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Don't Touch!  作者: 鳴海 葵
Lesson2
49/127

file4-5

「もう、大丈夫だよ」


 語りかけると、触れている葉から返事をするように、指先を伝い粒子が流れ込んでくる。

 このコが見ていた景色の中で、先生は私の知らない顔で、彼女に微笑んでいた。


「……なんで」


 葉から離した指先を見つめ、私はその手を握り締めた。


 どうして、こんなこと、しちゃったんだろう。


 どうしようもなくて、見てはいけないものを見てしまった。

 自分の感情だけで目一杯なのに、それ以上に、先生や彼女の意識が入り混じって、心が壊れてしまいそう。

 何度拭っても、大切なものを奪われた子供みたいに涙が止まらない。

 不意に近づいてきた足音に、泣き顔を上げた。


「………」


 何か言おうとしたけど、嗚咽が邪魔して言葉にならない。

 こんな顔を見られたくなくて、私は北原に背を向けた。


「こな、い…でよ……」

「桜井」

「お願い…ほっといてよ」


 涙を止めたい意思とうらはらに、とめどなく溢れ続ける。

 好きな人が、愛してる人を見つめる瞳を知ってしまったから。

 ふたりがどれだけ愛し合っていたか、見てしまったから。

 美しいその女性が今、苦しんでいて、そばにいる彼もまた、苦しんでいるから。

 だれも悪くないのに、何かを憎んでしまいそうになる自分自身が嫌い。

 だけど、そうしなきゃ耐えられなくて、悲しくて、苦しくて。

 私は力が抜けて、その場に崩れるように座り込んで泣き続けた。


「桜井」


 横に、北原がしゃがんだのが見えた。

 次の瞬間、ぽんぽん、と優しく頭を撫でられる。


「ほっとけないよ」


 意外な行動と言葉に、私は涙を拭いてから顔を上げた。

 いつもより、ずっと優しい北原に私は戸惑って息を飲む。

 どういう、こと?


「携帯渡してもらうまでは」

「……あ、そ」


 ちょっとでも甘い期待をした私が馬鹿でした。

 なんとなく、一気にいろんなものが冷めていく気がする。

 私はわざとらしく音をたてて鼻を啜った。

 現実に引き戻されても尚、私の中に残っている感覚が、植物が観た映像をフラッシュバックさせる。


「私、最低だね」

「ああ、最低だね」

「……慰めるとか、ないの」

「慰めて欲しいのか」

「べ、別に求めてないけど」

「じゃあ、桜井は最低だ」

「……意地悪」


 最後は小さくつぶやいた。

 慰めて欲しいなんて言わないけど、追い討ちをかけて欲しいとも言ってない。

 本当に嫌な男。


「勝手にまた覗き見して落ち込んでるんだろ」


 図星。

 ますます私は暗い谷底に突き落とされる。


「でも、もし俺が桜井みたいに他人の心を覗けるなら、同じ事をするかもしれないな」

「え……」

「で、同じように落ち込む」

「……想像できない」


 さっきみたいに本人に痛いオチをつけられる前に、きっぱりつっこんでおく。

 当然、幾分和らいでいた表情が、瞬時で冷たい色に変わり、溜息をつきながら睨まれた。

 まるでにらめっこしてるみたいになった私たちの勝負は……私の勝ち?

 北原が微笑んで、私から目をそらした。

 ふんっ、初めてこの睨み合いに勝てたわ。

 だけど、何か違う。北原は、私の顔をちらちら見ながら、何度も笑う。


「鼻水も出てるし、ヒドイ顔だな」

「なっ!」


 慌てて両手で顔を覆うけど、恥ずかしいやら悔しいやらで、どんどん顔が熱くなる。


「もう見られたんだから、隠したって意味ないだろ」

「ウルサイ! 早くどっか行ってよ!!」


 いつもの冷酷な瞳に戻った北原が、淡々と言う。

 あぁ、もう! 最悪、この男。

 加えて最低な私。もう嫌だ。

 違う意味で泣きたくなってきたよ。


「ほら」


 どこからともなく、北原はポケットティッシュを取り出すと、私に差し出してくれる。


「………」


 コイツに対して疑り深くなった私は、それを素直に受け取ることができない。

 きっと、何のメリットもなく、こんな優しいことをするようなヤツじゃない。

 手を伸ばそうとすると、思っていたとおり、取り上げられた。


「携帯電話と交換だ」

「ぐ……」


 私は仕方なく、片手で鼻から下を隠したまま、ポケットを探る。


「その手で鼻水拭いてないだろうな」

「拭いてないっ!」


 さっさと携帯を取り、差し出すと、北原の手からティッシュを奪い取り、背を向けて鼻をかんだ。

 背後でピコピコと操作する音がする。

 ええい、もうどうにでもなれ。

 香奈には謝ればいいし、写真なんか、またこっそり撮る機会があるだろう。

 とにかく、とにかく、とにかく! 一刻も早く、北原のそばから離れたい。

 鼻をかみ終わって、涙も拭いたし、大きく深呼吸して、帰ろう。

 ケータイを返してもらおうと振り返ったときだった。


 ぴろろん。


 私に向けられたケータイが、またしてもマヌケな音をたてた。

 ……へ? なんで。

 ディスプレイを眺めながら操作する北原が、片方の口角だけ上げて笑った。


「泣き顔、可愛く撮れてるよ」

「ちょ、ちょっと! やめてよ、消してよね」


 取ろうとすると、北原はケータイを持った手を私の手が届かない、高い所まで上げる。


「これ、俺から彼女に返すよ」

「へ!? って、誰かわかってるの?」

「相沢香奈だろ」


 げ、どうしてバレてるの。

 ひるんだ私を一瞥すると、操作を終えて、北原は香奈のケータイをズボンのポケットに納めた。


「俺は誰かさんみたいな能力を持ってない分、敏感なんだよ」


 そう言うと、私に背を向けて歩き出すから、慌てて私も後を追いかけた。


「そんな写真、香奈に誤解されるわよ」


 北原だって私とのことを勘違いされるのは嫌なはずだ。


「べつに、俺はかまわないけど」

「えっ?」

「じゃあな。川島のこと、考えておけよ」


 予想してなかった答えに立ち止まる私をよそに、北原は明かりが点きはじめた、特別講習が行われている別棟へとゆっくり走り出した。

 そうだ、すっかり忘れそうになっていたけど、川島くんのこと、考えなくちゃ。

 失恋したって、落ち込んでる場合じゃない。

 北原にいじられて、へこんでる場合じゃない。

 私は握り締めていたティッシュを、香奈のケータイが入っていたポケットにしまうと、長く伸びた自分の影を追いかけるように、教室へと歩き出した。


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