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「ホリちゃんの本命は、アイツ?」
まさかねぇ、いくらなんでも、生徒に手、出したりするような人じゃないはずだ。
だけど、一生徒を、下の名前で呼ぶか?
三階の教室へ続く階段に向かいながら、ゆっくりと歩き出そうにも、私の頭の中からそのことが離れない。
確か、北原はホリちゃんに呼び出されたって言ってたし。
前にもこんなことがあったよね。
もしかして、本当に保健室で愛を育んでたりしないよねぇ……って。
「何考えてんの、私」
頭をブルブルと振って、くだらない妄想をかき消し、しっかりと前を向いて歩こうと思った瞬間、勢いよく走ってきた誰かにぶつかってしまった。
「きゃぁ」
「あ、ごめん」
めずらしくかわいい悲鳴を上げてしまって振り返ると、そこにいたのは。
「大丈夫?」
日に焼けた顔に白い歯がキラリ。
爽やかな笑顔で、サッカー部のユニフォーム。
一瞬、鼓動が大きく鳴った。
「はい」
彼が放つ眩しいオーラに、不覚にも思わずしおらしい声で、伏し目がちに頷いて、上目遣いで彼を見てしまう。
「よかった。じゃあね」
柔らかい声でそう告げて、目を細めて笑って、彼は私に背中を向けた。
香奈が、好きになった理由、ちょっとわかっちゃった気がする。
彼は、人気者になる条件を、本当に兼ね揃えてる。
だけど。
今日の体育館で、あの言葉を心に強く秘めていたのは、この人。
北原の横に立っていた、宮元先輩だ。
確かに声は彼から発せられていたけど。
だけど、こんな彼を見ていると、そんなこと信じられない。
なんとなく彼の背中を見送っていると、保健室の前で止まり、ドアをコンコンとノックした。
「……!!」
ちょ、ちょっと待って!
もし、私の想像が間違いないなら、今、宮元先輩にそのドアを開けさせてはいけない。
だけど、まさかね、センセイとセイトが学校内でそんなことするわけないし。
ましてやいつ誰が入ってくるともわからない状況で、何らかの行為をする勇気なんかないだろうし。
でも、ホリちゃん、スリルとサスペンスがどうのこうの言ってたっけ。
私がバカみたいに悩んでるうちに、先輩は、ドアノブをまわして、その扉を開けた。
「失礼します」
明るい声と共に、先輩は保健室の中へと消えていった。
たぶん……たった今、私にあんな爽やかな笑顔をくれた先輩が、いきなり強硬手段に出るとも思えないんだけど。
私は聞こえるわけでもないのに、足音を潜めながら階段へ続く廊下の壁に隠れて、そこから顔だけ覗かせて、保健室の様子をうかがった。
物音が聞こえることもなく、かといって、怒鳴り声がするわけでもなく。
あたりまえか。
そうそうスリルとサスペンスなんて、学校生活の中に転がっていてはこっちが困る。
だけど、さっきの集会で宮元先輩から聞こえてきたのは、あってはならない事を望む言葉だ。
その時、再びドアノブを回す音が聞こえて、私は頭を引っ込めた。
誰かが、出てくる。
まさか、殺人を終えた宮元先輩が血みどろで……。
と、そっとその人物を確認しようとしたときだった。
「心の中だけじゃなく、本当の覗きも趣味か?」
「ぎゃああっ!」
顔を出した目の前に、いきなり北原が現れて、私は絶叫した。
驚いて数歩下がったところで、保健室のドアが開き、ホリちゃんが顔を出したのが見えた。
「なんだ、しおりなの? なにやってんのよ。北原くん、しおりのこといじめないでよ。私の可愛い妹分なんだから」
ふん、と北原が鼻で笑ったのが上から聞こえてくる。
じゃあね、とホリちゃんはいつもの笑顔を残して、宮元先輩しかいない保健室という密室に姿を消した。
遠くから、誰かのおしゃべりする声が聞こえるものの、それが途切れてしまえばこの廊下はしんと静まり返る。
校舎の一階の隅にあたるこの廊下は、生徒の通りは少なかった。
保健室に用がない限りは、あまり私も通ることのない場所だ。
そんなところに、この、目つきも口も悪い北原と二人きり。
すっごく居心地がわるいんだけど。
「睨まれて、追い出されたよ」
「へ?」
「宮元先輩に」
北原の顔を見上げると、少し心配そうに保健室を見つめている。
そうだ、私がコイツと二人っきりでいることより、肝心なのは保健室で二人っきりになってしまったホリちゃんと宮元先輩。
「大丈夫かな……」
「とりあえず、俺はここで少し様子見るよ」
ということは。
さっきは馬鹿馬鹿しいなんて言ってた北原も、私の話、信じてくれてるのかな。
聞こうかどうしようかと迷って、じっと見上げる私を、北原はうるさそうに見下ろした。
「桜井に言われなくても、先生は少し気がついてたんだよ。俺も話聞かされてたし」
「そう、なの?」
ホリちゃん、宮元先輩がストーカーじゃないかってこと、気付いてたの?
でも、その前に、「話聞かされてた」って。
私でさえ冗談半分でしか聞かされてなかったことを、コイツはちゃんと聞いてたってこと?
本当に、コイツとホリちゃん、どういう関係なんだろう。
「桜井、さっき、聞こえたんだろ」
「えっ?」
「思い出したのか、俺のこと」
視線を保健室に戻して、ぶっきらぼうにそう聞いた。
「あ……うん」
強引にホリちゃんにつかまされた北原の腕から伝わった声。
たぶん、コイツが私を嫌う理由。
確かに、北原とは小学校一年生のとき、半年くらいクラスメイトだった。
コイツの言う通り、傷つけた私のほうは、こんなこと、ずっと忘れてた。