姉に婚約者を奪われた第三王女クララは、追放された先で薬草の知識を使って活躍し、姉たちに復讐する!
第1話 婚約者を奪われた第三王女
ネーデルランド王国の王宮――春の午後。
王宮の奥にある薬草園には、柔らかな陽光が降り注いでいた。
色とりどりの薬草が風に揺れ、甘く静かな香りを漂わせている。
その薬草園で、ひとりの少女が丁寧に葉を摘んでいた。
第三王女――クララ=ネーデルランド。
栗色の髪を肩まで伸ばした、穏やかな雰囲気の少女だ。年は十七。
王女でありながら社交界にはほとんど姿を見せず、王宮では「変わり者の王女」とささやかれていた。
「この葉は乾燥させて……こちらは粉末にすれば解熱薬になるわね」
クララは小さく微笑む。
彼女は薬草が好きだった。
亡き母から教わった、大切な知識だからだ。
母は隣国から嫁いできた側室だった。
優しく、穏やかで、そして薬草に詳しい女性だった。
クララは幼い頃、母と一緒に薬草園で過ごすのが何より好きだった。
だが――。
母は数年前、病で亡くなった。
それ以来、王宮でクララを守ってくれる者はいない。
「……でも、この薬草なら、きっと多くの人を助けられる」
クララは薬草にそっと手をかざす。
淡い光が葉を包み込んだ。
――治癒魔法。
母から受け継いだ、不思議な力だった。
この魔法を薬草に込めると、普通の薬では作れないほど強力な薬ができる。
実際、この力は一度だけ王国を救っていた。
去年の冬――。
城下町で恐ろしい病が流行したのだ。
高熱と咳が止まらず、多くの人が倒れた。
医師たちも原因が分からず、王宮は大騒ぎになった。
その時。
クララは母から教わった薬草と治癒魔法で薬を作った。
その薬を城下町へ届けたところ――
多くの人々が回復した。
町は歓喜に包まれた。
しかし。
その手柄は――
「第二王女イリス様のご尽力です!」
王宮の医師がそう発表したのだ。
王宮の広間で、王妃が満足そうにうなずく。
隣には第二王女イリス。
金髪で美しく、華やかな少女だった。
「民を救えたのなら、それでよかったわ」
イリスは優雅に微笑む。
だが――
その薬を作ったのはクララだった。
クララは何も言えなかった。
言えば、王妃に逆らうことになる。
王宮では、王妃の言葉がすべてだったからだ。
それ以来、クララは静かに薬草園で暮らしていた。
そして――
「王女殿下、そんなものに触れてはいけません」
背後から冷たい声が響いた。
振り向くと、王宮医師が腕を組んで立っていた。
「そんな民間の薬草など、王宮の医療には不要です」
「でも、この薬は――」
「おやめください」
ぴしゃりと言われた。
「王宮には正式な薬があります。王女が勝手に薬を作るなど身分にふさわしくありません」
クララは言葉を失う。
この医師は王妃の側近だった。
クララの薬は、王宮では認められていない。
「……わかりました」
クララは小さく頭を下げた。
その時だった。
王宮の回廊の方から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だった。
クララは思わずそちらを見る。
そして――
「……え?」
息を呑んだ。
そこにいたのは――
第二王女イリス。
そして。
クララの婚約者。
公爵令息アバレロだった。
二人は庭園の木陰に立っていた。
距離が、異様に近い。
そして次の瞬間。
イリスが背伸びをして――
アバレロにキスをした。
「……!」
クララの頭が真っ白になる。
「お、お姉様……?」
声が震えた。
二人が振り向く。
イリスは一瞬驚いたが、すぐに微笑んだ。
「あら、クララじゃない」
「ど、どういうことですか!?」
クララは駆け寄る。
「アバレロ様は、わたくしの婚約者です!」
しかしアバレロは困ったように言った。
「クララ……落ち着いてくれ」
「落ち着いてなんて――!」
