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周りの全てを信じることができない弱さを私は知ってる。
私はマイナスの思考を彼のようにぶつけることなく、解放することなく今まで生きてきた。
それは、自分自身を守るため。誰もが気に入らない、認めたくない個性を排除する世の中で、なるべく目立たないように、標的にされないように怯えていたから。
叩かれた時の、反抗する能力を持っていないから。
でも、彼ならどうだろう?
流されない強い負の意志で、すべてを壊してしまうことなんて、彼にとって簡単なんじゃないだろうか。
体中を棘に巻かれるような空気が少しずつ和らいで、私は深呼吸した。
「桜井」
北原の声が、私の目を覚ましてくれる。
何度か瞬きした後、ふと足元に転がるペンを見つけ、私はその場にしゃがみこんだ。
太陽は束の間の休憩、薄い雲の向こうに顔を隠す。
「あっち、行って」
振り返ると、つかず離れずの距離で立っている北原に言った。
怪訝な顔をしながらも、私の言うとおり、彼は温室のほうへ戻っていく。
それを確認すると、私は目の前のペンに向き直った。
モノに残った意識を探すのは、この能力がよみがえってからできるようになったことで、まだ完全に読めるわけじゃない。
以前、紙片から香奈の意識を見つけたときは、言葉よりも残された感情に自身が支配されて苦しかった。
指先にペンを触れようとして、私は一度ためらった。
彼の意思を知ったところで、何になる?
正義の味方でも、ヒロインでもない私に、何ができる?
「何か、できるかもしれない」
誰かを愛することよりも、憎むことは簡単で。
でも、それを続けることは、容易じゃない。
ココロが休まる時がないのだから。
私は握った手のひらを、再びペンに近づけ、触れた。
もしかしたら、これは川島くんのものじゃないかもしれないと、左手は彼が倒れていた地面に広げる。
ペンをぎゅっと握り締め、私は目を閉じ、頭の中の扉を開放した。
地面に残る複数の意識は、ストレスと憎しみの塊。
ぶつかり合うもうひとつの意識を探せばいいのに、それが見つからない。
これ以上広く深く探そうとすれば余計なものまで聞こえそうで、私は地面から手を離し、ペンを両手で握った。
川島くんの意識、あの、階段でぶつかった時聞いたものと同じ波長。
何か、残ってない?
『ドウシテ?』
見つけた。
想像していたよりも、ずっと弱々しくて、もろい。
細く途切れそうな意識の糸を、ゆっくり探る。
もっと、強烈で破壊的なものだと思ってかまえていた私は少しほっとした。
だけど。
その気の緩みがいけなかった。
『俺ヨリモ馬鹿ナクセニ◆×△Ⅹ√σ=×!ΠЖЯ年下ノクセニЖФ△ⅲ=×!?▼○а生意気◇△π=α×!?ЯЭ□ш●ウルサイ∑△▼Лζ=ξ×!√?□○目障リ△=×!△Ⅹ√σ=×!ΠЖ?□○馬鹿∑△▼Л△=×!?□Э○スグ手ヲ上ゲル低脳ナ集団△Ω=◆Ψш×√!Π?□Z∑!○全員馬鹿ダ△=×!?□○自覚ナシ△=×β!π=α×!?ЯЭ□ш?□○俺ガ思イ知ラシテヤルΩ=◆Ψ△=×!β!π?□○覚エテイロ△=×!?□○絶対二後悔サセテヤル△=△▼Лζ=ξ×!√×!?□○死ネ△=×!?□○全員死ネ△¥ЖФ△ⅲ=×=×!?□○殺シテヤル△=×!?□○コロシテヤル△=×!?□○コロシテヤル△=×!?□○コロシテヤル△=×!?□○!!!!!!!!!!!!!!!』
「いやぁっ!」
私はすぐにペンを放った。
まるで壊れたコンピュータプログラム。
終わらない憎しみの言葉。
頑なで重い塊は、私を黒く渦巻く闇に引きずり込む。
「う…あ…はぁ……」
目を開いたのに、いつもなら鮮やかに緑色に映る芝生が、暗い色を帯びて見える。
まだ、夜じゃないし、太陽は雲に隠れていたけど、違う。
周りから迫る闇は、私の視界をどんどん奪っていく。
苦しい。
痛い。
もう、やめて。
お願い。
お願い。
両手から私の頭をめがけて駆け上がる幾つもの棘。
指先から始まった震えは、やがて全身にまわり、体を包んでいたはずの熱が冷気に変わる。
「おい! どうした?」
北原の声がする。
今は、近くに来ないで。
「桜井!」
「こな…い……で」
口に出した言葉が、北原まで届いた自信がない。
こんなところ、見られたくない。 ゆっくりと近づいてくる足音。芝生を踏む音。
闇の中へと奪われそうになる意識の中、私の中に入り込んだ彼の塊がこみ上げてくる。
私が、私じゃなくなる感覚。
そして、突然現れた、小さな光。
「『誰か、助けて』」
私の口から放たれた、男の子のか細い声。
今にも泣き出しそうで、悲しくて、淋しくて。
闇から解放された私が落ちたのは、限りなく透明に近いブルーの海。
底に沈んでいるのは、もうひとりの、川島くんだった。