60.高嶺の花
朝。
私はなるべく早めに教室に入るようにしている。
「おはようございます」
そう声をかければ、まばらに座っている生徒達が挨拶を返してくれる。
一番に目が合ったご令嬢に微笑みかければ、彼女は身を縮めてしまった。少し悲しい気持ちになりながら、席につく。
次々と増えてくる生徒に挨拶を返しながら、ゆっくりと課題のチェックを済ませる。実は暇つぶしの本は持っているけれども、この時間に開くことはしないようにしている。
「おはようございます。カノン様」
「おはようございます。エインズ様」
「国史の課題ですね。少し特殊な題材でしたよね。カノン様はどうお考えで?」
そう言って立ち止まったのはさる伯爵家のご令息だ。パーティでは会ったことのなかった地方出身の方。最近こうやってよく話しかけてくれる。
朝の時間は好きだ。まだ人が揃っていない教室は、友人を待つ間暇を持て余したもの同士が何となく日々の会話を重ねる。
私はどうやらクラスの子には遠巻きにされているようだ。話しかける事を遠慮しているような、そんな空気を感じる。
私としては色んな人と仲良くなりたいと思っているのだけど、話しかけるたびに、相手の肩が少し強張る。
それが、どうしても悲しかった。
だから早く来て、できるだけ隙のある時間を作るようにしている。
何故だかこの時間なら、ちょこちょこと話しかけてくれる人が居るのだ。こうやって、少しずつクラスの子と打ち解けている。
「カノン!おはよう。いつも早いね」
課題の話に夢中になっていると、無遠慮に声がかかる。
「おはようございます、ルーケンフォード様。じゃあ僕はこれで……」
そう言ってエインズ様は席に向かってしまう。
「……お邪魔しちゃったかな?」
「ううん。そんな事ないよ。おはよう、ルーク」
ルークは柔らかな笑みを浮かべ、隣の席についた。
「これ、姉上から。カノンに渡してって言われてたんだ」
「あれ?最新巻だ。じゃあ明日借りてたほう持ってくるね。……フェリシアったら自分で渡しに来ればいいのに」
「まぁ、僕の方が確実にカノンに会うからね」
今回の本は異国の作家の代表作だ。前の巻がいい所で終わってしまっていたのでちょうど続きが気になっていた。ルークから本を受け取り、鞄にしまう。
ぱっとルークの方を振り返れば、彼は目を大きく見開いて一点をみつめていた。
「?どうしたの?」
「……それ……」
伸ばされた指の先は私の髪飾りに向いているようだ。あぁと納得する。
「可愛いでしょ」
「うん。とっても。……絶対カノンに似合うと思ったんだ」
今日の髪飾りは去年の誕生日にルークから贈られたものだ。小ぶりの花が並ぶバレッタ。使われているのは黄桃石と言われる貴重な石で、光の加減で淡い黄色いからピンクへと色を変える。
「ルークはセンスがいいね」
「なんでも似合うカノンがすごいんだよ」
「私、可愛いから」
「そうだね。……ほんとうに」
しっとりと呟かれるような返しに、逆にこちらが気恥ずかしくなってしまう。
やっぱり、ルークは私のことが好きなのではないかと思ってしまう。でも山ある私への婚約の話に王家からの打診はなかった。ならば、話をしてある家が別にあるのだろう。
「おはようございます」
凛とした通る声で私たちの間に入ってきたのはネフェル様だ。私が挨拶を返すと、彼はルークの耳元で何かを呟いた。途端に、ルークは片手で顔を押さえて俯いてしまった。
「どうしたの?」
「いや?なんでもないよ?気にしないで」
ルークはそう言って手を振る。ネフェル様は私を一瞥すると自分の席に向かった。
「はぁ……。ね、カノン。よければ、今日のお昼一緒に食べない?」
「いいよ。ピピナも一緒でいい?」
「もちろん!」
ちょうど予鈴がなって、先生が入ってきた。
今日も学院での一日が始まる。
―――
――
―
今日もカノンとお話できた……!
なんて幸せな一日の始まりなのだろう。ニヤけそうになる顔を引き締めながら、授業にのぞむ。
隣を見ればちょこんと座るカノン。姿勢は綺麗なのに、どうしてか「ちょこん」という擬音が似合ってしまうのは、彼女の可愛らしさが故のことだろう。
彼女は教室の照明だけでは説明できないような輝きを放っている。キラリと輝く髪留めにさらに笑みが深まる―――。
ダメだ。
グッと眉間に皺を寄せ、自分を律する。
まっすぐ前を見直し、教員の言葉を追う。僕にとってはつまらない授業だが、聞いておかなければならない。
僕はそういう立場の存在だから。
「間抜け面を晒さないでください」
朝、ネフェルに釘を刺された事を思い出す。
表情管理はしっかりしないといけないのに、どうしてもカノンの前では崩れてしまう。気をつけなければ。
参考書のページを捲る音が教室内を埋める。
やり方が決まっている計算問題。見るだけで解けてしまう数字の並びを眺めた。
恋もこんなふうに分かりやすくて簡単だったらいいのに。
僕は結構分かりやすくアピールしているつもりだった。
でも、カノンが僕に気持ちを寄せてくれているような気配はない。
ただ親しい友人の一人に数えられている。そんな気がする。
こう言ってはなんだが、僕は何もしなくても女の子には好意を寄せられてきた。だから簡単になびいてくれないカノンがもどかしくて、それでいてますます欲しくなってしまう。
僕はこんなにカノンを求めているのに、彼女はいつも言っている。「将来はイーサリオンを継ぐのだ」と。
この想いを言葉にして伝えて、拒絶されてしまうのが怖い。
朝、クラスの男子と談笑しているカノンを見て湧き上がったのはどうしようもない嫉妬の感情。
僕は笑えるくらい心が狭いらしいということが、学院に入ってより浮き彫りになった。イーサリオンを継ぎたいと言うのなら、どこかの家の跡取りになれぬ子や、―――デイン・クレイウッドを選ぼうとしているのだろう。
その中に王太子の隣という選択肢は、ないのかもしれない。
彼女に選んでもらいたい。他の誰でもない僕との未来を。
その時はきっと、僕のことを心から愛してくれている時だと、信じている。
ね、カノン。
早く、早く、僕だけを見て?
もう待ちきれなくなっちゃうよ。