その時、イリスが笑った。
「仕方ないじゃない」
「え?」
「あなたより、わたくしの方が魅力的なんですもの」
金髪をかき上げる。
「それに、わたくし最近婚約破棄されたばかりなの」
隣国王子との婚約破棄は、王宮中の噂だった。
「だから新しい婚約者が必要だったのよ」
「ね、アバレロ?」
「あ、ああ……」
クララの胸が締めつけられる。
「そんな……」
その時。
「クララ、何を騒いでいるのです」
冷たい声が響いた。
王妃だった。
クララは必死に訴える。
「お姉様が、わたくしの婚約者を――」
「黙りなさい」
一言で遮られた。
「あなたのような側室の娘が王族として振る舞うこと自体が間違いなのです」
「……!」
「それに聞きましたよ。王宮で勝手に薬を作っているとか」
王妃の目が細くなる。
「そんな怪しい薬を広めれば王家の名誉が傷つきます」
「違います!」
クララは叫んだ。
「この薬は人を助けるための――」
「十分です」
王妃は冷たく言った。
その時。
重々しい声が響いた。
「もうよい」
振り向くと――
国王が立っていた。
王妃の隣で、冷たい目をしている。
「クララ」
「父上……」
「王族としての品位を汚した」
そして、言い放った。
「国外追放とする」
世界が止まった。
「……え?」
「兵士、この娘を王宮から追い出せ」
誰も助けてくれなかった。
王宮の人々は、ただ目をそらすだけだった。
こうして――
第三王女クララは王宮を追放された。
荷物はほとんど持たされなかった。
ただ一つ。
薬草園に立ち寄ることだけ許された。
クララは薬草を見つめる。
「……みんな、ごめんね」
その時。
頭の奥がずきりと痛んだ。
――クラクション。
――ヘッドライト。
――倒れる身体。
「……え?」
知らないはずの記憶が流れ込む。
理解する。
これは前世の記憶だ。
三十五歳の女性。
花屋で働く普通の人間。
子犬を助けようとして車にはねられた。
「……転生?」
クララは呟いた。
そして立ち上がる。
「お姉様……」
瞳が静かに燃えた。
「このままでは終わりません」
薬草の知識。
治癒魔法。
前世の知恵。
「必ず、見返してみせます」
その時、母の言葉を思い出した。
――もし何かあったら。
――母の国を訪ねなさい。
母の姉が嫁いだ家。
スペイラ帝国サンジェルア伯爵家。
「そこへ行こう」
クララは歩き出した。
そして――
追放された王女の新しい人生は、
国境の町サンジャンから始まるのだった。
第2話 母の遺言と新たな旅
王宮を追放されたクララは、最後に薬草園へ立ち寄った。
長年世話をしてきた場所だ。
緑の香りが、胸を締めつける。
「……ごめんなさい」
クララは静かに膝をついた。
そして袋を取り出すと、大切に育てていた薬草の種を少しずつ集め始めた。
薬そのものは持ち出せない。
だが――種があれば、どこでも育てられる。
「王女様……」
振り向くと、庭師の老人が立っていた。
「もう王女じゃありません」
クララは苦笑する。
「クララでいいです」
老人は寂しそうにうなずいた。
「薬草園は、わしが守ります」
「ありがとうございます」
クララは深く頭を下げた。
そして、その時――
ふと母の言葉を思い出した。
――もし何かあったら。
――母の国を訪ねなさい。
母は隣国の聖女だった。
そして母には姉がいた。
その姉が嫁いだ家――
スペイラ帝国のサンジェルア伯爵家。
「そこへ行けば、きっと助けてもらえる……」
クララは小さくつぶやいた。
こうして彼女は、スペイラ帝国へ向かう馬車に乗ることになった。
しかし――
旅の途中で、思いがけない話を聞くことになる。
馬車の中には、若い冒険者の兄妹が乗っていた。
兄のマークと、妹のライムだ。
「え?」
クララは思わず声を上げた。
「サンジェルア伯爵家が……取りつぶし?」
「ああ」
