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歪んだ論理と激重の責務

嵐が吹き込む小屋の入り口で、聖女ミリアが恍惚とした笑みを浮かべていた。


「……見つけました、アレン様。あなたは、私がいないと駄目なのですから」


そう。確かにそう言った。


「……私があなたを『救済』して差し上げます。永遠に」


(は? は? は?)


思考が完全にショートした。なんだ? こいつは今、何と言った? 『救済』?『永遠に』? ダメだ、意味が分からない。頭でも打ったのか? 嵐で脳をやられたか?


(いや、それより、なんでここにいる!?)


俺が追放されたのは、王都から馬車で三日三晩はかかる辺境の地だ。断罪イベントがあったのは、ほんの数日前。こいつ、どうやって来た!? まさか、俺の護送馬車をずっとストーキングでもしてたのか!?しかも徒歩で!? 聖女が!? あのメインヒロインのミリアが!?


「……アレン、様?」


俺がフリーズしていると、ミリアが不思議そうに小首をかしげた。その瞬間、ゴウッ、と一際強い風が吹き込み、ミリアの体が大きく揺らぐ。見れば、泥だらけの聖女服はずぶ濡れで、華奢な肩がガタガタと小刻みに震えていた。唇も青白い。


(クソッ!)


我に返った。そうだ、こいつが今ここで凍え死んだらどうなる? 間違いなく俺のせいにされる。「追放された悪役令息が、逆恨みして聖女様を殺害した」と。それこそが、俺が最も回避したかった「死刑」という名の『破滅フラグ』そのものじゃないか!


(スローライフが台無しになるどころの話じゃない!)


俺は舌打ちし、ミリアの細い腕を乱暴に掴んだ。


「何してる! とっとと入れ! 死ぬ気か!」

「あっ……!」


ミリアの体が、ビクッと大きく震えた。だが、抵抗はしない。俺はそのまま、彼女を小屋の中に引きずり込んだ。そして、入り口のボロい木戸を、嵐に抗いながら無理やり閉める。


(なんか……ミリアの反応がいちいち怖い!)


振り返ると、ミリアは小屋の暗がりの中で、俺に腕を掴まれた箇所をうっとりと見つめていた。その頬が、ほんのり赤らんでいるように見えるのは、気のせいか。いや、気のせいじゃない。こいつ、絶対におかしい。


俺は掴んでいた腕を振り払い、荷物の中から、自分が着るつもりだった乾いたボロ布――元は毛布だったもの――を投げ渡した。


「とりあえずそれを着ろ。話はそれからだ。風邪でも引かれたら、俺の寝覚めが悪い」


あくまでも「俺のため」という体裁を整える。こいつに妙な勘違いをされても困る。……もう手遅れっぽい気もするが。


ミリアは、足元に落ちたボロ布を一瞥した。だが、それを手に取る気配はない。代わりに、彼女は自らの濡れた聖女服にそっと両手を当てた。そして、ゆっくりと目を閉じる。


(まさか……?)


淡い、温かな光がミリアの体から溢れ出した。間違いない。聖魔法だ。ゲームで何度も見た、彼女の固有スキル。


(おいおい、待て! 聖魔法は『治癒』の力だぞ! 怪我や病気を治すためのもんだ! 服を乾かす魔法じゃねえ!)


俺の内心のツッコミなど知るよしもなく、光は一瞬だけ強まり、そして、ふっと収束した。目を見開く俺の前で、ミリアは完璧な姿を取り戻していた。あれほどびしょ濡れだった純白の聖女服は、シワ一つなく乾いている。泥や埃にまみれていたはずの銀髪も、まるで洗い立てのようにサラサラと輝き、汚れ一つない。


俺は、ゴクリと唾を飲んだ。彼女の力の異常な応用に、早くも戦慄を覚える。ゲームのミリアは、こんな器用な真似はできなかったはずだ。進化……いや『変化』している?


ミリアは、俺の驚愕に気づいているのかいないのか、無垢な笑みを浮かべた。


「お心遣い、ありがとうございます、アレン様。ですが、ご心配には及びません」


その笑顔は、ゲームで見たヒロインそのものだった。にもかかわらず、俺にはもう、それが恐ろしい「何か」の仮面のようにしか見えなかった。


小屋の中は、嵐の音だけが響いていた。俺は、目の前の「ヒロイン(だったもの)の異常性を確信し、腹をくくって問い詰めることにした。


「ミリア。単刀直入に聞く」


俺は、この小屋に唯一ある粗末な木製の椅子にどかりと腰を下ろし、彼女を見据えた。


「なぜ、ここにいる? 王都はどうした。王子たちや、お前の仲間たちはどうなったんだ?」


そして、何よりも。


「お前の使命……魔王討伐は、どうなったんだ?」


ゲーム『光の聖女と英雄騎士』は、魔王を倒して世界に平和を取り戻す物語だ。その中心にいるべき聖女が、こんな辺境の、悪役令息が追放された先のボロ小屋にいる。あってはならないことだ。


