婿養子
数週間後の放課後
「あ〜あ、よろしいわねグレイスは。今日も教室までお迎えに来て下さるのでしょう?」
「あら、ふふっ。バーバラにだって優しい許嫁様がいらっしゃるじゃない」
帰り仕度をしながらバーバラと雑談をしていた。
ルーファスはいつも教室まで迎えに来てくれる
今はその話題で揶揄おうとするバーバラをいなしていた。
楽しい。
やはり気のおけない親友っていいわ。
最近は気を張って、肩肘も張ってばかりの自分…
この会話に平穏な日常をグレイスは感じていた。
…平和だわ…この時間って心が癒される⋯
「グレイス!」
⋯⋯癒しの時ってこんなにも忽ち消滅するのね─
グレイスは振り向きざま、前と同じ言葉を返した。
「ラッセル侯爵令息。名前呼びはお控え下さい」
バーバラに視線を送る
目が合うと微かに頷き静かに教室を出て行った。
ルーファスを呼んて来て欲しい…意思が伝わったのだ。
さすがバーバラ。
教室には他にも数人いる
今日は取巻き令嬢も連れている。
前回の様な暴言は無い筈と判断してライアンと対峙する。
「何かご用でも?」
「この頃の情報からやっと君の気持ちが解ったので、君の悩みを聞いてあげたいと思ったんだ」
機嫌良さそうに笑う。
「わたくしの悩みとは?」
「あの男がどういう手段を使ってか知らないが、君の家に入り込んで立場を奪ったんだろう? ああ、それについては母上もご立腹なんだけどね。僕はそのせいで行き場の無くなった君を救ってあげたいんだ」
やけに饒舌…。ああ、噂を真に受けたのか⋯
何か情け無くなった。
「僕はもうすぐ侯爵家を継ぐ、侯爵になったら君の事を許すよ。だからアリスも解放してくれるね?」
グレイスは呆れて二の句が継げない。
「もちろん妻にするのはアリスだ。でも安心して欲しい、君の事も受け入れてもいいと思っているんだ」
手を拡げて言った。
不快感が湧き上がって来る
…自分を何様だと思っているのだろう
「いったい何をおっしゃっているのか理解できかねます」
ライアンは小首を傾げた。
「意味は分かるだろう?意地を張らなくてもいいよ。アリスに立場を奪われたくなくて必死だったんだね。だから行き場の無い君の事も娶るつもりでいるんだ」
ペラペラ喋る口が鬱陶しい
「母上のお許しも得たし…」
母上?
意図は読めていた。
だが余りにわたくし達姉妹を貶める発言だ。
…せっかく無視して聞き流して差し上げようとしたのに非常識な発言を繰り返すのね…
嫌悪と怒りで細かく震えて来ていた手を拳に握った。
そこに。
「よろしかったですわね。あなたを妾として娶ると言って下さってますのよ」
取巻き令嬢の一人が横から余計な口出しをした。
「それは下品なあなたのお望みでは!?」
頭に血の上ったグレイスは咄嗟に叫んでいた。
「わたくしは御免被りますわ。悍ましい!死んでもお断り致します!!」
ライアンを睨め上げた。
その時
硬く握った拳の手首あたりを少し冷たい手が優しく掴んだ。
「相手にするなと言っただろう?」
耳の傍で静かな声が聞こえた。
扉に背を向けて立っていたグレイス
入って来たルーファスに後から手首を握って引かれ、流れるように体を入れ替えて前に出た彼の背に庇われた。
そしてスッと前方に目を据える
ライアンと取巻き令嬢は立ち竦んだ。
教室にいた何人かもこちらを注目している。
泣き出したい気持ちと背に縋りつきたい気持ちを我慢してグレイスの手を握る片手を握り返した。
「ライアン殿。グレイスに何を言った?」
ルーファスは冷静だったが声に怒りを滲ませた。
「お前⋯。上手くやったつもりかも知れないが、お前の事は母上がお許しにならない。もの凄くお怒りになって、すぐに引摺り降ろすと御っていた」
ライアンが睨む。
「相変らずですね。常にお母上様お母上様と⋯」
鼻で笑った。
「お母上様無しでは何もお出来にならないなど…いっそ憐れな方だ…」
「お、お前なんかが僕に言い返すな!上手くやったと思い上がってるようだが僕はもうラッセル家の後継だ」
顔を赤くして怒鳴る
「すぐに侯爵になるんだ!侯爵家はお前ごときバートンよりずっと家格が上なんだ!」
鬱憤晴らしにいつも陰でなじっていた男…
俯向いて言い返しさえしなかった男が…!
僕に逆らうな!