マークは申し訳なさそうにうなずく。
「去年、政争に巻き込まれてな」
クララの顔が青ざめた。
頼る場所が消えたのだ。
「そんな……」
しかしライムが言った。
「でもね!」
「?」
「その伯爵家の娘さんが、帝都で商会をやってるって聞いたよ」
「商会?」
「エマパワーストーン商会っていうんだって」
クララの胸に、かすかな希望が灯る。
「帝都……マドリーヌ」
だが問題があった。
旅費が足りないのだ。
するとマークが笑った。
「なら、いい方法がある」
「?」
「国境の町サンジャンで稼げばいい」
ライムもうなずく。
「冒険者の依頼も多い町なんだ」
さらに、そこには――
「サンジェルア家の商会の支店もあるよ」
クララの目が輝いた。
「本当ですか?」
「ああ」
こうしてクララは決めた。
まずはサンジャンへ行く。
そこで働き、帝都の商会へ連絡してもらうのだ。
数日後。
馬車は国境の町サンジャンに到着した。
活気のある町だった。
冒険者、商人、旅人が行き交う。
「今日はここに泊まろう」
マークが指差す。
看板には猫の耳が描かれていた。
「猫耳亭だ」
クララは小さく笑った。
「かわいい名前ですね」
こうして――
追放された王女クララの新しい人生は、
国境の町サンジャンから始まるのだった。
第3話 エマパワーストーン商会
国境の町サンジャンの朝は早い。
商人の荷馬車が行き交い、冒険者たちが酒場から出てくる。
クララはマークとライムに教えてもらった場所へ向かっていた。
通りの角に、青い看板が見える。
そこには大きくこう書かれていた。
エマパワーストーン商会 サンジャン支店
「ここ……」
クララは胸が少し高鳴るのを感じた。
扉を押して中に入ると、店内には宝石や魔石、薬草、薬瓶などが整然と並んでいる。
商会というより、魔法の店のようだった。
「いらっしゃいませ」
明るい声がした。
振り向くと、金髪の若者が立っていた。
年は十九歳ほどだろうか。
爽やかな笑顔の青年だった。
「エマパワーストーン商会へようこそ。私は店員のジュリエットです」
「クララと申します」
クララは少し緊張しながら言った。
「少しお聞きしたいことがあって……」
「はい?」
「この商会の主のエマ様に、連絡を取ることはできますか?」
ジュリエットが少し首を傾げる。
「エマ様に?」
「実は……従姉なのです」
「え?」
ジュリエットは目を丸くした。
その時だった。
店の奥から低い声が響いた。
「どうしましたか」
白髪の老人がゆっくり歩いてくる。
背筋の伸びた、品のある老人だった。
「店長」
ジュリエットが振り向く。
「この方、エマ様の従姉だそうです」
「……ほう?」
老人はクララをじっと見た。
「私は店長のトーマスです」
「クララです」
クララは丁寧に頭を下げた。
「母がエマの母と姉妹でした」
トーマスの目が少し見開かれる。
「隣国ネーデルランド……」
「はい」
クララは静かにうなずいた。
しばらく沈黙が流れた。
やがてトーマスが言った。
「なるほど……」
「?」
「エマ様から聞いております」
クララは驚いた。
「え?」
「ネーデルランドに従姉がいると」
トーマスは穏やかに笑った。
「では、手紙を送りましょう」
「本当ですか!」
クララの目が輝いた。
「帝都マドリーヌの本店へ届けます」
「ありがとうございます!」
クララは深く頭を下げた。
その時トーマスが言った。
「ところで」
「?」
「お仕事をお探しではありませんか」
クララは驚いた。
「どうして……?」
「旅人の顔を見れば分かります」
トーマスは微笑んだ。
「何か特技は?」
クララは少し考えて言った。
「薬草の知識があります」
ジュリエットがぱっと顔を上げる。
「それは助かります!」
「え?」
「うちの商会でも薬草を扱っているんです」
トーマスもうなずく。
