第三章 屋上庭園
翌日の昼休み、咲は会社の屋上庭園にいた。都心の真ん中にある小さなオアシスで、色とりどりの花が植えられている。ベンチに座り、持参したサンドイッチを食べていると、足音が近づいてきた。
「ここにいたんだね」
涼介だった。彼もコーヒーカップを手に、咲の隣に座った。
「昨日はありがとう」咲が言った。「香織さんに助けられました」
「香織のこと、どう思う?」
突然の質問に、咲は戸惑った。
「いい方だと思います。明るくて、みんなに慕われてて」
「そうだね」涼介は遠くを見つめた。「完璧すぎて、時々疲れることもあるけど」
咲は涼介の横顔を見た。昔と変わらず、感情を表に出すのが苦手な人だった。
「涼介さんと香織さんって、お付き合いされてるんですよね」
「ああ。もう三年になる。そろそろ結婚という話も出てきてる」
咲の胸に、説明のつかない痛みが走った。
「それは、おめでとうございます」
「咲は?」涼介が振り返った。「誰か、いるのか?」
「いえ」
「相変わらず、一人でいることが多いんだね」
昔から咲は一人でいることを好んでいた。桜井家にいた頃も、図書室や庭の隅で本を読んでいることが多かった。
「慣れてるので」
「でも、一人でいると寂しいだろう」
咲は涼介を見つめた。彼の瞳に、昔見たことのない優しさが宿っているのを感じた。
「涼介さんは、香織さんといて幸せですか?」
涼介は答えなかった。代わりに、咲の髪に舞い落ちた桜の花びらを、そっと取り除いた。
「昔、君が桜井家に来た時のことを覚えてるか?」
咲は頷いた。
「僕は最初、君のことが羨ましかった。両親が君にばかり気を遣って、僕のことは放っておかれているような気がしてた」
「知ってました」
涼介は驚いたような顔をした。
「でも、それも仕方ないことだと思ってました。私は突然現れた余所者だったから」
「余所者なんかじゃない」涼介の声に力がこもった。「君は家族だった。本当の家族だった」
咲の心に、温かいものが広がった。しかし同時に、罪悪感も感じていた。香織の存在を思うと、この会話を続けることはできなかった。
「お昼休み、終わりますね」
咲は立ち上がった。涼介は何か言いかけたが、結局口を閉じた。