27.平和
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はるか昔、世界はまだ若く、
大地は“穢れ”に満ち、魔物が尽きることなく生まれていた。
人は土地を追われ、作物は枯れ、世界は静かに終わりへ向かっていたという。
その様子を天より見下ろし、女神エリュナは人の哀れさを知った。
そして女神は、三つの光を地上へと落とした。
ひとつは、聖龍。
女神の血より生まれし存在にして、世界の理を見守る監督者。
聖女と聖樹を守り、人の手が及ばぬところで均衡を量る者である。
ひとつは、聖樹エリュナ・グランテリア。
天を突く塔のごとく根を張り、大地に溢れる穢れを吸い上げる器。
されど聖樹は、穢れを飲み込むだけで浄めることはできず、祈りを受けねばやがて満ち、実を結び、枝を折った。
その実は聖と呼ばれながら人を蝕み、折れた枝は剣となり、人はそれを振るって争いを始めた。
最後のひとつが、聖女である。
名もなき一人の女、後にアリエステと呼ばれるその者は、聖樹の前に跪き、祈りを捧げることで穢れを光へと変えた。
それは女神の加護を受けた奇跡、世界を浄める光であった。
この力は血と共に受け継がれ、母から娘へ、またその娘へと繋がれた。人々はその血脈を畏れ、敬い、聖女と呼んだ。かくして世界は救われ、魔物は退き、大地は実りを取り戻した。
――だが、人は忘れる。
平和が続くにつれ、人々は聖女の祈りを当然のものとし、やがて疑い始めた。「奇跡など本当にあるのか」「世界を守るのは剣と魔法だ」と。
ついに人は、自らの手で光を裁いた。
聖女は民衆の前に磔にされ、その血は大地に落ちた。
その瞬間、祈りは途絶え、光は消え、穢れは再び溢れ出した。魔物は戻り、土地は腐り、作物は実らなくなった。人々は嘆き、空に祈ったが、もはや聖女は応えなかった。
こうして世界は知ったのだ。
聖女とは、救いではなく、世界そのものを繋ぎ止める楔であったということを。
この神話は今も語られる。人が再び光を殺さぬように。
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この話を、私は何度聞いただろう。赤子の頃から、眠る前に、祈りのように。
「現在我々がこのように平和に生活できているのは全て祈り子様の祈りの結晶です。我々は祈り子様に日々感謝し過ごさねばなりません」
それは当たり前のこと。祈り子は聖女の代わりを果たす重要な存在なのだ。
だから人は浄化の力を持てた事を歓迎する。普通は。
「本日の授業はここまでとします」
「はい。ありがとうこざいました」
歴史の先生にお辞儀をし、席を立つ。今日は聖女史のお話だった。
この世界で誰もが知る聖女の物語。人は聖女を殺したという罪を抱え、そしてその罪を繰り返さぬよう語り継いだ。この世に生を受けた赤子が一番に知る物語がこの話だろう。
今日の授業はこれで終わりだ。ふぅと一息ついてバサりと教科書を机に置く。夕食まで少し時間がある。課題を終わらせようと椅子を引いた。
「えっ、今日も父様居ないの……?」
「申し訳ございません。レイン様は王都で用事があるとの事で」
「……そう……」
あの事件があってから父様はずっと王都に出突っ張りだ。今までも仕事で帰ってこないことはよくあったが、こんなに父様に会っていないのは初めてだ。
もう夕食は真似っ子マナーをしなくても大丈夫にはなっているが、ひとりで食卓を囲むのは寂しい。
もそもそとクリームシチューを口に運ぶ。1人の食事はなんだか味気なかった。
お風呂に入れられ夜の時間。今日はアズールと一緒にエミリィも来てくれたので三人でボードゲームをして遊んだ。
「最近旦那様忙しそうですねぇっ」
「……うん。タウンハウスが襲われた原因を究明するのに忙しいんだって」
「せっかくのお嬢様のお披露目だったのに残念ですねっ」