「ちょうど人手が欲しかった」
クララは信じられない思いだった。
追放されたばかりなのに。
こんなに早く仕事が見つかるなんて。
「働かせていただけますか?」
「もちろんです」
トーマスは優しく言った。
「歓迎しますよ」
クララは深く頭を下げた。
こうして――
追放された王女は、
商会の薬草係として働くことになった。
そしてこの町で、
新しい人生が始まるのだった。
第4話 エマ薬草園
サンジャンでの生活は、クララにとって驚きの連続だった。
朝。
商会に薬草が届く。
クララはそれを丁寧に仕分けする。
「この葉は乾燥」
「これは煎じ薬」
「この根は粉末」
ジュリエットは目を丸くした。
「すごいですね」
「え?」
「こんなに詳しい人、初めて見ました」
クララは少し照れた。
亡き母から教わった知識だ。
それだけではない。
クララはこっそり治癒魔法を薬草に込めていた。
すると――
薬の効き目が格段に上がるのだ。
その日の午後。
トーマスが言った。
「クララさん」
「はい?」
「少し来てください」
連れていかれたのは町の外だった。
丘の上に広がる畑。
そこには無数の薬草が育っていた。
「ここは……」
「エマ様の薬草園です」
クララは息を呑んだ。
広大だった。
見たことのない薬草もある。
「どうです?」
トーマスが言う。
「ここに住んでみませんか」
「え?」
「薬草園の管理を手伝ってほしい」
クララは驚いた。
「でも……」
「住む場所もあります」
丘の上には小さな家があった。
その時だった。
「おや、新しい子かい?」
声がした。
振り向くと、小柄なお婆さんが立っていた。
白髪で、腰が曲がっている。
「この方は?」
クララが聞く。
トーマスは笑った。
「薬草園の主です」
「マリー婆さんですよ」
マリーはクララをじっと見た。
「ふむ……」
「?」
「薬草の匂いがする」
クララは驚いた。
「分かるんですか?」
「長年やってりゃ分かるさ」
マリーは笑った。
「いいよ、ここに住みな」
「ありがとうございます!」
こうしてクララは薬草園へ引っ越すことになった。
そして数日後。
丘の道を二人の人影が登ってきた。
「クララさーん!」
クララは振り向いた。
「マークさん!」
「ライム!」
二人は笑顔で手を振っていた。
「遊びに来たよ!」
クララは嬉しくなった。
サンジャンで出来た、初めての友達だった。
その夜。
クララは星空を見上げる。
「エマ……」
まだ返事は来ない。
それでも――
ここには居場所がある。
クララは静かに微笑んだ。
第5話 病弱な公爵次男
ある日の午後。
薬草園に馬車がやってきた。
立派な紋章が刻まれている。
降りてきたのは金髪の少年だった。
年は十八歳ほど。
青白い顔をしている。
その後ろには中年の従者。
「マリー殿」
従者が声をかけた。
「薬草を分けていただいた礼に参りました」
マリーが現れる。
「ああ、あんたかい」
少年が一歩前に出た。
「フラヒールです」
「マドリーレ公爵家の次男です」
クララは驚いた。
公爵家。
かなりの貴族だ。
フラヒールは少し咳き込んだ。
体が弱いのだろう。
従者ドンテが説明する。
「若様は持病がありまして」
「この薬草園の薬しか効かないのです」
マリーはうなずいた。
「煎じて飲めばいい」
その時。
クララは薬草を見て思った。
(これに聖魔法をかけたら……)
試してみたい。
クララはそっと薬草に手をかざす。
淡い光が宿る。
そして――
薬を煎じてフラヒールに渡した。
「どうぞ」
フラヒールは一口飲む。
そして――
目を見開いた。
「これは……!」
「どうしました?」
ドンテが聞く。
フラヒールは驚いた顔で言った。
「今までの薬より、ずっと楽です」
「え?」
「呼吸が……軽い」
ドンテも驚いた。
「そんなはずは」
フラヒールはクララを見た。
「あなたが作ったのですか?」
