file3 「in mind」
「何、北原くん、過去にしおりに傷つけられちゃったの? 意外としおりも隅に置けないわねぇ」
ホリちゃんは、いい意味で、話をそらそうとしてくれたのかもしれないけど。
だけど、すごく心の奥に引っかかる……。
私が思い出すのを待ちかねたといわんばかりに、北原は首を傾げて私たちに背を向けた。
「そうだ!」
何か思いついて、ホリちゃんがポンと手を叩くと、ちらちらと私と彼を交互に見つめる。
嫌な、予感がする。
次に、強引に私の手を掴むと、ホリちゃんの声で、再び私のほうに振り返った北原の方へと引っ張っていく。
そして、にっこり白い歯をむき出して笑って、私の手を彼の腕につかませた。
予感、的中。
北原の腕から伝わる、一瞬の意識。
眩しい中にある、一つが強烈に飛び込んできた。
『せんせぇーっ、イブキくん、………ってぇ!』
えっ!?
彼の記憶の中にある、その声の主は。
……私だ。
驚いて声も出せずに彼の顔を見上げる。
すぐに眉間に深い皺を作って睨みつける北原は、思いきり私の手を払った。
思い、出した……。
子供の頃の、子供ならではの、素直で残酷な言葉。
って、それをコイツはずっと根に持ってたのか?
「ねぇねぇ、わかった?」
興味津々で私に腕を絡めて聞いてくるホリちゃんだけが、唯一楽しそうに笑ってる。
口元を歪めて、ちょっとだけ耳を赤くして、こっちを見ている北原と。
手を引っ込められないでいる私。
「わかんなかったよ、こんな一瞬じゃ」
あはは、と笑いながら、ホリちゃんを見上げる。
「えぇ? ホントに?」
と横目で北原を見ながら、そっと耳打ちされた。
「あとで、こっそり教えてよ。ね?」
左の頬がちょっとピクピク動いたけど、頷かないで、かわりに笑っとく。
彼の名誉のためにも、このキャラのためにも、誰にも言わないよ。
言えないよ。
北原は疑いの眼差しで私を見てる。
ちらっと目を合わせたものの、私はすぐに首ごと彼が視界に入らないよう動かした。
「先生、コイツのこと、あんまり信じない方がいいんじゃないですか。さっきの話だって、本当かどうかわからない。コイツが単に、彼を恨んでるだけかもしれないし。どっちにしろ馬鹿馬鹿しい話ですよ」
馬鹿馬鹿しい?
そうだよね、一般常識からいって、こんな私の言うことは馬鹿げてると思うけど。
悔しいから言い返そうと、口を開こうとしたとき、ホリちゃんの声が先に聞こえた。
「そう? 面白いと思うけど?」
その反応には、私も北原も一緒に呆れた。
ホリちゃんだけ、この状況をすんなり受け入れちゃってる。
私としては、有難いんだけど……。
「平和なだけじゃ、つまらないもんよ。スリルとサスペンスな高校教師生活も、たまにはいいじゃない?」
私の腕をほどいて、ねぇ、って言いながらまた笑う。
あんまりフォローになってないよ。
っていうか、ホリちゃんも、やっぱりホントは信じてくれてないのかな。
私も、あの声が本当に聞こえたのか、それとも頭がおかしくなって夢でもみたのか、自信なくなってきた。
気付かれないように息をつくと同時に、ホリちゃんが私の肩をぽんと叩いた。
「さぁ、落ち着いたんなら、そろそろ帰りなさい。みんな心配してるわよ、きっと」
「……うん」
「私は大丈夫だから。しおりに守ってもらうほど、ヤワじゃないから」
「わかった……」
そうだよね、ホリちゃんは私よりずっと大人だし。
酸いも甘いもそれなりに噛み分けてきた年齢だと思うし。
優しく肩に置かれた手が、私の背中を押す。
『信じてるわよ』
その意識に、思わず振り返ると、ホリちゃんが笑ってる。
「気をつけて帰ってね」
「うん」
ありがと、ホリちゃん。
私は背を向けて、ドアに向かって歩き出した。
でも……。
ホリちゃん、意図的に私に意識を送ってる。
さっき、腕を絡めてきたときは、意識が聞こえなかった。
だけど、北原のは勝手に入り込んできたし。
まだコントロールできてないってことだよね。
頭の中の扉を閉じる意識をして、私はドアノブに手をかけた。
「………」
大丈夫、何にも聞こえない。
こうやって、ちょっとずつ訓練すればなんとかなるかなぁ。
安心してドアノブをまわした時だった。
「ねぇ、伊吹……」
ん?
今、小さい声で、ホリちゃん、何て言った?
伊吹って、呼ばなかった……?
背中の向こうで、北原とホリちゃんが何か話してるのはわかるけど、はっきり内容までは聞こえてこない。
「どうしたの?」
身を縮めて固まって、二人の声に集中していた私に、ホリちゃんの声がした。
私はおもわず目を丸くして振り返る。
「あ、ああ、いや、失礼しまーす……」
二人の顔を交互に見ても、別に変わった表情じゃない。
首をかしげるホリちゃんに、どうしていいかわからず、私はヘラヘラと笑いながらドアを開けた。
そして再び中を覗きながらドアを閉めようとすると、北原にまた睨まれて慌てて顔を引っ込める。
パタンとドアを閉めて廊下に出たとたん、肩の力が抜けて、大きく開いた口から勝手に溜息が出た。
「なんか、疲れた……」
下校時間を迎えた校内は、生徒たちの明るい声が響いていた。