俺の尋問に対し、ミリアは待ってましたとばかりに、しかしあくまで静かに、穏やかに語り始めた。


「……あの日。アレン様、あなたを断罪した後、私は王都に戻りました」


「はい」と、俺は短く促す。


「王子様たち……英雄騎士の方々は、『王国の害悪、悪が去った』と喜び、私を称賛してくださいました。『よくぞ断罪してくれた、ミリア』と」

(だろうな。俺は『悪役』なんだから)


それは、シナリオ通りの反応。俺の計算通りの言動。なにもおかしいことはない。


「ですが……」


ミリアの声のトーンが、わずかに落ちる。


「……私の心は、空っぽでした」


思わず、変な声が出そうになる。空っぽ? なんで?


「あなたがいない王都、あなたがいない学園、あなたがいない世界は、まるで……まるで色が褪せてしまったかのようでした」


ミリアは、胸に手を当て、うっとりと目を伏せる。


「……虚無、でした」

(待て待て待て。なんでだよ!)


俺の脳内で、警報がけたたましく鳴り響く。


(俺は『悪役』だぞ!? ゲームのシナリオ通り、ヒロインであるお前に、それはもう小物感丸出しの嫌がらせを繰り返してきたんだぞ!?)


教科書に泥を塗る(少しだけ)、椅子に画鋲を置く(未遂)、階段でわざとぶつかる(けがをしないように手加減して)……我ながら、しょうもない嫌がらせばかりだ。そんな、鬱陶しいだけの存在がいなくなって、なんで「虚無」になるんだよ。意味が分からないよ!


(まさか……俺がやった『小物レベルの嫌がらせ』の数々が、逆に変なフラグになってたのか!?)


『構ってちゃん』的な? 『本当は私のことが好きなのね』的な?  ははは、ご冗談を。そんなラブコメ脳な解釈を、あのミリアに限って……


俺が混乱していると、ミリアが伏せていた目を開けた。 その瞳が、俺を真っ直ぐに射抜く。


「私は気づいたのです」

(な、何に……?)

「私は、あなたを『悪』として断罪してしまった。……いいえ、断罪『させてしまった』」

(ん? 『させてしまった』?)

「あんな、何もない辺境の地に、あなたを追いやったのは……この私なのだ、と」


ミリアの声に、悲痛な響きが混じり始める。


(いやいやいや! だから、俺はそれを望んでたんだが!)


死刑回避のための、俺の完璧な計画だったんだが!  お前が罪悪感を抱く必要なんか、ミジンコほども無いんだが!


「その罪悪感が、夜ごと私を苛みました」


ミリアは、まるで悲劇のヒロインのように、美しい顔を歪ませて涙ぐむ。


「……そして、私は、本当の使命に目覚めたのです」

(使命……? 魔王討伐じゃなくて?)


その瞬間だった。ミリアが、俺の目を真っ直ぐに見つめた。俺は、息を呑んだ。その目だ。断罪の場で、最後に見た、あの目。脚本(シナリオ)を無視して、俺だけを見つめていた「異様な」目。憎しみでも、憐れみでもない。まるで獲物を見つけた獣のような、あるいは、失くした半身を見つけたかのような、強烈な「渇望」を宿した目。


あの時は、一瞬の気の迷いだと思った。だが、違った。今、目の前にいるミリアは、あの時と同じ目をしている。そして、彼女は、その狂気的なまでの「真剣さ」を宿した目で、はっきりと宣言した。


「あなたを断罪した私には、あなたを一生『監視』し、『お世話』する『義務』があります」

(……はぁぁぁぁ!?)


俺は、椅子から転げ落ちそうになりかけて、ぎりぎりでバランスを保った。なんだ、その論理。『監視』? 『お世話』? 『義務』?罪悪感からの、論理の超々ジャンプ。こいつ……ダメだ。俺が知っている聖女ミリアじゃない。それ以前に、話が通じる相手じゃない。


こいつは……激重感情を拗らせて、執着の果てに論理が破綻した……。『ヤンデレ』だ!