「はい」
「すごい……」
フラヒールの目が輝いた。
「こんな薬は初めてです」
クララは少し戸惑った。
だがフラヒールは言った。
「もっと知りたい」
「?」
「あなたの薬のことを」
こうして――
薬草園での出会いが、
新しい運命を動かし始めたのだった。
第6話 エマからの手紙
サンジャンの丘の上――エマ薬草園。
朝露に濡れた薬草が、やわらかな風に揺れていた。
クララは籠を抱えながら畑を歩いている。
「この葉はそろそろ収穫ね……」
マリー婆さんに教わりながら働く日々は、とても忙しい。
だが――
嫌ではなかった。
王宮にいた頃より、ずっと充実している。
その時だった。
「クララさーん!」
丘の下から声が響いた。
ジュリエットだった。
彼は息を切らして走ってくる。
「どうしたの?」
クララが尋ねると、ジュリエットは大きく手紙を掲げた。
「帝都からです!」
「え?」
クララの胸が大きく跳ねた。
「まさか……」
ジュリエットはにっこり笑う。
「エマ様からですよ」
「!」
クララは震える手で手紙を受け取った。
封蝋には、見たことのない紋章が押されている。
だが――
どこか母の面影を感じる。
ゆっくりと封を切る。
中には丁寧な文字が並んでいた。
――クララへ。
――あなたの手紙を受け取りました。
――まず、生きていてくれてありがとう。
クララの目が大きく見開かれる。
――あなたの母は、わたしの大切な叔母でした。
――そして、あなたのことも幼い頃から聞いていました。
――ネーデルランド王宮で辛い思いをしているのではないかと、ずっと心配していたのです。
クララの胸が熱くなる。
――まず、はっきり伝えます。
――あなたは、決して「ただの側室の娘」ではありません。
「……え?」
クララは思わず声を漏らした。
――あなたの母は、聖女の一族です。
――そしてその血は、あなたにも流れています。
クララの指が震える。
――聖女の血を持つ者は、癒しの奇跡を起こす力を持つ。
――あなたが薬草に魔法を込められるのも、その力です。
クララは思い出していた。
薬草に魔法を込めた時。
フラヒールの薬が何倍も効いたこと。
――そしてもう一つ。
――あなたの母は、ネーデルランド王に正式に迎えられるはずでした。
「え……?」
――しかし王妃の陰謀で、それは取り消されたのです。
クララの視界が揺れる。
――つまり、本来あなたは正妃の娘として扱われるべき存在でした。
「……そんな」
クララは椅子に座り込んだ。
知らなかった。
そんなこと――
母は何も言わなかった。
――詳しい話は帝都でしましょう。
――あなたが望むなら、私の商会で働くこともできます。
――そして……いつか真実を取り戻しましょう。
最後に、こう書かれていた。
――愛する従妹へ。
――エマより。
クララの頬を涙が伝った。
「お母様……」
その時だった。
「大丈夫ですか?」
声がした。
振り向くと、そこにはフラヒールが立っていた。
今日も従者ドンテと一緒だった。
「フラヒール様……」
クララは慌てて立ち上がる。
フラヒールは優しく微笑んだ。
「顔色が悪い」
「いえ……」
「何かありましたか?」
クララは少し迷った。
だが――
なぜか、この人には話してもいい気がした。
「手紙が届いたんです」
「手紙?」
「従姉から」
フラヒールは静かに聞いていた。
クララは少しだけ事情を話す。
王宮で追放されたこと。
母のこと。
聖女の血のこと。
すべてを聞いた後、フラヒールは静かに言った。
「やはり」
「え?」
「あなたは普通の人ではないと思っていました」
クララは苦笑する。
「そんなこと……」
「あります」
フラヒールは真剣だった。
「あなたの薬は特別です」
そして少し照れたように笑う。
「実は、あの薬のおかげで最近とても体調がいい」
「本当ですか?」
