36.聖樹の枝
健康的な私はいつもの時間に目覚め、うーんと伸びをする。朝の日差しが柔らかに窓から差し込んでいる。
「あれ?父様、帰ってきたんだ」
屋敷の中から父様の魔力を感じる。きっと遅くに帰ってきたんだろう。今日はイーサリオン領のお屋敷に帰れそうだ。
ゴソゴソとベッドから抜け出す。着替えを手伝ってくれる侍女さんが来る前に朝のお祈りを終わらせるのだ。
王都のタウンハウスには女神像がない。この部屋にはバルコニーがついていない代わりに奥の窓から庭に出られるようになっていた。
「……」
窓の前で足を止める。
ひんやりとした独特な違和感。ピリリと肌を刺すような空気。
そろりと窓を開け、違和感の方を確認すれば、やはり開けた庭の真ん中でユリウス様が太陽に向かって膝まづき、お祈りをしていた。
ユリウス様の柔らかそうな長い金色の髪の毛がサラサラと風にふかれて揺れている。
―――おかしい。
祈り子様は浄化が出来るはずだ。それならば、彼の穢れの気配は徐々にでも薄れていかなければならないのに。穢れの気配は昨日と変わっていない、気がする。
もしかして、体調が悪くて浄化が上手くできなかったりするのかな……?たしかに、あれだけ穢れを抱えていれば体調も悪くなるかもな……。
そんな事を考えていると、祈りを終えたのかユリウス様が立ち上がった。スタスタと客間に戻る途中で、ふと視線がこちらに向いた。
気付かれた。
私は反射的に一歩後ずさっていた。
「おはようございます」
「……お、おはようございます」
ユリウス様はにこやかに挨拶しながらこちらに近づいてきた。私はまだ着替えも身支度もしてない。急いで髪を手で梳かした。
「ふふ。起きたばかりのようですね。よく眠れましたか?」
「はい。お見苦しくてすみません」
「見苦しいなどと……今でも充分可愛らしいですよ?」
確かにそうか。寝起きのボサボサでも私は可愛い。
「ちょうど良かった。是非カノンお嬢様に聞きたいことがあったのです」
「聞きたいこと、ですか?」
ユリウス様は少しだけ私を覗き込むように屈む。
「カノン様」
感情の分からない空色の瞳に見つめられ、思わず身を固くする。
「……穢れが見えていますか?」
質問は簡潔で的確だった。だから返答を考える余裕があった。
「何のことでしょうか?」
私は極力、怪しく思われないように答える。
スゥっとユリウス様の目が細められた。
「初めて会った時、私を見て驚いていましたね。何かを恐れたように」
「そうだったでしょうか?……祈り子様に会ったのがはじめてだったので緊張していたかもしれません」
それは最もらしい理由だった。よくこの状況でこの言い訳が出てきたと自分を褒めたいくらいだ。
「普通、浄化の力を持っているかどうかは生まれた時に確認しますが……たまに居るのですよね。成長してから浄化の力に目覚める者が」
「私がそうだって言いたいんですか?」
「はい。本当に見えてませんか?」
ユリウス様は手のひらをわたしの前に差し出した。穢れがぼうっと炎のようにその上で揺れる。
操っている?
