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Don't Touch!  作者: 鳴海 葵
Lesson4
122/127

file5-6++ side Ibuki

 三日目の朝、都子が言ったとおり、桜井はまるで本当に何もなかったように、けろりと目を覚ました。

 正確には、目を覚ました彼女に、俺が起こされた。


「北原っ……」


 確かに声がしたとベッドから顔を上げると、怪訝な顔で何度も瞬きする桜井が俺を見つめていた。


「何が、どーなってんの?」

「わ、わかった、とにかく今医者を呼ぶから待ってろよ!」


 自分の姿に呆然とする桜井を置いて、俺は病室を飛び出した。

 そんなことしなくても、ナースコールすれば良かったのに。

 廊下を急ぎ足で、いや、必死で走りながらも、俺の顔は嬉しくて笑ってたんじゃないかと思う。

 医者の診察が終わるまで、病室の外で待っている間も、もしかしたらまた意識を失くしてしまうんじゃないかと不安にもなった。

 ぐらぐらと揺れ動く感情、それを周りに悟られたくなくて、俺はいつも無表情を決め込んで。

 いつしかそれは、心の中さえ凍りつかせた。

 少しでも傷が深くならないように防御ばかり固めて、結局肝心なココロは弱いまま。

 すべてを飛び越えて俺の中に入ってくる桜井には、俺が作り上げてきたモノなんて無いも同然なのに。

 だから、もっと最初から、格好なんかつけずに曝け出せば良かったんだ。


「桜井さんには、念のために検査してもらって、異常がなければ退院ですね」


 母親以上離れているだろう、年配の看護師は俺にそう告げると、お疲れ様でしたと小さな声で言って背を向けた。

 病室を覗くと、まだ看護師が機器を片付けていて、その様子をぼんやりと見つめる桜井がベッドの上で座っている。

 彼女の視線が俺を見つけると、一瞬戸惑って、そして、笑った。

 桜井特有の強引な笑顔に、いつもなら呆れるところだけど、今日の俺はほっと息を吐いた。

 それから連絡を聞いて駆けつけた桜井の母親と一緒に、俺も彼女の検査に付き添った。

 何が出来るわけでもないけれど、そばにいたくて。


「迷惑かけて、ごめんなさい……」


 どこにも異常ナシ、一体何が起きていたのかわからないと首をかしげる医者から即退院していいと言われ、着替えを終えた桜井と俺は、夕方の閑散としたロビーの片隅で並んで座った。

 桜井を家まで送り届けることを条件に、彼女の母親には先に帰ってもらった。

 何があったのかと繰り返し聞く桜井に、三日前の出来事と入院した経緯を話すと、猫みたいに丸くつりあがった瞳が、申し訳なさそうに俺を下から見上げている。


「いや。それにしても、この三日間、人の気も知らないで、すやすやと気持ち良さそうに眠ってたな」


 いつものように反論するだろうと、わざとそんな言い方をしたのに、眉がぴくりと動くだけで、その表情がわずかに翳る。

 今日は、ずっとこうだ。

 無理に笑ったり、かと思えば何か考え込むように、その瞳は焦点を失って意識ごとどこかに消えてしまいそうで。

 俺は力なく置かれた桜井の手を、そっと握った。

 すると目を覚ましたように、彼女の視線が握られた手を見て、俺を見上げる。


「桜井は、どこまで覚えてる?」


 あの日の、ことを。

 俺の記憶が欠落している、あの時間のことを。


「俺、教室に入ってからのことは、何も思い出せないんだ。気がついたら、俺も桜井も床に倒れてた」


 そこまで言うと、俺を見ていたはずの視線が地面に落ちて、桜井は俯いた。

 触れている指先から、言葉にならない感情が伝わっているのだろうか。

 もしそうだとしたら、もう何も隠さないから、全部、聞いてほしい。


「桜井の夢、見たんだ」


 指先を握る手に力をこめると、桜井は顔を上げた。


「桜井、ごめん。俺、嘘ついてた」


 好きだと告げた時より、今のほうがずっと言葉が出てこない。

 必要以上の沈黙は、彼女を不安にさせるだけなのに、唇を噛んでは開いてを繰り返した。


「私も、北原に謝らなきゃいけないの」


 手の中にある桜井の指が向きを変えて俺の指にすがるように絡まり、彼女の声が静かに響いた。

 俺を伺うように見ていた瞳を伏せたかと思うと、次には真っ直ぐにこっちを見つめる。

 まずはあの日のことから、と無理な笑顔を見せるけれど、どこか悲しそうで。

 まるで俺の気持ちをすべて見透かされてるようで、胸の奥が痛い。

 桜井が、俺の謝る理由を知っているとしたら、やはりあれはただの夢ではなかったのだ。

 そして、戸惑う桜井の口から、ゆっくりと確かめるように語られる三日前の真実に愕然とする。

 一言ひとこと、俺の様子を見ながら話す桜井は、いつの間にか俺に向き合って、両手で包み込むように手を握っていた。


「あの時は、もうどうしたらいいかわらかなくて。南海先生に言われたように、私が北原の中に入ってどうにかしなきゃ、目が覚めないって思って。でも、もしかしたら他に手段があったのかもしれない。ほら、私、馬鹿だし……言われたことしか、できなくって。だから……」