「ええ」
フラヒールは空を見上げた。
「こんなに楽に呼吸できるのは、初めてかもしれない」
クララは嬉しくなった。
誰かの役に立てる。
それだけで、胸が温かくなる。
その時、フラヒールが言った。
「クララ」
「?」
「あなたが帝都へ行くなら」
少し間を置いて言う。
「僕も協力します」
「え?」
「マドリーレ公爵家は帝都でも力があります」
クララは驚いた。
「どうしてそこまで……」
フラヒールは少し笑った。
「恩返しですよ」
「?」
「命を救ってもらったんですから」
クララは首を振る。
「大げさです」
「いいえ」
フラヒールは真剣な目で言った。
「それに――」
少しだけ言葉を止める。
「あなたに興味があります」
「え?」
クララの頬が少し赤くなった。
フラヒールは咳払いをした。
「薬師としてです」
「……そうですよね」
二人は少しだけ笑った。
丘の上に風が吹く。
薬草が揺れた。
クララは手紙を胸に抱いた。
(帝都……)
そこには、真実がある。
そして――
新しい運命も。
こうして。
追放された王女クララの物語は、
さらに大きく動き始めるのだった。
第7話 疫病の真実と王宮の崩壊
その頃――
ネーデルランド王国では、再び不穏な空気が広がっていた。
城下町の診療所。
医師が青ざめた顔で叫ぶ。
「まただ……!」
ベッドには高熱にうなされる患者が横たわっている。
激しい咳。
赤黒い発疹。
そして呼吸困難。
去年とまったく同じ症状だった。
「まさか……あの疫病が……!」
知らせは瞬く間に王宮へ届いた。
◇
王宮の会議室。
重臣たちが集められていた。
宰相が報告する。
「城下町で疫病が確認されました」
国王が眉をひそめる。
「去年と同じものか?」
「はい」
すると王妃が自信ありげに微笑んだ。
「それなら問題ありません」
隣に立つ第二王女イリスも優雅にうなずく。
「去年と同じ薬を配ればよいだけですわ」
重臣たちも安堵した。
去年、この疫病は短期間で収束した。
その功績は――
第二王女イリスのものとされていたからだ。
「すぐに薬を作らせなさい」
国王が命じる。
王宮医師たちは慌てて薬の調合を始めた。
去年の記録を頼りに、同じ薬を作る。
そして数日後。
薬は城下町へ配られた。
しかし――
三日後。
再び報告が届く。
「へ、陛下!」
兵士が転がり込んできた。
「患者が減りません!」
「なに?」
「むしろ増えています!」
部屋がざわめく。
王妃が顔をしかめた。
「薬は配ったのでしょう?」
「は、はい!」
兵士は震えながら答える。
「ですが……まったく効きません!」
「ばかな!」
国王が立ち上がる。
宰相が冷静に言った。
「去年と同じ薬なのですか?」
王宮医師が慌てて答える。
「ま、間違いありません!」
「しかし効かない……」
沈黙が落ちた。
その時だった。
一人の老医師が恐る恐る口を開いた。
「もしかすると……」
「なんだ」
「去年の薬は……」
額に汗を浮かべながら言う。
「第二王女殿下が作ったものではないのでは……」
部屋が凍りついた。
王妃の目が鋭くなる。
「どういう意味です」
老医師は震えながら言った。
「去年、薬を作ったのは――」
そして絞り出す。
「第三王女クララ様だったと……聞いたことがあります」
「……!」
国王の顔色が変わる。
宰相が目を見開いた。
「それは本当か?」
「王宮の薬草園で作られた薬でした」
「クララ様は薬草に詳しく……」
「その薬が町に運ばれたと……」
言葉はそこで止まった。
全員が同じ事実に気づいたからだ。
去年、疫病を止めた薬。
それは――
クララが作ったものだった。
国王の顔が真っ青になる。
「まさか……」
王妃が怒鳴った。
「馬鹿なことを言うな!」
しかし宰相が低い声で言う。
「陛下……」
「なんだ」
「もしそれが本当なら」
