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暗闇の意識の中、正面から強い風が吹きつけ、私は真っ白な世界に飲み込まれた。
授業中とだけあって、思いのほか雑音は大きくない。
無数のラジオが極小さなボリュームで流れているかのように、誰彼の意識が、私の中に流れ込んでくる。
その中から、あの香奈の意識を探せ。
「香奈……」
嫌な汗が額に滲む。
落ち着いて集中すれば、聞こえるはずだ。
この学校の中でも、私が本人の物だと判別できる意識は極わずかだし、それを見つけ出すのは難しいことじゃない。
『助けて……』
教室にいたときよりも、明確に聞こえる。
やっぱり、香奈の意識に間違いない。
閉じていた瞳を開き、私は辺りを見渡した。
「問題は、どうやってこの意識の発信源を探すか、よね」
私は自分のチカラの範囲を知らない。
実際に触れた人間の意識を読もうとすれば、たぶん、100%読めるだろう。
物に残った意識も、なんとか読み取ることができるし、こうして脳内の扉を開放すれば、近くにいる人間の意識が、彼らの頭の中の独り言が、楽しいおしゃべりみたいに聞こえてくる。
でも、実際その声が誰のものなのか、どこから聞こえてくるのか、見えない誰かを正確に特定することはできないのだ。
おそらくこの校舎内から聞こえてくるのは漠然と予想がつくけど、右か左か、上か下か……。
「役立たず……」
はがゆさに頭を抱える。
こんなんじゃ、ただのいやらしい覗きにしかならない。
私は唇を噛んだ。
「片っ端から当たるしかない、か」
悩んでる暇はない。
私は階段を駆け下りながら、無駄に金をかけて広い校舎を造った理事長を恨んだ。
香奈に近づけば、聞こえる意識のボリュームは大きくなるはずだ。
わずかに聞こえる声を頼りに、四階建ての校舎の三階から、ひとまず一階まで降りてみたものの、残念ながら声は遠くなる。
「ってことは、上、よね」
ここまま、ひとりじゃ、とても探しきれない。
北原の顔が浮かんだけど、授業中に呼び出すことなんてできないし。
川島くんも楠木くんだって、今は無理だ。
ホリちゃんに言えば大事になりそうだし……。
まわりを注意深く見渡しながら、私は廊下を足早に抜け、特別教室ばかりの別棟にさしかかった。
生徒達がいる教室で、香奈があんなに怯えた意識を発していることは考えにくい。
職員室にいれば、故意に隠されてない限り、誰かが気付くはずだ。
でなければ、この別棟にある誰もいない特別教室にいる可能性のほうが高い。
でも、どうして香奈が。
何の、ために。
ふと、どこかで、自分自身が誰かに動かされているような気がした。
あのこめかみを突き抜けるような痛みと、不思議な声が聞こえるようになってから、嫌な予感が、胸騒ぎが消えなかった。
見えない誰かが、私を試しているのなら。
だとしたら尚更、香奈を探さなくちゃ。
私は理科系の教室が並んでいる一階のドア、一枚一枚に両手で触れ、目を閉じ、残された幾つもの意識の中から、香奈のモノを探した。
額が熱くなり、冷たい汗がこめかみを伝う。
自身の動揺で集中が途切れないよう、意識を読み取るたびに、大きく深呼吸する。
最後のドアの意識を読み終えて、やはり一階は無駄足だったと、振り返り顔を上げると、向こうから小走りでこっちに向かってくる姿があった。
マズイ。
今の私は思いっきり挙動不審だし、保健室に連れて行かれて、ホリちゃんに事情を説明してる時間もない。
だけど、こんな時に限って、隠れる場所もないし!
「桜井、さん……?」
「……はい」
近寄ってきた影に、私は顔を上げる。
「こんなところで……どうしたの? 顔色、悪いよ」
「いや、あの……」
しかも、よりによって南海先生だ。
急いでいたのか、肩を大きく揺らしながら何度も大きく息をする。
昨日のことがあった今日で、ばつが悪くて私はうつむいた。
でも、それどころじゃないんだけど。
「……君にも、聞こえるの?」
「えっ……」
「助けを、呼ぶ声」
思わず顔を上げ、真っ直ぐに先生の瞳を覗く。
彼は、何て、言った?
「君にも、聞こえるんだね」
「何、が……」
聞くまでもなかった。
でも、そんなこと、あるわけない。
このヒトにも、意識が聞こえるというの?
身の危険を知らせるかのように、心臓が早鐘を打つ。
一瞬にして口の中がカラカラに乾いて、上手く言葉が出なかった。
「僕も、君と同じ。桜井さんの声も、僕には聞こえてる。僕も、他人の考えてることが聞こえるんだよ」
息を整えて、淡々と彼の口から語られたことを、私はすぐに飲み込めなかった。
私と同じチカラを、普通の人間にはない能力を、目の前の南海先生が持っているなんて。
「嘘……」
呟くように声を絞り出すと、唇が震えた。
「本当だよ。でも、詳しい話は後で。まずは、助けを求めてる声の主を探すのが先だろ?」
私を安心させるために作られた笑顔は、残念ながら効力を持たなかった。
だけど、南海先生の言うとおり、今は香奈を探すことが先だ。
「私の、クラスメイトの女の子で、三時間目から姿が見えなくなって……」
「桜井さんの友達?」
「はい」
「心当たりは? 他の誰かも、このことを知ってる?」
「いいえ……お昼休みに、香奈の…この声の子の彼が心配して私を訪ねてきたんですけど。彼もどこにいるのかわからないって。ケータイも繋がらないみたいで」
「そうか。おそらく、この別棟のどこかからだと僕も思うんだ。僕は二階を調べるから、桜井さんは、三階を頼むよ」
「……はい」
階段を駆け上がる南海先生の背中が見えなくなる。
もしかしたら、私は夢でも見ているのかもしれないと思った。
『た……す…けて……』
「……香奈」
必死に訴え続ける声に、再び私は集中する。
待ってて、すぐ、行くから。