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「そんなに拗ねないの」
「だって、だって、なんか……」
このことをいつ打ち明けられたからといって、今の状況が変わったわけではないとわかっているのだけど、悔しさにも似た、複雑な感情がこみ上げる。
「私もね、高校生のころ、ちょっとだけつらい時期があったなぁ。やっぱりしおりみたいに好きな人ができて、どうしてもその人の気持ちが知りたくって。でもね、その人には他に好きな人がいたの。その気持ちを、この力を使って聞いてしまった時から、能力がコントロールできなくなったことがあって。きっとしっぺ返しね」
「今は、聞こえないの?」
「そうね。天梨を生んでからは、聞きたくても聞こえなくなっちゃった」
「女に遺伝するってことは」
「うん……まだわからないけど、たぶん天梨も、そうだと思う」
会って早々、まるで人のココロを読んだみたいに不安な顔して、元気を出してなんて言われたことにも納得がいく。
「はっきりとはわからないけど、すごく気がつく子なのよ。それも、自然にね。随分大人びた子だって言われるわ」
「私も、そう思った」
天梨の出産の時にも、お姉ちゃんは里帰りしていた。
生まれてから数ヶ月、天梨とは一緒にいたし、電話でほんのちょっとだけ会話にならないおしゃべりをしたことはあるけど、彼女にとって私はほぼ初対面だ。
それなのに、何か確かに通じるものがあった。
「いつか、天梨も、こんなにつらい思いするのかな……」
ぼそり、思わずそんな言葉がこぼれた。
お姉ちゃんがまた私の髪を撫でて、ふと笑った。
「ねぇしおり、彼、北原くんだっけ? 彼には、ちゃんとその南海先生のこと、相談してるの?」
私はお姉ちゃんの顔を見て、首を横に振った。
「どうして? 今までだって、ずっと助けてくれたんでしょ? しおりのこと、ちゃんとわかってくれてるんでしょ?」
「うん。……でも、なんていうか、大切な人だと想うようになってから、余計なことには巻き込みたくないって思っちゃって」
だから今日も。
本当は話そうとも思ったけど、結局やめてしまった。
「だめね」
「え?」
いきなり否定されて、お姉ちゃんを見ると、目を細めて睨まれた。
「付き合うってことは、もう相手を自分の人生に巻き込んでるってことよ。変な言い方だけど、相手だって、巻き込まれたいって思ってる。一緒にいろんなものを共有したいから、だから付き合うんでしょ? しおりは彼がつらい目にあってるのに、見て見ないふりなんてできる? 何とか助けてあげたいって思うでしょ?」
「……うん」
「だったら、彼に、今自分がどれだけ大変で、どうしたらいいかわからなくて、自分や周りの人間がどれだけ危険にさらされてるか、ちゃんと話してわかってもらわなくちゃ」
お姉ちゃんが言ってることは最もだと思う。
でも、もし私が南海先生のことを北原に話してしまったら、南海先生がどんな手段に出るのか想像するのも怖い。
「北原に、危険が及んでも……?」
「もうとっくに、彼には何が起きてもおかしくない状況だと思うわよ。彼を守りたいなら尚更、どんなことが起きる可能性があるのか、彼に伝えるべきよ」
首を縦に振って、私はソファにもたれた。
そして、今日南海先生が言っていたことを思い出す。
北原が、私の能力を知った上で付き合って、そしてココロの声を聞かれてしまうことに悩んでると、そう、言っていた。
私は、最近このことばかり、繰り返し何度も悩んでる。
大丈夫と言ってくれた北原を、信じてあげられていない。
お姉ちゃんが言うとおり、私がこんなままじゃ、だめなんだ。
「ちゃんと、話してみる」
もっと早く、そうしていれば良かったのかもしれない。
香奈や川島くんの時のように、すぐにすべてを打ち明けていれば、きっと今頃はふたりでなんとかしていたはずだ。
そう思うと、急に北原に会いたくなった。
「それにしても、南海先生も、淋しい人なのね」
少し声のトーンを落として、お姉ちゃんが呟くように言った。
目を細め、どこか遠くを見る横顔が、わずかに翳る。
「弱い人ほど虚勢を張るものよ。きっと、強い力で相手を押さえつけることでしか、愛情表現できないのね」
私の顔を見たお姉ちゃんは、にっこり笑ってから口を開いた。
「しおりって、男性からは包容力があるように見えるのね」
「えっ?」
「だって、話だけ聞いてると、しおりの彼も爆弾少年も、南海先生も、どこかみんな弱い部分を持ってて、しおりがそこを救ってくれると思ってるんじゃないかしら」
そんなの、周りの友達の誰からも言われたことなんてない。
意外なことを言われて目を丸くしていると、お姉ちゃんが小さく声を上げて笑った。
「いつまでも子供だと思ってたけど、ちゃんと女性に成長してきたのね、しおりも。姉としては淋しいような、でも、嬉しい、かな」
なんだかお姉ちゃんが私のことを買い被り過ぎてるような気がして、私は首をかしげた。
と、お姉ちゃんが私の手を取り、膨らみのある腹部に当てた。
「動いてる」
小さな声で言うと、私の手のひらにもわずかに振動が感じられた。
「わかった?」
「うん……」
伝わってくるのはそれだけじゃなく、確かに命を紡いでいるふたつの鼓動。
生命力溢れる無垢な存在が、お姉ちゃんの中で新しい世界に飛び出す時を待っている。
そして、その命を優しく包み込む、母親であるお姉ちゃんの意識。
お姉ちゃんが結婚して外国に行ってしまうと聞いたとき、とにかく不安で悲しくて、泣いた。
遠く離れてからも、電話やメールはしてたけど。
もう、お姉ちゃんは私だけのお姉ちゃんじゃないのに。
私が、こんなふうに相談事して、心配かけてる場合じゃないのだ。
「お姉ちゃん、ごめんね」
「ん?」
「今日着いたばかりで疲れてるのに、こんな話聞いてくれてありがとう」
「どういたしまして」
部屋に戻り際、明日の夜は私の話も聞いてねとお姉ちゃんが言って、私は頷いた。
明日。
北原に全部話そう。
不安で嫌な予感が消えないまま、私は階段を上がり自分の部屋に戻ると北原にメールした。
学校では、南海先生にどこで私の考えてることを聞かれているかわからないから、今ここで明日の約束をする。
すぐに短い返事がきて、私は静かに息を吐いた。