30.浄化
穢れている。
はじめは場所が悪いのかと思った。でも、それだけでは説明できない異質さが彼にはあった。彼が動くのと同じように穢れの気配も蠢いた。
「そちらはお嬢様ですか?」
「はい。カノン、ご挨拶を」
そう父様に背中を押された事に、過剰に反応してしまった。びくりと身体が跳ね上がる。
「カノン……?」
「あ……」
失敗した、かもしれない。目の前の少年の目が怪しく細められる。
「……ふふ。可愛らしいお嬢様ですね。はじめまして。私はユリウス・セレスタールと申します」
「カノン・イーサリオンと申します」
スカートの裾をつまみ、お辞儀をする。顔をあげると真っ直ぐこちらを見る視線が正面からぶつかってきた。
何かを探るような、値踏みするような視線。
やっぱり……。
気のせいじゃない。場所の問題でもない。この人自身が、穢れの塊だ。思わず息を詰めた。
「災難でしたね。カノン様のお披露目の場での出来事だったときいています」
「はい……」
ユリウス様の声は穏やかだ。
「浄化の進捗はいかがでしょうか……ここで魔物を切り裂いてしまったのはやはりまずかった……」
「ええ。かなり酷い穢れでしたが、あと二日も祈れば浄化できるでしょう」
確かに、ホールの穢れは薄まっているような気がする。この場の穢れがユリウス様に集まっているようだ。
「二日……ですか」
「ええ。私が最近浄化続きでしたので効率が悪く……申し訳ない」
「いえいえ!ユリウス様が謝られることなど何もありません。むしろお忙しい中お呼び立てしてしまい申し訳ありません」
「それこそ謝られる必要はありません。浄化は私の仕事ですから」
ユリウス様はふわりと笑った。
父様とユリウス様が淡々と会話を交わす。その声を聞きながら、私は一歩だけ父様の後ろに下がった。
近い。距離が、近すぎる。
祈り子様の存在そのものが、空気を冷やしている。ひやりとした感覚が、肌の表面を撫でるように広がっていく。直接触れていないのに、さっきよりもはっきりと分かる。
……近づきたくない。
本能が、そう叫んでいた。
「お二人は、魔獣事件の後、体調は崩されませんでしたか?」
「はい。幸い、大事には至りませんでした」
父様がそう答えると、ユリウス様は安堵するように少しだけ目を細めた。とてもお優しい方のように見える。その優しさと、その身体から放たれる穢れの気配がアンマッチすぎて、怖い。
「それは何よりです。穢れの残る場所に居合わせた方は、気づかぬうちに影響を受けることもありますから」
影響。
その言葉に、顔をあげる。
影響を受けているのは、私じゃない。
喉まで出かかった言葉を、私はぐっと飲み込んだ。代わりに、何も知らない子どもらしく小さく頷く。
「……そうなんですね」
「ええ。ですから、しばらくはこのホールにも近づかれない方がよろしいでしょう」
穏やかな忠告。理にかなっていて、何もおかしくない。それなのに。その言葉の裏で、ユリウス様自身から溢れ出る穢れが、ゆらりと揺れた。
私は無意識に父様の上着の裾を掴んでいた。
「……少し疲れたかい?」
父様が気づいて、小さく声を落とす。
「うん。ちょっとだけ」
「では、挨拶はここまでにしよう。ユリウス様、ありがとうございました」
「いえ。こちらこそ」
ユリウス様は柔らかく微笑んだ。その表情は終始変わらない。穏やかで、清廉で、祈り子として相応しい顔。
視線が私に向けられる。
「……カノン様」
「はい」
名前を呼ばれて、心臓がひとつ強く脈打った。
「どうか、お健やかに」
それだけ。私はにっこりと、何も知らないふりをして微笑んだ。
「ありがとうございます」
ユリウス様は満足そうに頷き、再び祭壇へと向き直った。その場に膝まづき、胸の前で手を組み祈りを捧げる。
私はじっとその後ろ姿を眺めた。
「カノン?」
「少しだけ見て行ってもいい?」
そう言えば父様は立ち止まってくれた。ユリウス様も何も言わず、静かに祈りを捧げている。見学しても良いということだろう。
祈りの様子は静かだった。祈りの言葉もなく、動きもなく、ただユリウス様が祭壇に向かい祈っていた。
疑問だった。この穢れ塗れの人が本当に浄化の力を持った祈り子様なのか。本当に浄化などできるのか。
『祈り子になんてなるもんじゃない。ありゃ生贄だ』
クレイトニー婆ちゃんの言葉が蘇る。
しばらく見ていると、微かにだがホールに張り付いた穢れが剥がれていくのが分かった。まるで皮がむけるようにパリパリと穢れが剥がれ落ちていく。
……浄化、できてる。
ホッとした。この方はきちんと浄化という役割をこなしてくれているのだと。正直逆に穢れを振りまきに来たのではないかと疑ってしまった。
祈り子様はやはり世界の希望だ。
ゆっくりと浄化されていく穢れの行方を視線で追った。
ホールから剥がれ落ちた穢れはゆっくりと蠢き、そして―――ユリウス様の身体から放たれる穢れに合流した。
――ちがう。吸収してるんだ。自分の身体に、穢れを。
その事実に気づいて、ゾッとした。
その身体に貯めた穢れは、どうなるんだろう。
いや、それよりも、穢れを一身に受けて、ユリウス様は平気なのだろうか。