─他には見せないライアンの側面が顔を出し始めた。
「なるほど⋯バレン伯殿も長々続けた後見をやっと降りられるのですね」
ルーファスは唇だけで笑った。
「長い当主不在でしたね…本当に長い。お祝い申し上げる…ライアン殿に次が務まるものならば、ですが」
ライアンは気色ばんだ。
「お前のせいだろ!お前がいたからだ。何を意味の分からない事を⋯」
「意味がお分かりにならない?」
僅かに首を傾げた。
「バレン伯爵は優秀な方だ。借金塗れのラッセル家を支えて来られた功績を皆が讃えています。その偉業が君に務まるのか?という懐疑です」
オーレリアの話を聞きバートン家の経営補佐を務めるうちラッセル家の危うさが理解出来た。
誰が手掛けようと侯爵家の経営は困難を極めるだろう。
「嘘だ!」
ライアンはますます激昂する。
「でたらめ言うな、母上はそんな事仰っていない!僕も不自由はした事が無い!」
まるで子供のようだ。
「だから⋯君のその分不相応な贅沢を支えて来られたバレン伯爵の手腕を褒め讃えているんです」
冷徹に言う一言毎に怒りを募らせるライアン
「う⋯うるさいっ!」
母親に甘やかされ本当に侯爵家の内情を知らないのだ。
「お、お前ごときが、そうだ!お前こそバートン伯爵家の後継
なんか務まるものか!」
もう怒鳴りっぱなしだ。
「僕が伯爵を継いであげる筈だったんだ…!出来損ないの放蕩者に僕の後釜なんか務まるものか!」
ルーファスは溜息を吐いた。
「後継を自ら棄てる愚行を犯しておいて聞いて呆れる。もちろん僕は与えられた立場は大切に致しますよ」
ライアンが唇をかんだ。
「バートン家は経営も安定し王の覚えもめでたい優良な伯爵家ですから…そちらの泥舟と違ってね」
「ど…泥舟とは何だ!ラッセルは由緒正しい名門だ、大叔母様は皇太后でいらっしゃるんだ!財政だって大丈夫に決まってる…」
ルーファスは更に冷やかな目になった。
「…御自分の家の事なのに、そこまで無知でいらしたんですね。まあ…バートンには関係無いのでいいですが…」
ライアンの声が怒りに震える
「…関係が無いわけないだろう、僕はバートンの娘を娶ってあげると言っているんだ…お前の言葉なんか信じない。そうだ…何人でも娶れる財力があるんだ」
「ほう…?でも、それは以前お断りした筈。バートン家の者は今後、僕が一切あなたと関わらせない」
「お、お前なんかに何が出来る…だって、だって母上がいいって!僕が好きな娘は何人娶ってもいいって仰ったんだ!」
ルーファスが眉間に皺を寄せた。
「財力があるんだ…!アリスもグレイスも、二人とも娶っていいと仰るんだから」
ルーファスの顔色がスッと変わった。
「⋯⋯今、何と言った…何と言ったんだ!?」
ルーファスの気迫に一瞬怯んだ様子を見せたがそれでもライアンは叫んだ。
「だから⋯だから!アリスもグレイスも僕がちゃんと…二人とも僕が娶ってやるんだっ!」
繰り返した。
「アリスとグレイスは絶対僕のものなんだ!」
癇癪を起こした幼子のようなこの発言…
そこにいた全員が凍りついた。
馬脚を現すとはこの事だ
この諍いで皆ライアンの正体に気付いたのだろう…取巻き令嬢ですら身体を引いた。
侮りと怒りを込めた声でルーファスは言った。
「驚くほど幼稚で無能な奴だな…大事な義妹のアリスをお前になんか渡すものか」
ライアンが目を剥いた「ま、まさかお前アリスを⋯」
「馬鹿を言うなこの下衆。義妹だと言った!」
一喝してから息を吐いた。
「思い違いをしてるようだが、僕はバートンの養子じゃない、婿養子だ⋯すなわち!」
ルーファスは堂々と言い放った。
「グレイスは僕の妻だ!」
長い沈黙が流れた気がした。
「…ライアン。お前ごときには渡さない」
静かに言った。
そして驚きと屈辱と怒りで蒼白になって黙ったライアンを一瞥した。
ルーファスはグレイスの肩を抱いて踵を返した。
ちらっと振り向いたグレイスにバーバラが小さく手を振っていた。
***
今回の噂は稲妻のように短期間で学園中に広まった。
あの美丈夫がバートン家の婿であった事。
そしてラッセル家の悪名高い長男と同一人物であった事。
ルーファスに向く熱い視線は無くなり煩い令嬢も消えた。
あれからライアンは数度登校した。
だが誰もが目を逸らし誰も話し掛けない…
あれ程いた取り巻き令嬢もきれいに姿を消した
噂とは…
気にする者にはこれ程にも打撃を与えるものなのか…
グレイスはそう思った。
ライアンが学園に姿を現さなくなったからだ。
グレイスは学園のレストランで皆とランチをとっていた。
集まる視線も以前より少ない気がした。
「かえって良かったんじゃないですか?ルーファス殿も過ごしやすそうですし」
トーマスも気楽そうに笑う。
「うん…学園では昔と同じように遠巻きにされて楽なんだが、ただ義父上が⋯」
