file1 「blow up!」
ああ、なんかダルイ、疲れた、眠い。
なにより、暑い……!
世の高校生は、そろそろ夏休みに入るというのに。
私、桜井しおり(さくらい しおり)は特別に渡されたプリントを見て、がっくりと机に突っ伏した。
「補習かぁ……」
特別補習のご案内が、今年も先生から直々に渡されてしまった。
私の通うこの高校は、まさに文武両道、有名大学に進学を目指すか、そうでなければ、プロスポーツ選手を目指す人も少なくない。
中学の時におだてられて受験し、まぐれで入学できたものの、入ってみれば何のとり得もない私は落ちこぼれ街道まっしぐら。
2年目の夏も、もれなく補習生に選ばれてしまったわけだ。
黒く長い自慢の髪の毛も、この暑さとダルさでうっとうしい。
「いいなぁ、しおりちゃん」
私の気持ちを知ってか知らずか、可愛い甘えた声がする。
顔をあげると本当にうらやましそうな顔で口を尖らせて見下ろす彼女がいた。
「香奈、それ、嫌味?」
「そんなことないよぅ。だって、北原くんも毎日学校に来るでしょう? 絶対会えるじゃない」
「あのねぇ……」
「いいなぁ」
瞳にきらきら星を輝かせている、恋する乙女の名は相沢香奈。
つい最近まで、仲良しグループの中のひとりに過ぎなかった香奈とは、彼女の恋愛事情をきっかけに特別に仲のいい友達になった。
彼女は恋はもちろん、お勉強もきちんとする女の子で、私みたいに補習に引っかかることもない。
かといって、彼女のおしゃべりに登場してきた北原伊吹のように、予備校以上スパルタ未満とも言われる特別講習に無償で参加できるほど、レベルの高い子でもないのだけど。
「けど、特別講習って自由参加なんでしょ? 毎日来るとは限らないんじゃない?」
「そうかなぁ。北原くんだったら、絶対来ると思うんだよね。いまから夏期講習申し込んでも間に合うと思う?」
「う、ん……間に合うんじゃないかなぁ」
ぜんぜん違うレベルで話を進める香奈に、私は適当に返事をする。
香奈のような生徒たちにも、有償の夏期講習がある。
確かにそれに申し込めば、香奈も強制的に夏休み中も毎日学校にこなきゃいけないわけで、彼女の愛しい北原にも会う確立がアップするけどね。
「ねぇ、しおりちゃん、お願いがあるんだけど」
「ん?」
「もし、夏休み中、北原くんに会ったら、写メ送って」
可愛い子犬がおねだりするみたいな顔をして、香奈は何度か瞬きをする。
頭、痛い。そういう顔は、例の北原の前だけにしてよね。
私は香奈の願いに、うんともいやとも言えず、曖昧に笑って首をかしげた。
すべての事の発端はつい一ヶ月前のこと。
香奈が仲良くなった事件をきっかけに、私の身辺が変化しつつある。
もとより、幼い頃からある、フツーじゃない能力のことで、私は人と係わり合いを持つのが嫌だった。だから、こんなふうに誰かと打ち解けて話をするとか、考えられなかったことだ。
ついでに、あのわけのわからない北原伊吹ってヤツと再会することもなかったはずなんだけど。
「私、あの人を撮れるほど、仲良くないんだよね」
「うそ! 妬けるくらい仲良しじゃないー」
いや、それは違う、絶対に違う!!
確かに話さなきゃならない状況になることは香奈より多いかもしれないけど。
だけど、なんか、そういう友達みたいな間柄じゃない。
否定すればするほど、肯定の意とする香奈にこれ以上反論するのはやめとこう。
話をしながら私は渡された補習のプリントに、同意の署名をする。
『私はこの夏季休暇を、学力回復のために途中放棄することなく、努力することを誓います』
そんなおかしな文章のあとに、桜井しおりと名前を書き、この夏休みも教科書たちとにらめっこしなきゃいけない自分を呪った。
私は疎ましいプリントと、さっさとサヨナラするために職員室へ向かう。
夏休みまであと一週間。
っていうか、私にとって「休み」なんて時間は程遠い。
去年と同じシステムならば、ある程度の時間、講習を受けた後、実際それが頭に入ったのかテストを受けることになる。最終的に60点満点のテストを何度も行い、点数の合計が1,000点を越えたとき、はれて解放されるのだけど。
……だけど、去年の夏、私に夏休みなんて来なかったんだ。
忌まわしい思い出にぶるぶると首を振り、階段を降りた。
「うわぁ!!」
頭上からの声に気付いたときは、すでに遅かった。
降ってきたのは声だけじゃなく、それを発した身体。
鈍くさい私は、それにぶつかるとわかっていながら、体をよけることができずに、まんまと下敷きになる。
それの重さ+衝撃+自分の体重+α=気絶しそうになるほどの痛みは強烈。
次の瞬間、無防備になった頭の中に激痛が走った。
『バカバッカリダ、俺ヨリバカナクセニ、チクショウ、クソ! 殺シテヤル、殺シテヤル、全員殺シテヤル』
私の上にある体から、触れ合う部分を伝わり、脳内のバリケードを突き抜け響く意識。
彼の心の叫びが、私の頭の中だけに降り注ぐ。
体の痛みや状況把握する前に、私はなんとかコントロールできるようになってきた意識のトビラを必死で閉じた。