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35.ユージーンとレイン

 王都の夜は静かだ。深夜に近い時間。私はようやく仕事を終え、タウンハウスの扉をくぐった。ようやく肩の力を抜ける。


「……遅くなった」

「おかえりなさいませ、レイン様」

「カノンは?」

「もうお部屋でお休みになられている頃かとおもいますわ」


 ほっと安堵する。カノンには一人で移動魔術を使わないよう言い含めていた。きちんと約束を守ってくれたようだ。

 出迎えてくれた侍女に風呂の準備を頼み、執務室に向かう。急ぎの案件とはいえ、想定よりも長引いた。堅苦しい服の襟元を緩める。


 今回は王都近くの森で高位の魔獣が現れたということで急に呼び出しを食らった。討伐絡みの調整はいつだって神経をすり減らす。

 高位の魔獣は一筋縄ではいかない。国所属の魔法使いや騎士と連携をとったり、浄化を行う祈り子様の予定をつけたり。私は魔力が高く、移動魔術も使える。そのせいで討伐から移動まで、ほぼ全ての役割を押し付けられるのが常だった。


 いっそ一人でやる方が楽なのだが……。


 そうはいかないのが大人の世界というものだ。


「帰ったか」


 もう誰もいないと思っていた執務室で出迎えたのは父上――ユージーンだった。灯りの下で書き物をしているようだ。父上は眼鏡を外すと目頭を揉みこんだ。


「急ぎ、印を借りても?」

「構わん」


 父上は背後の本棚に隠された引き出しを開けると金庫を取り出す。小さな家紋の彫られた印は魔力を流すことで魔力を含んだ紋様を転写できる、貴重な魔道具だ。これを無くしたら色々とめんどくさい事になる。


 王城への報告書に封をして魔力で印を押す。実は私はこの印を押す時のシュっという少し聞き心地の良い音と紙が焦げたような匂いが結構好きだったりする。


 手紙が出来上がるとあとは魔力で鳥を作り王城まで飛ばすだけだ。

 窓を開け鳥を放つ。数刻もあれば王城に届くだろう。これで今日の仕事は終わりだ。時間がかかった。


「飲むか?」


 父上は紅茶を淹れようとしているようだ。使用人がやるような事だが、父上はかなりこだわりが強く、いつも自分で紅茶を淹れている。


「いただきます」


 そう答えてソファに腰を下ろした。しばらくすると、湯気の立つカップを差し出される。

 品の良いカモミールの香り。母上が好きだったとよく聞く茶葉だ。


「ちょうどいい。お前に話があったんだ」

「なんでしょう?」


 父上はドサリとローテーブルの上に大量の書類を置いた。


「……なんですか?これは……?」


 疑問文をなげかけたが、内心はこれが何か分かっていた。


「カノンにきた婚約の打診だ」

「……やはり来たか……」


 思わず眉間を押さえる。


「まぁあの可愛さだからな……世界が放っておくわけが無い。寧ろ打診してきた家は大変見る目があると言ってもいい。いや待て?そう考えると少なくないですか???」

「阿呆が。何を言っている」


 父上は呆れと蔑みを交えたような目でこちらを見ながら足を組んだ。


「まだ“検討段階”ではあるが……ヴァルリオン、アルバイン、モルヴェイン、ミラディス、ノクスフォード……錚々たる家々だ。どれも、断れば角が立つ名ばかりだな」

「カノンはまだ幼い」

「世間はそうは見ない。あの子はイーサリオン唯一の後継者となったのだ」


 父上の言葉は冷静で、だからこそ重い。


「加えて、今日は、王城でルーケンフォード殿下と随分と親しげだったようだ」

「……は?」


 思わず顔を上げた。


「フェリシア王女とのお茶会の後、中庭を案内されたそうだ」

「はぁ???????」


 ガチャンと乱暴にカップを置く。


「悪い話ではないがな。カノンが王家に嫁ぐのならば、当初の予定通りデインを後継に迎えればいい」

「分かってます。分かってはいますが……」


 父親としての心境としてはとてつもなく複雑だ。ルーケンフォード様の噂はよく耳にした。カノンと同い年でありながら、その美貌と微笑みで数多のご令嬢を虜にしていると。あの年で、無自覚に女の視線を集めすぎている。

 この前のお披露目パーティでもファーストダンスを踊りたいと抜かしてきた。可愛いカノンがルーケンフォードガチ勢に睨まれたらどうするつもりだとブチ切れそうになったのは記憶に新しい。


「まだ王家から打診は来ていないが、時間の問題かもしれんな」

「……私は、カノンの意思を最優先にしたい」

「またか」


 はぁと父上は大きくため息をついた。


「私もお前の意思を大事にしてきたと思うがな、結局はどうだ。結婚もせず、婚約も続かず、挙句の果てには妻にしていない平民の女との子を連れてくる始末」

「……私の話は関係ないでしょう」

「意思を優先した結果がこれだと言っているんだ。貴族としての体裁を守れないなら意思など持たさぬほうが良かった。カノンにまでお前と同じ道を辿るようなことになってもらっては困るのだが?」

「……でもカノンはまだ八つです。せめて学院を卒業する年までは自由にしてあげたい」

「逆に苦労すると思うがな……。くだらん男に惚れて帰ってきてでもみろ。それこそ可哀想だ」

「そこは私がきちんと見極めます」


 カノンの相手だ。クズは絶対に認める気はない。


「ともかく。カノンにもそれとなく将来のことは考えさせるようにしろ」

「えぇ!?カノンが将来について深く考えるうちに恋を自覚して、『パパ、私この人と結婚する〜』とか言い出したらどうしてくれるんですか!?」

「知るか」

「まだ可愛い可愛い純粋なカノンでいて欲しいのにぃぃ」


 ワナワナと娘の恋の行方に震えるレインを見下ろし、ユージーンはやはりはぁと呆れたような蔑むような大きなため息をついた。


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