ゆっくりと言葉を続ける。
「クララ様を探さねばなりません」
「……」
「この疫病を止められるのは、彼女だけかもしれません」
国王の背中に冷たい汗が流れた。
あの時。
自分は――
クララを追放したのだ。
「……なんてことをしてくれたのだ」
国王は呆然と呟いた。
◇
しかし状況はさらに悪化した。
城下町では患者が急増。
街は混乱状態になった。
そして――
王宮でも感染者が出始めた。
ある朝。
侍女が悲鳴を上げた。
「王妃様!」
王妃はベッドの上で激しく咳き込んでいた。
高熱。
発疹。
典型的な症状だった。
「そ、そんな……」
王妃は鏡を見て凍りつく。
頬に赤黒い痣が浮かび始めていた。
同じ頃――
第二王女イリスも倒れた。
「いや……!」
鏡の前で悲鳴を上げる。
美しかった金髪が、束になって抜け落ちていた。
「嘘……嘘よ……!」
肌は荒れ、赤黒い斑点が広がっていく。
かつて「王国一の美姫」と呼ばれた姿は、跡形もなく崩れていた。
その様子を見ていたのは――
公爵令息アバレロだった。
「……」
彼は言葉を失った。
目の前にいるのは、以前の美しいイリスではない。
顔中に痣。
抜け落ちた髪。
荒れた皮膚。
あまりの変わりように、思わず一歩後ろへ下がってしまう。
その瞬間。
イリスが叫んだ。
「なによその顔!」
「い、いや……」
「あなた、私を見てぞっとしたでしょう!」
アバレロは何も言えなかった。
心の中では別のことを考えていた。
(どうして……)
(どうしてクララと別れてしまったんだ)
クララは優しかった。
穏やかで。
静かに微笑む少女だった。
それなのに――
自分はイリスの華やかさに目を奪われた。
(あの時……)
(クララを守っていれば……)
今さら後悔しても遅い。
しかも――
婚約はすでに正式に発表されている。
この状態で破棄すれば、公爵家の名誉は地に落ちる。
(終わった……)
アバレロは顔を覆った。
◇
一方、王宮の会議室。
宰相が重々しく言った。
「陛下」
「……」
「クララ様を探しましょう」
「……」
「このままでは国が滅びます」
国王は深くうなだれた。
かつて追放した娘。
その娘に、今さら助けを求めるしかない。
「……探せ」
震える声で命じる。
「必ず……クララを見つけ出せ」
しかし――
王国中を探しても。
クララの行方はわからなかった。
彼女はすでに、遠い国境の町で新しい人生を歩み始めているのだから。
そして――
ネーデルランド王国の疫病は、
さらに拡大していくのだった。
第8話 聖女の帰還
国境の町サンジャン――エマ薬草園。
ある朝、丘の下から慌ただしい馬の蹄の音が響いた。
マークが駆け上がってくる。
「クララさん!」
「マークさん?」
彼の顔は真っ青だった。
「ネーデルランド王国が大変なことになってる!」
クララの胸がざわめく。
「疫病ですか?」
「ああ。城下町どころか王宮まで広がってるらしい」
ライムも続けた。
「旅人の噂じゃ、死者も増えてるって……」
クララは言葉を失った。
やはり――。
去年と同じ疫病。
あの時、自分が作った薬がなければ止められない病だ。
しばらく沈黙が続いた。
やがてクララは静かに言った。
「……薬を作ります」
マークが驚く。
「え?」
「放っておけません」
ライムが戸惑った顔をする。
「でもクララさん、あの国に追放されたんだよ?」
「それでも」
クララは畑を見つめた。
風に揺れる薬草。
ここで育てた、大切な命だ。
「苦しんでいる人を助けたい」
それが――
母から教わった聖女の教えだった。
その時だった。
「僕も行きます」
低い声が響いた。
振り向くとフラヒールが立っていた。
従者ドンテも後ろにいる。
「フラヒール様?」
クララが驚く。
フラヒールは穏やかに言った。
「公爵家の馬車なら国境も越えられます」
「ですが……」
「それに」