俺は、最後の望みをかけて、彼女の説得を試みる。まだだ。まだ、間に合うかもしれない。


(落ち着け、俺。こいつは聖女だ。国の宝だ。王都が放っておくはずがない。すぐに追っ手が来る)


それまでの時間稼ぎだ。


「ミリア。君は……少し疲れているんだ。正気じゃない」


俺は、できるだけ穏やかな声を作った。


「君には、聖女として、国を、人々を救うという偉大な使命があるはずだ。そうだろ? 魔王が世界を脅かしているんだ……俺みたいな、追放された罪人の『監視』なんて、君の仕事じゃない。そんなことは、衛兵か誰かに任せておけばいい……君は王都に帰るべきだ。みんなが君を待っている」


これが、俺の提示できる、最大限の正論だった。しかし。ミリアは、俺のその正論に、心底悲しそうに首を横に振った。


「いいえ、アレン様。あなたは何もわかっていらっしゃらない」


その瞳には、侮蔑の色すら浮かんでいた。いや、違う。俺に対してじゃない。俺が口にした「国」や「人々」という存在に対してだ。


「私が救うべき『人々』や『国』など、もうどうでもいいのです」

(どうでもよくなった─────!?)


俺は、内心で絶叫した。終わった。この世界の物語、終わった。メインヒロインが、魔王討伐の中心人物となるはずの聖女が、世界の命運を「どうでもいい」と切り捨てやがった!


「私が救済し、お世話すべきなのは、ただ一人」


ミリアは、まるで聖母のような(どこまでも歪んだ)慈愛の笑みを浮かべ、俺に一歩近づいた。


「……あなただけです、アレン様」


俺は、恐怖で椅子から動けなかった。ミリアは、そんな俺にはお構いなしに、このボロボロの小屋をゆっくりと見渡した。間風が吹き込み、屋根からは雨漏りさえしている、粗末な小屋を。


「こんな……こんな劣悪な環境に、あなたを追いやったのは私……」


彼女は、再び罪悪感に苛まれたかのように眉をひそめる。そして、俺に向き直り、宣言した。


「だから、私もここで暮らします」

(なっ……!?)

「アレン様が、こんな場所で心が荒み、『駄目』になってしまわないように」


彼女は、俺の目を見て、はっきりと、にっこりと、笑った。


「私が、あなたのすべてを『管理』します」


『管理』……! 出たよ、『ヤンデレ』の常套句!  『依存』と『執着』の最上級!


(こいつ、本気だ……!)


王都も、使命も、世界までもを捨ててきやがった! あの聖女ミリアが、単独で! 俺のために! 俺が夢見た、辺境での穏やかなスローライフ計画が、音を立てて崩れ去っていく。いや、崩れ去った。今、この瞬間に。俺の前に立っているのは、清廉潔白なヒロインじゃない。俺という存在に執着し、無自覚なままにヤンデレと化した、最強最悪の『破滅フラグ人間』だった。


俺が、その圧倒的な絶望で固まっている、その隙だった。ミリアが、嬉しそうにパン、と手を叩いた。


「まずは、このお住まいからですね。これでは、アレン様の健康が損なわれてしまいます」

(いや、俺はサバイバル技術あるから平気なんだが……むしろ、明日からのDIYを楽しみにしているくらいなんだが……)


そんなツッコミは、もはや彼女には届かない。


「待て、何をする気だ!」


俺が制止の声を上げるより早く、ミリアは小屋の、最も損傷が激しい壁にそっと手を触れた。再び、淡い光。だが、今度は服を乾かした時よりも遥かに強く、眩いほどの聖なる光が、小屋全体を包み込んだ。


(おい、やめろ! この小屋は俺のなけなしの財産だぞ! 壊すな!)


ギシギシ、ミシミシ、と木が軋む音。だが、それは破壊の音ではなかった。再生の音だった。俺は、目を丸くしたまま、信じられない光景を目の当たりにしていた。


隙間風が吹き込んでいた壁の穴が、まるで傷口が塞がるかのように、ひとりでに修復されていく。雨漏りしていた屋根の穴が、まるで見えざる手によって、木の繊維が編み込まれるようにして塞がっていく。冷たく湿っていた石の床が、聖なる力によって浄化され、汚れが消え、なぜか、ほんのりと温かみさえ帯び始めていた。


まるで、建物そのものを「治癒」しているかのように。


数分後。外の嵐の音は変わらない。だが、小屋の中は、嘘のように静かで、風も雨漏りも一切ない快適な空間に生まれ変わっていた。


ミリアは、額にうっすらと汗を浮かべながらも、心底満足そうに微笑んだ。


「ふふ……これなら、アレン様を『お世話』できますね」


俺は、その光景に声も出なかった。


(……聖魔法は、『治癒』の魔法だ。生物にしか効かないはずだ。物質を『修復』するなんて、聞いたことがない。こいつの力……俺への『執着』のせいで、異常な進化を遂げてやがる……!)


俺は、悟った。この『激重』な感情からも。この『異常』な力からも。


(……逃げられない)


聖女ミリアという、俺が自ら招き入れてしまった最大の『破滅フラグ』からは、もう、決して──

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