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ああ、なんかダルイ、疲れた、眠い。
心の中でそんなふうに思いながら、私はいつもみんなに向かって笑顔をふりまく高校生活を送っていた。
毎日が退屈でも、それでよかった。
平凡で平坦で、欲しいものなど手に入らなくてよかった。
うわべだけのお付き合いも、面倒だけど余計な感情を左右されなくて無くて済むから嫌いじゃない。
だけど何か足りなくて。
欠けているものを見つけてしまえば、それが無くてはならないものになるのが怖くて。
それも、もう終わりだ。
本当に、身体が鉛のように重くダルイ。
冷たい地面に顔をつけていると、自分の弱い鼓動が聞こえる。
瞼を開いているのか、閉じているのか、それすらおぼろげで。
不意に身体を揺さぶられた。
誰かが、何かを叫んでる。
自分のものかどうかもわからなくなった身体を、暖かい空気が包んでくれる。
フラッシュバックのように次から次へと浮かんで消えるのは、「私」の姿。
こっちを睨んで口元を引きつらせて。
モノを言えずに、怒った顔で唇を噛んだり。
赤い顔してうつむいたり、切ない顔して誰かを見つめて、鼻水垂らしながら子供みたいに泣いてる。
そして、真剣に何かに視線を送ったあと、こっちを見て笑う。
拗ねたり、喜んだり、私自身も知らない、私の横顔。
『……桜井』
声が、遠くから聞こえた。
音が響くと、頭が割れそうに痛い。
呼ばないで、もう、起こさないで。
疲れたのは、あなただけじゃなくて、私だって。
『桜井』
耳障りな雑音混じりの声が、眠りかけた脳を揺さぶる。
私の鼓動に重なり、もうひとつの強く激しく脈打つ音が聞こえてくる。
遥か彼方にぼんやりと光が見えた。
『起きろよ、桜井……!』
さっきまで、私がそう呼んだって、起きてくれなかったくせに。
だから、シカトしてやろうと思った。
何より本当に眠い。
それなのに、私をイライラさせるほど、彼が私の名前を呼ぶ。
バカみたいに、必死になって。
「頼むから……目、覚ましてくれ」
泣いてるみたいな声で、耳元で囁くのが聞こえる。
重い瞼の隙間から差し込む眩い光に、上手く目を開けられない。
体中が痺れているみたいにピリピリと痛くて、動かすこともままならない。
「き……」
北原。
そう呼ぼうとしたのに、空気が抜けたような擦れた声しか出なかった。
でも、その声に気がついて、彼がすぐさま顔を上げた。
そんな情けない顔、するんだね。
目を真っ赤にして、口元を歪ませて。
私も、思い出した。
いぶきくんは、そんな顔して泣いてたよね?
「桜井」
暖かい手が頬を包んでくれると、現実に戻ってきたんだと確信する。
そして、北原は私を強く抱きしめた。
「桜井が、目の前から、消えて……いなくなる夢を見たんだ。」
体を離して、北原が私を覗き込んだ。
「何が、あった?」
覚えて、ないの?
話したいのに、聞きたいのに、私の体は言うことをきいてくれない。
眉根を寄せて、北原が口を開いた。
「教室に入ってきたところまでは思い出せるのに、それから何があったのか、よく覚えてないんだ。気がついたら、ここで倒れてて」
私の返事を待ったあと、答えられない私を見て静かに息を吐く。
「でも、良かった。もう起きないんじゃないかと思った」
そう言って微笑むと、もう一度、今度は優しく私を抱きしめる。
北原、ちゃんと帰ってきてくれたんだね。
ただ、それだけで、私は嬉しい。
たとえ、北原が私のことをあんなふうに思っていたと知っても。
それでも、本当に良かったと思ってる。
覚えていないとしても、謝らなくちゃ。
自ら閉じてしまうほど隠したい心の中を、目覚めさせるためとはいえ、覗いてしまったことを。
「桜井……ごめん」
再び闇に堕ちそうな意識を、北原の声が現実に繋ぐ。
「本当は、怖かったんだ。こうして、触れることが」
それ以上、もう何も言わないで。
わかってる、わかってるから。
涙なんか流す余力はないはずなのに、目尻から熱いものが頬を伝って落ちていく。
「どうしたらいいのか、わからなくなってた。でも……もう、離さないから」
苦しくなるほど抱きしめる腕の強さと、全身全霊で包み込もうとする優しさに甘えたいのに、耳鳴りが邪魔をする。
北原の記憶や意識が、まだ私の中でバラバラに散らばったまま混乱していた。
再び瞼を閉じると、そこには呆然と立ち尽くす「私」がいた。
何かを訴えながら泣いてる私が闇の中に消えると、代わりに不安が止め処なくあふれ出した。
自分自身と向き合う怖さなんて比べものにならない恐怖が、喪失感と共に訪れる。
心を繋いでいたものがぷつりと切れてしまうやるせない気持ちに、失くしたものを取り戻せと急かされる。
消えた「私」を探し出そうとする北原の感情が、ぐるぐる頭の中を駆けめぐった。
大丈夫、私はここにいるよ。
だから、もう泣かないで。
痺れの残る腕を持ち上げて、北原の髪に触れる。
ゆっくりと顔を上げた大好きな人を笑顔にしたくて、微笑んだつもりだった。
でも、そこで私の意識は時間切れの強制終了。
きっと、悲恋物語の最後、ヒロインが死んじゃった時みたいに、私の身体はだらりと力が抜けて、ヒーローはヒロインの名前を泣き叫ぶ、みたいな。
だったら、なんだか、笑えるのに。
それから、一気に幼い頃から今までの私の記憶が脳内を駆け巡った。
走馬灯って、こんな感じなんだろうか。
ぼんやりと、もしかしたら私は本当に死ぬのかもしれないと思った。