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「余計な詮索するな」
香奈からあんなことを聞いた後では、極悪人みたいな目は、本物なのかと思ってしまう。
今みたいな行為も、香奈が言う、彼女を大切にしていない理由になるんだろう。
「私は別に、ホリちゃんのことが心配だっただけよ」
あれをやったのが宮元先輩だったとしたら、同じようなことをホリちゃんが受けるのはかわいそうだと思ったから。
その行為がエスカレートしたなら、あの夢が本当になってしまう。
だけど、私の予想とは全く離れた事実があった。
「先生なら、何もないよ。最近は、例のストーカー行為も落ち着いたって」
「……へぇ」
美優の言っていた噂と私の想像がマッチして、とんでもない絵が私の頭の中に浮かび上がる。
いつも元気で明るいはずのホリちゃんが、肩を落として泣いている。
そんな彼女を私が見たことのないような優しい目でなぐさめ、抱きしめる北原。
私は小さく首を横に振って、慌てて妄想をかき消した。
「何考えてんだよ」
「は!? いや、別に」
「で、真実はオマエの胸の中にしまっておくつもりか?」
再び確信をつかれて、私はぐっと口をつぐんだ。
偉そうに腕を組んで、私を見下ろす。
「その方が、いい」
「へ……?」
強制的に聞き出されるかと思っていたのに。
正反対な反応に、思わず力が抜けて、私は口をぽかんと開けた。
「本当なら、知るはずのない事実なんて、俺はいらない。桜井も、誰にも言うなよ」
「……わかってるわよ」
言われなくとも、そんなことしない。
ただ、北原に言われると、その言葉は妙に痛く心に響く。
口外してしまえば、傷ついてしまう人がいる。
例え、誰かが真実を欲しているとしても。
「桜井、オマエって、有言実行タイプ?」
「え? そんなこと、ないけど」
「実際に、言葉に出したことすらできないヤツなんて、オマエや俺も含めてざらにいるだろ。それなら、ただ頭ん中で想像したことを実行できるヤツがどれだけいると思う?」
確かに。
考えてることをすべて実行に移すのは、なかなかできるもんじゃない。
成績を上げるために勉強しようと決意したって、その時一瞬思っただけで、本当に頑張れる人だけが今後もあのステージにあがるんだろうし。
例えば……誰かを殺したいと思っても、実際に殺人を犯す人はごくわずかだろう。
「ガキの頃ほど、単純じゃないぜ、今の俺たちは」
ちょっと嫌味な言い方だと思ったけど、私はそうねと頷いた。
「単純じゃないから、わかんないのよ」
小さな声でぼそりと言うと、北原は頭を斜めに傾けた。
「あの頃なら、ごめんって謝れば済んだことも、今じゃそうならない。いっそ、単純な方が楽だったのに。そうしたら」
香奈も、きっとあんなことをしなかったはずだ。
言いかけて、慌てて止めた。
睨まれるかと思ったのに、北原は物憂げに遠くを見つめ、そして、ふと笑う。
「だったら、とっくに誰か死んでるんじゃないのか」
「……どうしてそういう風に物事を考えるのよ」
嫌なやつっ!
「あの紙切れなら、どっか飛んでっちゃったわよ。ごめんね」
そう言い捨てて、私は北原の横を通り過ぎた。
どうせ私の余計なお世話ですよ。
それに……あれがどれだけ強烈な思いだったのか、私以外の誰かに伝える術がない。
香奈のことも、知りたくないなら言えないし。
そもそも、私はこういう係わり合いが嫌なのに。
これもみんな、厄介な脳ミソのせい。
「桜井!」
呼び止められて、一応振り返る。
「何よ」
「教科書、助かったよ」
少し緩んだ目元、口は優しいカーブを描いて。
……って、今までの表情から想像できなかった笑顔がそこにはあった。
私の脳裏に、小学一年生の頃のイブキくんが蘇る。
「まっさらで、使いやすかった」
「……え」
「少し勉強した方がいいんじゃないのか?」
右の口角だけくいっと上げて、目を細めていやらしい溜息をつく。
「っく……悪かったわね」
どうせ勉強してないまっさらな教科書使ってるわよ!
私の頭の中の消しゴムよ、昔のかわいいイブキくんを残して、今のコイツの嫌な笑顔をすぐさま消してくれ。
「じゃあ」
沸々とこみ上げる怒りを両手にぐっと込めて握り締める私の横を、涼しい顔した北原が追い越していく。
やっぱり、考えられない!
ホリちゃんがこんなやつと付き合うか?
そんな男に、別の本命の女がいるなんて……。
彼女って、一体どんな神経してコイツと付き合ってんだろう。
遠ざかる背中を睨みつけながら、私は考えをめぐらせていた。
『先輩を、助けて』
あの紙片に残っていた香奈の意識はそう言っていた。
恋する人を思うが為の、香奈の思い込みなの?
そうだとしても、彼女は今回、心に決めていたことを実行してしまった。
これ以上、何も無ければいいのだけど。
「桜井さん、よかった、今日は大鉢の植え替えをしようと思ってて。手伝ってもらえるかな?」
透き通った優しい声に、ふと我に返って声のするほうに振り返った。
私のぐちゃぐちゃになった頭と、北原のせいですさんだ心を癒してくれる、倉田先生の笑顔がそこにあった。
「はい」
自然と私も笑顔になって先生に駆け寄った。
香奈が言うように、私は本当の恋なんて、しない。
だけど、もしかしたら、これがそうなんじゃないかって思うことがある。
倉田先生といる時間が好き。
この時間がなきゃ、こんな学校すぐにでも辞めたいなんて考えたりして。
でも、これ以上、この感情が成長してしまうのが怖い。
今のままの状況を壊したくない。
「どうかした?」
顔を覗きこまれて、私は首を振った。
「人間の心って、面倒くさいなぁって思って」
半ば愚痴るように言うと、先生は微笑んだままうんと頷いた。
「そう、だから面白いんだよ」
ね、と念を押されて、なんとなく私は頷いてしまった。
面白い、そうなのかな。
そんな風に考えられるには、私はまだ時間がかかりそうだと思った。