 北原の、心の中を、みちゃったの。

 桜井はそう続けて、視線をそらした。


「その…あやのさんへの気持ち、とか。私のこと、すごく理解してくれようとしてるけど、でも、思うようにいかなくて、辛くなるほど悩んでるとか……見ちゃって、ごめんなさ」


 桜井が謝罪の言葉を言い終える前に、俺は彼女を抱きしめた。


「じゃあ、やっぱりあの時の桜井は、夢なんかじゃないんだな」


 だとすれば、ただ我侭な胸のうちをぶつけて、消えてしまえと強く願ったことを、桜井は知っている。

 酷く傷つけて、あんなにも悲しませた。


「ごめん」


 そう言う他に、何か言葉を探そうとしても、すべてはただの言い訳になってしまうような気がした。


「桜井、本当に、ごめん」


 強く抱きしめる腕から、桜井の体温が伝わる。

 呼吸、鼓動、まばたきの音すら、感じていたい。

 あんなに苦しいほどの喪失感を、もう二度と味わいたくない。

 だから、お願いだから。


「許して、ほしい」


 たとえ心の中だとはいえ、あれだけの気持ちを抱えていたことを。

 そして、それを桜井にぶつけてしまったことを。


「北原」


 桜井の手のひらが、俺の背中に触れた。


「どんなに良い子だって、本当にイイコトばかり考えてないもの。親切な人だって、時には誰かを恨んだり、愛し合うふたりだって、相手を嫌いになる瞬間があって当然だもん。私、ちゃんとそのこと、たぶん、誰よりも知ってるつもり」


 頑なな殻が静かにゆっくりと剥がれ落ちていく。

 外に出ることを拒んで、ただひたすらに閉じこもっていたあの時の俺が、恐る恐る光を浴びる。


「だから、そんなふうに謝ったりしないで。許して欲しいのは、私のほうだよ」


 背中の指がジャケットを握りしめる。

 桜井を抱きしめる腕の力を緩めると、スカートから伸びた彼女の膝に滴が落ちてはじけた。

 薄紅色の頬に手を触れこちらを向かせると、その瞳からもうひとつ、涙がこぼれる。


「桜井のこと、許さないわけ、ないだろ」


 もう、こんなふうに泣かせたりしない。

 弱い自分を不必要に隠したり、バカみたいに気取ったりするのは、止めだ。

 桜井にすべて曝け出そうとする俺の足を引っ張っていた、幼い頃の亡霊はもういない。

 涙を拭くと、桜井は歯を見せてにっこり笑った。


「ありがとう」


 じわりと胸の奥から体中に広がっていくのは、彼女を愛おしむ甘い気持ちと、感傷的な切なさが入り混じった複雑な想い。

 この苦しい感情を治めるには、ただ彼女を抱きしめればいい。


「これからも、ずっと、一緒にいよう」


 少し照れたように頷いた桜井を、包むように腕を伸ばした。


「それから、一日に一回は必ずこうしよう」

「……こ、こうするって?」

「だから、こうやって抱きしめるから」

「え、えぇっ!?」

「なんだよ、不満?」

「や、ううん、そうじゃないんだけど……」

「そばにいられない日はしょうがないけど、ケンカしても、口きかなくても、絶対、な?」

「……うん」


 顔を覗くと戸惑って頬を薄っすら赤く染めている。

 もしかしたら、今までにも見たことのある表情かもしれないのに、変化する度にそのひとつひとつに心を奪われる。


「桜井って、昔家に居たネコに似てる」

「え?」


 初めて祖父の家に迷い込んできた時は、つかまえようとした俺から逃げたくせに、翌日には足に背中を擦りつけて甘えてきた、透き通った青い瞳の真っ白なネコ。

 あの頃、ひねくれていた俺は、そいつにクロと名付けて可愛がっていた。

 クロが家に居つくようになるまで、俺との間には微妙な距離があって。

 心を俺に許したようで、まるでこっちの意識を読んだかのように、抱き上げようとすると逃げていく。

 それなのに、俺が淋しく落ち込んだ時にかぎって姿を見せて、そばにいてくれた。


「あの……白い、ネコ?」

「あぁ、そうか。桜井も、会ったんだな」


 あの、俺の意識の中で。


「似てるって、どうして?」

「……顔、かな」


 眉根を寄せて首をかしげる桜井を笑うと、俺は立ち上がって彼女の手を取った。


「帰ろう」

「うん」


 自動ドアの向こうに広がる世界は、いつもと変わらない日常を続けている。

 太陽が歪な地平線の向こうへ消え、新しい朝が来て、まるで全てが決められたように繰り返される日々も、確実に時は刻まれ、否が応でも押し出されるように前へ進まなきゃいけない。

 後ろを振り返って閉じこもりたくなる夜にも、彼女が隣にいてくれるなら、きっと越えられる気がする。

 どちらかが手を引くわけでもなく、ふたりで、一緒に。


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