そう思った瞬間、視線を逸らした。穢れの炎が見えていると思われてはいけない。私は一生懸命まっすぐユリウス様の目だけを見つめた。ユリウス様はじいっと私の目を見つめ返してきた。
突然、穢れの炎だけが目の前を横切るように蠢いた。
やばい。まっすぐユリウス様の目だけを見つめていたつもりだったけど、今のには上手く対応できてた自信が無い……。
「あの……?」
いたたまれなくなって声をかければ、ユリウス様はにこりと笑った。笑っているのに、私にはどこか恐ろしく見えた。
ユリウス様は首元からペンダントを取り外すと、私に差し出した。
「これは聖樹の枝です」
「聖樹の、枝……」
それは”枝”というよりかは真っ白な貴石のように見えた。削り出された欠片をそのままペンダントにしたような無骨な物だ。手のひらにのせてもらったが、明らかに木片という材質ではないし、とても冷たかった。だが、嫌な感じはしない。
「これを持って、お祈りしてください」
「えっと、なんで、ですか?」
「それが1番簡単に浄化の力があるか確認する方法だからですよ」
ユリウス様は穏やかにそう言った。
それを聞いた私は冷や汗が止まらなかった。今ここで浄化の力があると判明してしまったら、祈り子にされてしまう。下手したらエリュナ・サンクティア神聖国に連れていかれ、もう父様と一緒にいられなくなるかもしれない。
揺らりと、ユリウス様にまとわりついた穢れが揺れている。
お前もこうなるのだと、圧をかけられているようだ……。
渡された聖樹の枝に視線を落とす。手が震えていた。
「どうぞ」
もう逃げられない。私はゆっくり太陽に向かうと、聖樹の枝を包み込むように手を組み、いつものようにお祈りをはじめた。
お祈り、しなければいいのかな、何も考え無ければお祈りにならない?
私は精一杯頭を空っぽにした。
私は祈り子にはなりたくない……。
その願いがもう、祈りだと後から気づいた。
きゅっと手を組む力を強める。
手の中の聖樹は熱が移ったのかもう冷たくはなかった。
不審に思われない程度に、いつもより早めにお祈りを切り上げる。そおっとユリウス様の方を見れば、こちらを見ていた彼と目が合った。相変わらず感情が乗っていない瞳。
「……」
「あの……?」
ユリウス様は僅かに首を傾げた。
「貴方は私の穢れが見えているように感じていたのですが……」
「よく、分かりません」
戸惑うように呟かれる言葉。その真意は分からないが、私が返せる言葉はごまかしだけだった。
「……気のせいだったかもしれませんね」
ユリウス様は残念そうに息をついた。
「私は浄化の力が無いって事ですか?」
「そのようです」
「そうなんですね……!」
ほっとした。そんなに構えるような事じゃなかったかもしれない。ずっと浄化の力を持っているかもしれないと気を張っていたから、少し拍子抜けした。あれ、そう考えると私、ちょっと自惚れてたな……?
「……貴方は、浄化の力が欲しくないのですか?」
また的を射た質問にギクリとする。世間一般的には浄化の力を持って祈り子に迎えられることは栄誉であり、望まれる事であり、素晴らしいことなのだ。私の考え方は少数派だ。
「父様と離れることになるかもしれないのは嫌だったので……。祈り子様を尊敬していないわけではないですっ!」
「確かに……通常の祈り子は赤子の頃から親元から離されて育ちますが、カノンお嬢様の歳で家族と引き離されるのは受け入れ難いことなのかもしれませんね」
ユリウス様は私の言い分に納得してくれたかのようだ。
「あの、これ……」
「あぁ、ありがとうございます」
手の中の聖樹の枝を差し出す。
―――ユリウス様に聖樹の枝をお返しした時に異変は起こった。
静かにだが確かに、ユリウス様に纏わりついていた穢れが蠢く。それらはスゥっと彼の体を辿り、聖樹の枝に吸い込まれていくように消えていった。
ほんの数秒で異変は終わった。
ユリウス様が抱えていた穢れは綺麗に跡形もなく消え去った。
……今のが、浄化?
穢れの気配は綺麗に消え去っていた。穢れが無ければ、ユリウス様はまぁまぁ強めの魔力を持っているようだ。穢れがある状態では気づけなかった。
「……は?」
呆然とするユリウス様は、本当に何が起こったのか分からないような顔で固まってしまった。
「あの……どうかしたんですか?」
声をかけてみるが、反応はない。
「あの?」
まるで、時間でも止まってしまったかのように、ユリウス様は動かない。
「私、浄化の力無いんですよね……?」
思わず聞いてしまった。それだけ彼の様子に不安が募ったから。
でも、返ってきたのは沈黙だけ。
「……そう、ですね」
長い沈黙のあと、ユリウス様はようやっとそう一言だけ肯定の言葉を呟いたが、聖樹の枝を見つめるその様子に安堵など出来なかった。
私は―――何かしてしまったんだろうか……?




