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Don't Touch!  作者: 鳴海 葵
Lesson2
40/127

file3 「blue bubble」

 ここは、一体どこなんだろう。

 記憶喪失になったり、トリップしちゃった時に使われる定番の台詞を、ぼんやりと思い出す。

 私は川島くんの黒い意識に支配される寸前で、青い海に落とされて、沈んだ。

 ともあれ、飲み込まれたのは彼の意識の中に違いない。

 底は浅く、水の中なのに息はできるみたい。

 水面を見上げれば、その向こうにある空は、これから朝になるのか、それとも日が暮れるのか、薄っすらとピンク色をしている。

 真っ白い砂に足をとられながら前へ進むと、膝を抱えた彼が何もない空間をぼんやりと見つめていた。

 川島くんだ。

 目は虚ろで、何かを見るのではなく、ただ開いているだけ。

 半開きの口は、喋ることを忘れてしまったようで、時々小さな気泡が漏れる。

 音のない海。砂と、水と、空と、ただ、それだけ。

 ひとりきり。

 孤独。

 

『淋シイ』


 水面はすぐそこだ。

 手を伸ばして数回水をかけば地上に出て、思う存分空気を吸えるだろう。

 そして、この淋しさから解放されればいいのに。


 川島くん。


 声に出したつもりだったのに、音にならなかった。

 私の口からも無数の泡が地上に向かっていく。

 川島くんは右手を上げると、さっきまで私が握っていたペンで、目の前に小さく何かを描いた。

 彼によって命を与えられたそれは、小さな熱帯魚。薄く透き通った赤い魚。

 小さい頃憧れていたドレスのフリルみたいな尾ひれをゆらゆら動かしながら、ゆっくり川島くんの周りを泳ぐと、私のほうへ向かってきた。


 ………


 気がつけば、私の周りを同じように小さな真っ青の魚が群れをなして泳いでる。

 じゃれてるみたいで楽しそうで、私は手を伸ばした。

 すると、危険を感じたのか、魚たちは一斉に散らばっていく。

 だけど、彼らが逃げたのは、私が手を伸ばしたからじゃなく、川島くんが描いた赤い熱帯魚が現れたからだ。


 みんなと、違う色。

 逃げていく青い魚を必死で追っていく赤い魚。


『ヒトリニ、シナイデ』


 やがて、追いかけ疲れた赤い魚を、青い魚のいっぴきがつっつくと、次から次へと他の魚たちも赤い彼に襲いかかる。

 違う色した、同じ魚。


 だめ、だめ! やめてよ!


 見かねた私が青い魚を追い払おうとしても、彼らの数が多すぎてどうすることもできない。

 そのうちに、動かなくなった赤い魚は、ぼんやりとした目で斜めに浮かんだ。

 時々傷だらけのカラダをぴくりと動かすけれど、もうさっきみたいに泳ぎ回る元気なんてない。

 死にそうに動かなくなった目は、うしろで膝を抱えてる川島くんの目に似てる。

 その目で、赤い魚は、かばいきれなかった私を睨んでいるようで。


『ミンナ、消エテシマエバイイ』


 青く透明な水中で、静かに響く、川島くんの声。

 何の抑揚もない。

 ただ、ただ、悲しい色を帯びていて、この海の色を一層青く染めていく。

 たくさんいたはずの青い魚たちは、どこからともなく現れた、大きく口を開けた巨大な魚に飲み込まれていく。

 ゆったりとしたノロい動きはジンベイザメによく似てるけど、違う。開かれた口には、人食いホオジロザメみたいな鋭い歯が見えた。

 まるで掃除機で吸い込むみたいに、あっという間に小さな青い熱帯魚を自分の腹におさめると、そいつは丸い藍色の淋しそうな目で私を一瞥し、元居た場所へと戻っていく。

 残されたのは、赤い死んだ魚、いっぴき。

 そして、私と、川島くん。

 静かな海は、どこまでも続いていて、空は鮮やかな朱色。

 

『ボクダケ、ドウシテココニイル?』


 表情を変えない川島くんが、ゆっくり瞬きをすると、透明で小さな滴がぽろぽろと音を立てるように溢れて浮遊し、しゃぼん玉みたいにはじけて消える。


『消エテシマイタイノニ』


 彼が空を見上げると、まだ明るいはずだった空が、急速に闇へと変化する。

 このままじゃ、本当に彼の意識に飲み込まれる。

 私は大きく手で水を漕いだ。

 上へ行かなくちゃ。

 ……目を、覚まさなくちゃ。


「しおりっ!」


 目を開けると、そこにはめずらしく血相を変えたホリちゃんがいて、次の瞬間、左の頬に強烈なビンタをくらった私は、あまりの衝撃に、再び気を失いそうになる。


「……ったぁーい」


 じりじりと熱を帯びて腫れていくような感覚が広がる頬に手を当てると、突然の仕打ちに涙が出た。


「しおり、起きたのね!? 大丈夫なのぉ!」


 体を起こそうとしたのに、ホリちゃんに抱きつかれてスプリングの硬いベッドに押し倒されると、 カールのかかった茶色い髪が揺れて、シャンプーのいい匂いが私の鼻をかすめる。

 耳元で良かった良かったと涙声で連発するホリちゃんの向こうに、呆れ顔の北原を見つけた。


「もう、脈は弱くなるし、血圧はどんどん下がってくし、心配したんだから」


 だからって、こんな勢いで殴る?

 確かめるように私の額に触れるホリちゃんの手が熱い。

 自分が思うよりずっと、体温が下がっているのかもしれない。

 身体の末端に残るのは、鈍い痺れ。


「今回は、本当に本気で救急車呼ぼうとしたのに、伊吹が大丈夫だって言うから」

「医者に診せたって、どうにもならないだろ」

「そうかもしれないけど……でも、とにかく目を開けてくれて本当に良かった」


 目は自力で覚めたし、その直後のビンタで感覚も戻ってきてる。

 だけど、海の中にいた私の体は、いつもよりずっと重い気がして。

 上半身を起こすと、立ちくらみみたいに視界に砂嵐が迫って、私はそれがゆっくり消えていくのを待った。


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