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いつものスーツじゃなくジャージ姿の彼は、なんだか同じ高校生に見える。
おそらく日曜の今日は、バスケ部の指導にあたっているのだろう。
だけど、雰囲気がいつもと違う気がするのは、その格好だけじゃない。
一番最初に、彼が私と同じ能力があるとわかった時に、疑うべきだったんだ。
でも、どうして?
「ずっと、会いたかったんだ。僕と同じ境遇にある人間に」
温室の扉を開いて立っていた南海先生が、ゆっくりと中に足を踏み入れる。
「もし、出会うことができたらって、いろんなことを考えてたんだ。でも、実際君に初めて会った時……今の君と同じで、怖くなった」
真っ直ぐに私を見つめていた視線が、行き場をなくして温室内をさまよい、初めて私たちが会った日に、彼が触れたアイビーで止まる。
そして、手を伸ばし、あの日のように指を触れた。
「正直、どうしたらいいのか、わからなかった。でも、なんとかこっちの存在を知られずに桜井さんの能力を確かめたくて。試したり、知らないなんて嘘を吐いてしまったことは、悪かったと思ってる」
黙っている私の様子を伺うように、躊躇いながらもう一度、南海先生が私を見つめた。
「本当に、返事をしてほしかったんだ。……淋しかったし、助けて、ほしい」
理由なんて、聞く必要がないと思った。
この能力を持っているが故の孤独を、私も知っている。
だけど。でも。
「もしかして、香奈のことも……」
あの声と、香奈の事件はどこかで繋がっているような気がしてならなかった。
意識の消された講義室のドア。
香奈の記憶がないことも、ホリちゃんがいつものように協力的でないことも。
すべて、普通では考えられないことばかりが続いていた。
用意周到に、私の行動をまるで読んでいるような、得体の知れない大きな存在。
悲しい瞳をした南海先生を、私は強く睨みつけた。
先生はただ私を見つめたまま、否定しなかった。
「私のことを、試すためだけに、あんなことを?」
思わず声を荒げて聞くと、こみ上げる怒りで身体が震えた。
「もし、そうだとして。あれだけ許せないって言ってたのに、犯人探しはやめてしまったんだね」
「べつに、やめたわけじゃ」
「助けを求めていた誰かの声も、無視した」
「それは……」
「責めてるわけじゃないよ。当然なんだ。誰もが自分の正義に適ったことしか手を出さない。だから、桜井さんのしてきたことは間違いじゃないんだよ。たとえ、下した判断が、万人にシアワセをもたらす結果にならなくても、ね」
悲しみに黒い影を落とした先生の視線が、私の胸の奥にしまいこんだ、その瞳の影と同じ色の思い出を引きずり出す。
このチカラを使い、生み出された現実に、傷つけられた人たち。
逆に、使うべきところで役に立てずに、救えなかった人たち。
だけど、私は正義の味方じゃない。
「先生は……私が返事をしなかったから、あんなことしたんですか。このチカラがあるのに、何もしなかったから?」
「そう、思うの?」
口角がにやりと歪んだように見えた。
いつもの、あの優しい笑顔の南海先生はいない。
香奈を探し出すときも、見つけたときも、翌日犯人探しに協力してくれると微笑んでくれたのも、全部、私を試すため。
彼の要求を受け入れなかった私への、腹いせのため……?
「先生が考えてること、私には理解できません」
「そうかな」
「そうです」
「桜井さんだって、誰かの気持ちを確かめるために、そのチカラを使うだろう? それが、相手にとって嬉しくないことだと知っていながら、自分の不安を打ち消すために」
「え……?」
「自分の欲求を満たすため、だけにね」
すぐに否定できない私が、ここにいる。
口をつぐみ、私は思わず目を伏せた。
「正しいと思ったなら、そう思い続けなきゃ、僕らは生きていけない」
感情を殺した声が、私の胸の奥を締め付ける。
そして、何かに足首をつかまれる感覚に、はっとして目をやった。
まるで私を逃がすまいと、南海先生から伸びた影が足元に絡みついている。
その影が近づき、大きくなると同時に、染み込むように伝わりはじめる強い感情。
「本当に、彼のことが、好き?」
「え……?」
「北原くん、だった?」
先生の口からその名前が出た瞬間、不安がよぎる。
「もう、そんなに大切な存在なんだね」
私の心を読んだのか、南海先生はそう言って瞼を伏せた。
「だったらなおさら、早く離れたほうがいい」
それは。
「どうしてなのか、僕が説明しなくても、君自身、もう気付いてるはずだ」
……そんなの、わからない。
「もっと愛情が深くなればなるほど、最後につく傷も深くなる」
逃げ出したいのに、身体が動かない。
大きく息をすると、ぎこちなく肩が上下した。
「僕らは、彼らと解り合うことなんて、できないんだよ」
「そんなこと……」
ない。
どこかに、そんな不安はある。
でも、北原なら、きっとわかってくれるって、信じてる。
……信じ、たい。
「僕にも、彼のように理解しようとしてくれたヒトがいたよ」
そう言って、先生は私の手を取り、自分の胸にあてる。
「全部、桜井さんには知ってほしい。君の不安な未来の答えが、そこにあるかもしれない」
咄嗟に手を引き戻そうとしたのに、私の身体は逆に先生に抱きしめられた。
もがくと同時に頭の中の扉を必死で閉じた……はずだった。
「いやっ……」
言葉に出した抵抗は、私の意識を飲み込む光の中に、先に消えていってしまったような気がした。
私なりの防御はしたつもりだった。
押し寄せる津波のように、その光は私をさらい、意識は深く暗い空間へと引きずりこまれていった。