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結局、高熱がなかなか下がらずに、三日も休んでしまった。
なおりかけの身体は、まだなんとなくダルイ。
でも、他人の意識を受けることなく、ゆっくりと休めたことはしあわせだった。
それにしても、久しぶりの教室の中、何かがおかしい。
私が仲良くさせてもらってる女子グループの目が怖い。
いつもなら飛んでくるはずの美優も、知らん顔でメールを打つことに没頭してる。
「ねぇ、ごめん、またノート見せてくれない?」
前の席の彼女に話しかけたものの、振り返る様子がない。
「ねぇ」
肩をぽんと叩くと、ゆっくりとこっちを振り返り、私を睨むとすぐに立ち上がって行ってしまう。
おかしい、明らかにおかしい。
なんだろう、この雰囲気。
すごく、嫌な感じ。
とっさに美優にメールすると、すぐに返事がきた。
「Re:
自分のしたこと、よく考えてみなよ。
みんなに無視されて当然だよ?」
ディスプレイを見る私の身体が硬直した。
どういうこと? もしかして、宮元先輩のこと?
私は教室の中で香奈を探すと、彼女の元へ近づいた。
「香奈」
少し怯えるような目でこっちを向く香奈。
「ちょっと、香奈に近寄んないでよ」
「友達のカレシ奪うなんてサイテー」
「アンタだって、どれだけ香奈が先輩のこと好きだったか知ってるでしょ」
次から次へと浴びせられる言葉、痛い視線。
そして、彼女らは守るように香奈の前に立ちはだかり、一斉に私を睨んでくる。
「待ってよ、誤解だってば」
「誤解? だって、先輩はアンタと付き合うからって香奈と別れたんだよ」
「北原くんに振られたからって、よりによって宮元先輩に手出すなんて信じらんない」
違う!!
どこからどこまで彼女らは誤解してるのっ。
「香奈、そんなんじゃないって、香奈はわかってるよね!」
彼女らの隙間から、香奈に向かって言うと、一瞬こっちを見てすぐにうつむいた。
「香奈ぁ、泣くんじゃないってば」
傍観していた女子が香奈に駆け寄っていく。
うわぁ……最悪。
愕然とした私の肩を、ひとりに強く押され、身体がぐらりと揺れる。
『ほんっとに信じらんない』
その意識は、私の心の中に、大きな黒いシミを作る。
そんなんじゃない、そう言ったって、今は誰もわかってくれないだろう。
こうやって、誰かを標的におもしろいことをやってないとつまんないんだよね、私たちって。
いつも誰かが良くも悪くも話題の中心になるんだ。
本当も嘘も関係ない。
……よく、知ってるよ。
『サイテーな女』
『学校サボってる間も、先輩と会ってたりして』
『女って怖ぇよな』
『桜井さんって、意外とそういう人だったんだ』
『馬鹿馬鹿しい』
こんな状況、もう、慣れてる。
香奈がもし誤解してるなら、なんとか本当のことを伝えたい。
でも、今は無理だ。
聞きたくないのに、どこかで周りを気にする私の意識が扉を開く。
触れていなくても、考えたくなくても、アタマの中に次々とクラスメイトの意識が降ってくる。
誹謗中傷の、声、声、声。
冷たい視線、裏切り者を排除しようとする雰囲気。
耐えきれなくなって、癪だけど、私は教室を出た。
中学高校と、なんとかうまく自分を調整しながらまわりにとけこめるよう努力してきたつもりだ。
なるべく深くかかわりすぎないように、でもほどよく付き合いながら。
適当にあわせて不本意なこともあったけど、こんな気持ちになったのは……まだ無垢で正直すぎたころ、本当のことを信じてもらえなかった時以来だ。
状況は違うけれど、こんなふうに他人の意識が聞こえるなんて能力がなければ、私はこのことに巻き込まれなかったはずだ。
「悔しい……」
つぶやきながら、瞳から零れ落ちそうになるものをこらえた。
授業開始のチャイム。
静まる廊下。
私の足は教室へもどることなく、いつもの温室へと向かっていた。
カトレア、もう咲いたかな。
胸の中にある、どこにもぶつけようのない感情を見ないふりするために、私は倉田先生の言ってた花のことを思い出そうとした。
でも、香奈のことが、どうしても消えない。
体育館の横にあるドアから、上履きのまま私は外へ出た。
ピンクとグレーのタイルで形作られた細い道は、このまま温室へと続く理事長の専用通路。
空を見上げなくとも、空気の色がよどんで雲が広がっていることが想像できた。
私の心の中と同じ。
光をさえぎる雲は、時がたてば流れてしまうのに、私は今、その時の流れすらもどかしい。
温室の中の植物たちは、変わらず私を迎えてくれる。
外より一段湿度が上がっても、私を苦しめる意識はここにない。
……はずだった。
「なんで……」
透明なガラスの向こう側、いつも私がぼんやりとなごむための丸イスに、座る影があった。
それも、よりによって。
「北原?」
大切な場所を取られたことに腹が立って、私は花に目もくれず、温室をつき抜けてヤツの前に立った。
「何でアンタがここにいるのよ」
だいたい授業はもう始まってるんだし、ユウトウセイの北原がここにいるのはまずいんじゃないの。
おそらく露骨に嫌な表情をしている私に、北原は静かに顔を上げた。
「居心地がいいから」
返ってきたのは単純な答え。
なのに、私は言い返す言葉に困ってしまった。
居心地がいいのは、私が一番良く知ってる。
北原がそれを共感していることが、胸の奥にひっかかった。
「あ……そ。だけど、そこ、私の場所なの」
「じゃあ、しばらく借りるよ」
そう宣言すると、視線を曇り空へと向ける。
いつもなら、そんな態度に腹が立っても、なんとか私の口は感情を押しとどめるのに、今日はそんな我慢ができなかった。
「借りるって、私、貸すなんて言ってないけどっ。だいたいアンタってそうやっていつも人の気持ちなんか気にしないで自己中で。ホリちゃんと付き合うのだって、こっちはかまわないけど、どうして私がそれに巻き込まれなきゃいけないのよ。どうして、私がみんなに……」
あんなふうにされなきゃいけないの。
言いながら自己嫌悪に陥る。
コイツに怒りをぶつけたって、どうにもならないことなのに。
「何言ってんの、オマエ」
「何って」
「堀口先生と俺は、イトコ同士なんだよ。桜井もあの噂の信者か」
「えっ!?」
な、なんて言ったの。