file5 「true or false」
心の中にモヤモヤしたものを抱えたまま、時間だけがゆっくりと過ぎていく。
私たちの間で広がる噂なんて、いつの間にか消えてしまったり。
また思い出したときには、歪められた事実となって新たな噂になる。
「NEW北原くん情報~☆
大変だよぉ、しおり! 北原クンって、略奪愛しちゃったことあるんだって。
相手は今年卒業したサッカー部の元マネージャーで、なんと、あの宮元先輩の元カノ!
超ビックリだよ~。 3年生の間じゃ有名な話らしいんだけどね。
めちゃ愛し合ってたふたりだったのに、彼女が海外留学決まって別れちゃったんだって。
で、そこに現れたのがしおりってわけだ。
淋しい北原クンをこれからも癒してあげて、お幸せにネ~☆ みゆ」
そんなメールを美優から受け取って、私は口から煙を吐きそうだった。
だから、私は北原を癒してなんかいないっ!
なにより、私のストレスの根源がヤツだっていうのに。
それにしても…この内容が本当なら、これが先輩と北原、そして香奈を結ぶ線だろう。
香奈が言ってた本命の彼女っていうのが、この別れた彼女のことだとしたら、つじつまが合う。
ホリちゃんのストーカーは宮元先輩
↓
北原は過去に宮元先輩の彼女を略奪
↓
北原とホリちゃんが付き合ってる?
再び好きな人を奪われると思って、宮元先輩は北原を恨んでるんだろうか。
あ、違う、北原を恨んでいるのは、香奈なんだよね。
もしかして、香奈、先輩に指図されてるとか…?
「まさか。あぁ、もう、私考えすぎだよね」
昼休みも終わる頃、私は保健室の前まで来て、溜息をついた。
最近、気がつけば彼らのことばかり考えている。
なんか、もっと、こう、面と向かって話し合えばいいんじゃないのと思ってしまう。
そんなこと、できっこないってわかってるんだけど。
言葉が足りなくて、人は傷つけあう。
でも、言葉が余計にありすぎても、それは心を傷つける。
大人になりかけの私たちは、言葉を操るには、まだ不器用すぎる。
「そうだ、しばらくホリちゃんが休みだって、担任が言ってたっけ」
だから具合が悪くなったら職員室に来るようにと、朝のHRで言われてたのをすっかり忘れてた。
ドアノブに手をかけて、鍵がかかっていることに、私は肩を落とした。
いつもの頭痛なんかじゃなく、今日は間違いなく風邪だと思う。
頭が重くて、熱っぽい。
職員室じゃ、ゆっくり休めるわけもないし。
「どうしよ……」
このまましゃがみこんだら、動けなくなりそうだ。
とりあえず職員室に行って、早退しようかなぁ。
「今日は、堀口先生、休みだよ」
誰の声かわからずに、私はそっちを振り向いた。
「ついでに、北原も休みだって、知ってた?」
「……いえ」
そう返事をするのが精一杯だった。
具合が悪いせいじゃない、目の前に現れたのはあの宮元先輩だから。
突然の登場に、私は驚いて目をいっぱいに開いて、何度か瞬きをする。
いつもよりぼんやりした頭で、相変わらず先輩は格好いいな、なんて、私はのん気なことを考えていた。
「ふたりで、どこに行っちゃったと思う?」
「さぁ……」
ふたりで? って、どういうこと?
曖昧に返事をしておきながらも、頭の中でまたホリちゃんと北原が密会している想像をしてしまう。
でも、どうして先輩がそんなこと知ってるの。
「昨日、ふたりが先生の車でどこかに行くのを見たってやつがいてね。気にならない?」
そんなことを話す先輩から、いつもの爽やかスマイルが消えていた。
「私は、別に……」
「嘘だ。だって桜井さんは北原と仲がいいんでしょ?」
そんなこと言ったヤツ、誰だ。
少し腹が立ったけど、たぶん、香奈じゃないかと思う。
早くみんなの誤解をとかなくっちゃいけない。
「ねぇ、桜井さん」
ふと視界が薄暗くなって、私は顔をあげた。
「な……」
近いっ!
先輩の顔が異常に近くて、思わず声を上げて後ずさろうとすると、とっさに腕をつかまれた。
「なんですか…!」
「北原と付き合ってないんなら、俺と付き合ってよ」
どうして。
そう叫ぼうとした瞬間、つかまれた腕から強烈な意識が頭の中を突き抜けていく。
『俺が手に入れたいものを、次から次へと奪っていくなら、今度はオマエのそばにあるものを全部奪って壊してやる』
『何もかも完璧なのは俺のほうだ』
『許さない、許さない、壊してやる、全部壊してやる』
言葉の意味よりも、伝わる意思が痛烈に頭の中に突き刺さっていく。
本来なら正しい方へ向くはずのプライドや情熱が、捻じ曲がり、歪んだ黒い刃となって、私を切りつける。
だめ、このままじゃ、私、本当に。
……壊れる。
遠のきそうになる意識を強引に引き戻して、先輩の腕を振り払おうとするのに力がうまく入らない。
黒い意識は激しく脈打つように、頭の中に注ぎ込まれる。
「いやです……」
無理やり搾り出した声でそう答えた。
「どうして?」
先輩の隠しているだろう憤りが、わずかに声を荒げさせていた。
「だって、先輩、香奈とつきあってますよね」
「もちろん、別れるよ。きみが好きだからね」
この人、最低。
どれだけ香奈が先輩のこと好きなのか、全然わかってない。
心の中を占めるのは自分のことばかり。
だから、恋人だって去っていくんだよ。
思いきり先輩を睨んだつもりだった。
霞んでいく視界で、先輩は北原よりもずっとコワイ、歪んだ顔で微笑んでるような気がした。