彼は少し笑った。
「僕もあなたの薬を広めたい」
クララは少し考えた。
そしてうなずく。
「お願いします」
その日から薬作りが始まった。
マリー婆さんが薬草を集める。
クララが調合する。
そして――
聖女の力を込める。
淡い光が薬瓶の中で揺れた。
数日後。
大量の薬が完成した。
フラヒールの馬車に積み込まれる。
ドンテが言った。
「準備ができました」
クララは丘を見渡した。
サンジャンの町。
薬草園。
新しい居場所。
「行きましょう」
こうして――
追放された王女は、
再び祖国へ向かうことになった。
第9話 疫病を止める薬
ネーデルランド王国の城下町は地獄だった。
通りには患者があふれている。
診療所の前には長い列。
泣き声と咳が響いていた。
その時。
一台の馬車が町へ入った。
紋章を見た兵士が目を丸くする。
「スペイラ帝国……公爵家?」
馬車の扉が開いた。
降りてきたのは――
クララだった。
「……第三王女?」
兵士が呆然とつぶやく。
クララは静かに言った。
「薬を持ってきました」
その言葉はすぐに広がった。
町の医師たちは最初半信半疑だった。
だが――
薬を飲んだ患者の熱が下がる。
咳が止まる。
呼吸が楽になる。
「本当に効く……!」
歓声が上がった。
人々が涙を流して感謝する。
「ありがとうございます!」
「助かりました!」
クララは静かに薬を配り続けた。
昼も夜も。
何日も。
フラヒールも手伝う。
ドンテが薬を運び、
医師たちが配る。
そして――
一週間後。
奇跡が起きた。
新しい患者が激減したのだ。
さらに数日後。
疫病は完全に収束した。
町は歓喜に包まれた。
「聖女様だ!」
「クララ様が国を救った!」
人々が叫ぶ。
しかしクララは静かに言った。
「みんなで止めたのです」
その頃。
王宮でも薬が使われていた。
王妃。
イリス。
そして多くの貴族たち。
全員が回復した。
王宮は衝撃に包まれる。
疫病を止めた人物――
それが追放した第三王女だったからだ。
第10話 帰らない王女
数日後。
サンジャンへ戻ろうとするクララの前に、
一団の騎士が現れた。
王宮の紋章。
先頭には宰相がいた。
「クララ様」
彼は深く頭を下げた。
「陛下からの命です」
クララは静かに聞く。
「王宮へお戻りください」
周囲がざわめく。
宰相は続けた。
「今回の功績は計り知れません」
「王女として迎え直します」
「そして王国の聖女として――」
だがクララは首を振った。
「お断りします」
宰相が目を見開く。
「なぜです?」
クララは静かに言った。
「わたしは追放された身です」
風が吹いた。
「追放した娘に、今さら用事はないでしょう」
宰相は言葉を失う。
クララはフラヒールを見る。
そして微笑んだ。
「わたしの居場所はもう決まっています」
丘の向こう。
スペイラ帝国の方向。
「わたしの第二の祖国は――」
はっきりと言った。
「スペイラ帝国です」
宰相は何も言えなかった。
クララは馬車に乗る。
フラヒールも隣に座った。
馬車がゆっくりと動き出す。
ネーデルランド王国は遠ざかっていく。
だが――
クララの胸は不思議と軽かった。
後ろに立つ人々が手を振っている。
「ありがとう!」
「クララ様!」
クララは微笑んだ。
もう過去に縛られる必要はない。
新しい人生がある。
そして――
帝都マドリーヌ。
そこには従姉エマがいる。
商会がある。
未来がある。
フラヒールが静かに言った。
「ようこそ」
クララを見る。
「あなたの新しい国へ」
クララはうなずいた。
こうして――
追放された第三王女クララの物語は、
スペイラ帝国で
新しい章を迎えるのだった。
【完】
読んでいただいた読者様に心からお礼申し上げます。
ありがとうございました。感謝です。(*- -)(*_ _)ペコリ
山田 バルス




