの時代の美少女戦士みたいな台詞回しで、両手を胸の前でクロスするキメポーズ付き。
すかさず立ち上がって帰ろうとしたのに、腕をつかまれ、また私はソファに戻された。
「恋の相談事なんてないよ」
「ウソ、その顔、絶対恋してる。自分で気付いてないだけよ」
きれいにネイルを施された人差し指で鼻先を突かれ、私はホリちゃんのその手を払う。
「そんなことないっ」
「じゃあ、本当に気にならない? 伊吹の隣にべったりくっついてる彼女のこと」
「それは……まあ、香奈が気にしてるけど」
『香奈』を強調して言ったけど、確かに、知りたい。
でも、そこに変な感情はない……と、思う。
「まぁいいわ、もったいぶっても、しおりに意地悪したってしょうがないものね」
ホリちゃんはふぅと息を吐いて、身体を背もたれにあずけると、きれいに伸びる足を組んだ。
「彼女は、三年五組の梅宮愛美、成績は中の中、所属部はなし、他人より秀でたところも特になし。顔はそれなりに可愛いけど、つまり、ごくごくフツーの女子高生」
「うん」
「だけど、これが、伊吹の元カノ、梅宮あやの(うめみや あやの)の妹なのよね」
「……えっ?」
気がつくと、私はホリちゃんの方に身を乗り出して話を聞いていた。
『あやの』さん。
北原の元カノのことは、ほんのちょっとだけ話を聞いたことがある。
でも、それは北原本人からじゃないけれど。
「だからね、伊吹も前から梅宮妹とも仲が良かったのよ。でも、付き合うとか、そういう関係じゃないと思うわ。少なくとも、伊吹にその気はないはず」
腕を組んだホリちゃんは、真っ直ぐ私の目を見て言う。
最後の言葉に、私は少しだけほっとする。
……ん? どうして、ほっとしなきゃいけないのよ、私。
「梅宮妹も、伊吹のこと好きだったのかしらねぇ。アノあやのも、今は海の向こうだし」
ホリちゃんも言うように、私たちより二つ年上のあやのさんは、この学校を卒業し海外留学をしていて、それを機に北原と別れたらしい。彼女が日本に帰った時、もし、ふたりの気持ちがまだ変わってなかったならヨリを戻すという約束をしたというのは、ずっと前に香奈から聞いた話だ。
梅宮妹先輩(なんて呼ぶのは変だけど)が、本当に北原のことが好きだったなら、あやのさんのいない今が、彼を手に入れる絶好の機会であることに違いない。
「で、しおり」
思いをめぐらせていると、ホリちゃんに呼ばれて私は顔を上げた。
そして、額に手を当てられる。
「微熱があるみたいね。顔色も悪いし、なんだかつらそうだけど」
いかにもわざとらしく聞くホリちゃんを睨むと、楽しそうににっこり笑う。
「どういう症状があるのかしら?」
「……わかんないっ」
手を離したホリちゃんは、まあそれは大変ね、なんて気持ち悪いほど抑揚のある演技で答える。
私は唇を尖らせて大きく息を吐いた。
「本当に、わかんないよ。どうしてこんなふうになるのか」
「こんなふうって、どんなふうなの」
「それは……なんていうか、不安っていうか。こう、イライラしちゃうし」
「憂鬱?」
「うん」
「それって、原因は伊吹なのよね?」
言われて、私は曖昧な方向に首を傾けた。
でも、認めたくないけど、否定できない。
いつの間にか、私の頭の中には北原が現れて、アイツが私に深い溜息を吐かせるのだ。
「しおり、それってたぶん、誰が見ても恋の病だと思うわよ」
「違うっ、私が北原のこと好きになるなんて有り得ないっ」
「往生際が悪いわねぇ。じゃあ、伊吹と梅宮妹が目の前でキスしても平然としてられるのね?」
言われたとたん、私は彼らのそういう場面を想像してしまった。
一瞬にして、頭の中に熱いものが駆け上がって、それとはうらはらに、指先は熱を失っていく。
嫌、だ。
胸が一層苦しくなって、苛立ちよりも不安が色濃くなり、やがて悲しいという感情に変化する。
唇を噛んで顔を上げると、ホリちゃんがいつもより優しく微笑んでいた。
「しおり、自分の気持ち、認めなさい。それは間違いなく、恋してるのよ」
反論できなくなった私の口から、再びこの日何十回目かの溜息が漏れた。