「うん。でも、事件が起きたのは終盤だったからお披露目の挨拶は終わってたんだぁ」
「そうなのですねっ!」
そう言いながらエミリィはコロコロとサイコロを転がす。
「あ、あがりですぅっ」
エミリィが駒を進めて一番にゴールした。
「あーっ!エミリィ早い!」
「ふっふっふっ!サイコロを味方につけることができましたぁっ!優勝商品は私のものですねっ!」
優勝賞品席にあったのはアズールが入手してきたパウンドケーキだ。
「本当はお嬢様のために入手してきたものでしたが……」
「えっ!でも、勝ったのはエミリィですぅっ!このパウンドケーキは貰いますよぉっ!?いいですよねっ!?」
「もちろんいいよ。そういう約束だったんだから」
やったぁと、エミリィは優勝賞品をポケットにしまい込んだ。
「そろそろ私達はおいとましましょうかエミリィ」
「そうですねっ!お嬢様おやすみなさいっ」
「うん。おやすみエミリィ、アズール」
二人と別れ、ベッドに横になり、天井を見つめる。
——祈り子。
授業で聞いた言葉が、頭から離れなかった。
今回の出来事でよくわかった。少なくとも私には穢れを感知する力がある。もしかしたら浄化の力も……あるかもしれない。
「……やだな」
ぽつりと零れた声は、誰にも聞かれない。
祈り子になれば、皆は喜ぶだろう。世界のためだと、褒めてくれるだろう。でも、私は、世界に捧げられる生贄にはなりたくない。
そう思った瞬間、胸の奥が、ひどく冷えた。自分勝手なこと考えてるのかな、私……。
ポッとロウソクに火がついたように眩い魔力が屋敷内に現れた。
「……父様」
父様の魔力だ。私はトンっとベッドから降りると父様の魔力を感じた方に歩き出す。コンコンと執務室をノックをすれば、リュートさんが出てきた。
「カノンお嬢様。眠れないのですか?」
コクリと頷けばリュートさんは執務室に入れてくれた。
「カノン!元気だったかい?」
「父様!」
タタッと駆け寄れば父様はぎゅうっと抱きしめてくれた。抱き上げられ父様の腕の中におさめられる。
「すまないね、しばらく留守にして……」
「ううん。大丈夫。……調査は進んでるの?」
「芳しくはないね。結局誰がなんの目的で穢れの核を持ち込んだかは分からずじまいになりそうだ……」
「そう……」
「カノンが気にすることでは無い」
「うん……」
ポンポンと父様が励ますように頭を撫でた。
「残りの調査は父上が引き継いでくれた。明日からはまたこちらに居られる。魔法の授業もしようね」
「うんっ。私もう中級魔法は完璧よ」
「そうか。あの課題もできたのかい?」
「もちろん!」
「そうか!さすが私の子だ」
今回の課題は中級魔法の複数同時発動だった。集中力をごっそり持ってかれる複数同時発動は習得するのに時間がかかったが、私ができないわけがない。ちょっと練習には手こずったが最終的にはできるようになった。
「少し早いが、もう上級魔法をやってもいい頃だろう」
「本当!?移動魔術覚えれる!?」
とうとう死活問題が解決するかもしれない。このお屋敷は私が移動するには広すぎるのだ。それに、デインはもう移動魔術を教わっているらしい。前に自慢されて本当に悔しかったのを覚えている。
「そうだね。そろそろ教えてあげよう」
「やったぁ!」
それから父様と魔法のお話や最近のお勉強の進捗なんかを話していたらいつの間にか寝てしまっていたらしい。
起きたら父様の寝室だった。
のそのそと父様の腕の中から脱出し、むくりと起き上がる。
父様は疲れていたのか起きる気配は無い。今のうちにお祈りを済ませようとバルコニーに出た。冬の終わりかけとはいえまだまだ寒い。ポウっと魔法で暖を取りながら太陽に向かって座る。
女神様。私はもう充分幸せです。願わくばこのまま、平和に過ごせますように。
お祈りを済ませ、リュートさんが起こしに来るまで、また父様の腕の中に潜り込んだ。




