43.好きな時間
踊ったのは父様との一回だけだった。
何人かダンスのお誘いをくれた方もいたが、例外なく全て父様が断ってしまったのだ。
「お嬢様。本日もお疲れ様でした」
「ありがとう、アズール」
夕食を終えた夜の時間。やっと落ち着くことができた。
半日ほどずっと立ちっぱなしだったので本当に疲れた。
ぐでぇとソファに身を預ける。
「本日はマシュマロですが……食べますか?」
アズールはいつもお菓子をくれる。
身体を起こし、あーと口を開ければ、いつものようにマシュマロを口の中に入れてくれた。
この時間が好きだ。
もひもひと、マシュマロを食みながらアズールを見上げる。優しく私を見る姿を、ぽぉっと見つめ返す。
アズールは、息を呑むほどの美形というわけではない。
だが、見る者の警戒心を自然と解いてしまう、親しみやすい顔立ちをしている。
黒髪はきちんと整えられ、落ち着いた印象を与えていた。
アズールブルーの瞳は、静かな海のように深く、誠実さを映している。
彼の目が優しく細められる。
「もう一つですか?」
カチャリとアズールはお菓子を入れてきた瓶からマシュマロを取り出す。マシュマロが欲しいと思って見つめていた訳ではないけれど、アズールがそう理解するほど物欲しそうな目をしていたらしい。
少し恥ずかしくなりながら二個目のマシュマロをもらう。
アズールは「もうダメですからね」と瓶の蓋を閉めた。
「本日のお嬢様も大変ご立派でした」
「当たり前よ。もうパーティだって慣れっ子なんだもの」
「そうでしたね……」
なんだかしみじみとした言い方だった。
それだけ時間が経っているのだ。
「……もう十四歳かぁ」
「おめでとうございます」
イーサリオン公爵家に引き取られて早六年。
今ではお嬢様業も完璧だ。
イーサリオンのカノンお嬢様は眉目秀麗、成績優秀、魔法秀逸の三拍子で話題らしい。
所作もマナーも話し方も、今では立派なご令嬢と言っていい。頑張ってきた甲斐がある。
今日のパーティも特に緊張することもなく、失敗することもなくこなすことができた。
これからも、イーサリオンの後継者として努力を続けていかなくちゃ。
ふんすっと、両手を握り、気を引き締める。
時計を見ればまだ七の刻になったばかりだ。
「まだ寝るには早いわ。アズール。お話に付き合って」
ポンポンとソファの横を叩く。アズールは「失礼します」と隣に座った。
今日あった何でもない出来事を話した。
ドレスの着付けでアリエステの花を髪につけるのにかなり時間がかかった話、パーティで聞いた噂の話、意地悪なご令嬢に嫌味を言われてしまった話。
アズールはにこやかに相槌を打ってくれる。彼は基本的に聞くことに徹してくれるので話しやすい。
アズールにも話題を求めれば、パーティの中で起きたちょっとした事件や、今日の領内の情報なんかを教えてくれる。
……最近は領内で流行っている病気の話題が多い。
「まだ終息しないのね」
「はい。今は穢れが原因か判別していただくために祈り子様と交渉している最中です」
……穢れ。
それは人の感情や健康に害を与え、病を誘発する場合もある。
穢れが直接の原因でないこともあるが、それを見極められるのは祈り子様しかいない。
だから、重い病や、治まらない流行病は一度祈り子様に見ていただく必要がある。
私も、浄化の力はないが、穢れは見ることができる。
視察に行けば何かが分かるかもしれないが、そういった危険な場所に行く事は、父様が絶対許可をくれない。
いずれは私が治めていく土地の事だ。小さなことでも力になりたいと思うけれど、こればかりは仕方がない。
イーサリオンの後継者としての教育は、着実に進んでいた。地理、歴史、経済、全ての授業の終着点がイーサリオンの後継者を育てることだった。
将来、私は女公爵となり、この大好きな土地を治めるのだ。
もちろん、もう少ししたら、私は自分の隣に立つ人を選ばなくてはならない事も分かっている。
チラリと隣のアズールを見上げる。彼は背も伸びた。
「どうかしましたか?」
「……ううん。なんでもない……」
アズールは、ダメ。
……そういう事ももう分かってる。
私はイーサリオン唯一の後継者、カノン・イーサリオンなのだから。
「アズール、もう寝るわ。寝具かけて」
そう言って、ベッドに乗り上げ横になれば、アズールはふわりと薄手の夜具を私の上にかけた。
サラリと顔にかかる髪を払われ、少しくすぐったい。
「おやすみなさいませ、お嬢様」
「うん。おやすみ、アズール」
この時間が、好きだ。
―――いつかは失ってしまうものだとしても。