萎れるルーファス。
あの日の出来事を報告した時
『確かに君はもう私の愛する息子だが、娘の夫と認めるまでの修行は茨の道と心得なさい』
と睨まれた。
「お父様のやきもちですわ。お母様が笑い転げてらしたもの」
アリスが笑う。
「アリスにもお見せしたかったわ教室でのあの勇姿。
頼もしかったですわよ、ねえグレイス」
バーバラの言葉にルーファスを見ると彼は直ぐに目を逸らした。
「嫌ですわ。お二人で目を見交わして赤い顔なさって」
バーバラが揶揄って皆が笑った…
大切な人達が皆、笑顔でいるって幸福なのね。
ラッセル家との関係ももう終わったんだわ。
後はパーティとかで会った時に多少気まずいくらい…
グレイスはこの時かなり楽天的だった。
数週間が過ぎ…
穏やかな日々は続いていた。
だがある日
突然貴族院からバートン伯爵へ召喚状が届いた。
事由は王族侮辱の疑いとあった。
意味も分からずバートン伯爵は指定日に貴族院の上院に出頭した。
帰邸した伯爵は気を揉みながら待っていた家族に吐き捨てた…
「あの女狐の浅はかな策略にそう安々と嵌る私ではない!」
珍しく激昂していた。
訴状の内容はバートン伯爵にすれば理不尽極まりないものだった。
──廃嫡された者を婿とし爵位を与えようとしている。
すなわち、王から与えられた爵位を蔑ろにした。
──長女を優遇し次女を虐待した。
すなわち、貴族の品位を欠き王の名誉を穢した。
「拠って王族侮辱罪を妥当とする …んだそうだ」
少し落ち着いたバートン伯爵が簡略して家族に説明した。
「婿の件は侯爵家の嫌がらせだと分かります。でも長女の優遇とは、次女の虐待とは?いったい…」
夫人の問いに伯爵は額に手を当て天を睨んだ。
「以前ラッセルが言った戯言を覚えているだろう?アリスとあの馬鹿息子が想い合っていると…」
顔を顰め吐き捨てた。
「それを妬む長女を優遇して次女に望まぬ結婚を押し付けたんだと…この私がだ!」
「そ、そんな馬鹿げた事。貴族院はそんな捏造を…審議に上げたという事ですの!?」
マーガレット夫人が悲鳴をあげた。
「皇太后だ…」
「皇太后が王に奏上し王が審議の依頼をした。アリスとあの馬鹿息子の結婚の王命を出せ、との依頼まで…」
アリスが怯えてグレイスに縋り付いた。
ルーファスは蒼白になっている。
「そんな事が罷り通ってたまるか!皇太后はもうお年だ、判断力も鈍る。可愛がっているヴィクトリアに上手く転がされたに決まっている!」
伯爵は立ち尽くすルーファスを手元に招いた。
「心配はない。王は皇太后の手前、審議の形をとっただけだ。…バートンを失って得る利は無いはずだからね」
安心させるような笑顔で俯向く顔を覗いた。
「君にはもう…意味が解るだろう?」
「…はい。王の真意は裁判で皆にバートンの優位性を示せと言う事ですね。ラッセルより価値があると⋯」
「うん…正解だ」
「しかしこんな問題も僕がいるから…僕のせいで面倒に巻き込んでしま⋯」
「やめて⋯ルーファス…!」
グレイスがその腕を両手で掴み頭を振った。
「そうだ…君に面倒をかけられた覚えは一切無いよ」
伯爵は何でも無いように言う。
「 本当に家格が高いのはヴィクトリア夫人の実家のスペンサーだ。ラッセルとバートンなら歴史も名誉も大差は無い」
不敵に笑う。
「むしろ王家と国への貢献度など我が家に敵う筈もない。…大丈夫だ」
ルーファスの肩を叩いた。
バートン伯爵は嫌疑を不服とし意義を唱えた。
後日、上院での決闘裁判となった。
ラッセル家の要求を王家が聞き入れ提訴した…
不自然な裁判である。
事情について関係者はあらかた承知していた。
〝 侯爵夫人の嫌がらせ 〟なだけの茶番裁判だとの認識が強かった。
だが裁判は裁判である。
正当に行われなければならない。
裁判初日
バートン伯爵は傍聴を希望した夫人とルーファスを伴って王宮に出頭して行った。
『王命での結婚』の話が衝撃で不安定なアリスに今、通学は無理だった。
心配したトーマスがアリスに付き添っている。
グレイスも不安だった。
だが勝気な一面が無理をさせた。
誰も通学しないのを〝 逃げ隠れしている 〟と思われかねないのが業腹だった。
一人学園へ向かったのである。
***
「こちらは気が気では無いのに、王様は玉座で気楽そうにしてらしたわね」
マーガレット夫人が恨めしそうに伯爵を見た。
「まあ、原告とはいえ進行は代理人がするし、王は議長と並んで眺めていれば済むからな」
法廷の昼休憩
午前中の審議を終え控室に居るバートン伯爵を訪ねていた。
いたたまれなさそうなルーファスに伯爵が目を遣った。
「審議は好調だ。気楽に傍聴してなさい…」
その直後
控えの侍従がバートン邸からの急報を伝えた。
「旦那様!お嬢様が…グレイス様が行方知れすだと!
朝、出られてからの行方が⋯」




