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第五話 王宮からの脱出

星蝕に襲われた王宮を脱出する王女と護衛の青年。運命が、静かに動き出す──

「今、何とおっしゃいましたか?」


 蒼玉の瞳が、驚きと困惑に見開かれた。その眉間にはわずかに皺が寄っている。侍女たちに人気の、いつでも穏やかで素敵だと評判の甘いマスクも、動揺の色が全く隠しきれていない。


「例えばの話よ……もし、わたしがここを出ることになったら、一緒に来てくれる?」

「いけません、そんなこと……外は危険なんですよ、姫様。この王宮でさえ、あんなことがあったというのに……」


 神殿での出来事を思い出したのか、アレクシスはひどく心配そうな表情を浮かべている。


「アレク……」

「姫様が王宮を出られるなんて、絶対にいけません。私がお守りしますから、どうか恐ろしいことを仰らないでください」


「ご冗談だとしても……」とアレクシスは困ったように、そう言ったのだった。


「やっぱり、無理よね……」


 ルナリアは、自室でアレクシスへの手紙をしたためている途中だった。そこで、今朝の彼とのやりとりを思い出してペンが止まっていたのだ。


 ルナリアの袖元はいつものドレスと違い、随分とすっきりしている。首元まで隠れる白いブラウスに、動きやすそうな茶色の革のベストを身に着けている。

 王宮を抜け出すために、王女のドレスから動きやすく目立たない軽装に着替えていて、旅立ちの準備は万全だった。


 後は、手紙を書くだけだ。

 父宛ての手紙は既に書き終わったが、幼い頃から母親のように世話をしてくれた、侍女長のハンナにも手紙を残したい。


「もうすぐ、ここを出るのね……」


 ルナリアは部屋を見回してから、ふと窓の方へ顔を向ける。

 もう日は沈み始めていて、オレンジ色の光がバルコニーから差し込んで白い床石を照らしていた。その温かい色彩とは対照的に、ひんやりとした風がレースのカーテンを優しく揺らし、ルナリアの頬をくすぐる。


 急がなくてはならない。

 サイードに王宮を出る手はずを頼んでいて、その刻限が迫っているのだ。


 ルナリアはアレクシスへの手紙の封をすると、ハンナへの手紙も書き始めた。慣れた手つきでさらさらと羽ペンを滑らせる。


『今日は食欲がないから夕食は必要ないわ。少し疲れているから、静かに休ませて欲しいの……』


 そう侍従やハンナに伝えてあるが、ハンナは心配してハーブティーやビスケットなどを持ってくる可能性がある。


「これで、良いわ……」


 ハンナ宛ての手紙を丁寧に折って封筒に入れて、しっかりと封をしたところでよく聞き慣れた低い声が響く。


「姫様、いかがですか?」


「こちらの準備は整いました」と静かに告げるサイードにお礼を言うと、ルナリアは再び窓へと顔を向ける。

 すっかり日は沈み、窓の外には夜空が広がっていた。

 遥か遠くで、またひとつ、赤い星が落ちるのが見える。


(星蝕を止めなければ、いずれこの世界は……)


 ルナリアがそう思っていると、サイードが静かに窓を締め、カーテンを引いた。


「姫様……」


 心配しているのか、サイードはルナリアの様子を伺っている。

 ルナリアは、書き終えた手紙をそっと文机に並べると、フードがついた暗い茶色のマントをふわりと羽織った。首元の紐をきゅっと力強く締めると、きつく結ぶ。


「行きましょう」


 ルナリアの瑠璃色の瞳は、声と同じように落ち着いていた……否、少し緊張しているのかもしれない。


 黒いマントを纏ったサイードに「こちらです」と導かれながら、ふたりは警備の目をかい潜って静かに宮殿を抜け出した。


* * *


 花の咲き乱れる庭園のアーチを駆け抜けると、甘い芳香が胸いっぱいに広がる。

 少し離れた場所に衛兵の姿を見つけたサイードに腕を引かれ、ふたりは薔薇の茂みへと身を隠した。

 ──絶対に、見つかるわけにはいかない。

 ルナリアはそっとフードを整えながら夜空を少しだけ見上げると、弾む息を抑えるように静かに息を吐いて呼吸を整えた。

 澄んだ夜空には美しい星々が輝いていて、まるで、星蝕などなかったかのような……そんな錯覚を覚える。


 茂みの影に身を隠したまま、サイードは辺りの様子を確認していた。

 辺りを警戒しながらルナリアの様子を伺っていたサイードが、『こちらへ』と無言で指し示す。


 ふたりは、星の照らす夜道を隠れながら慎重に進み始めた。

 足元には、星明かりに輝く白い花々が夜風に揺れていて、その中を、静かに歩いていく。ルナリアが草地を進む、微かな足音だけが響いた。


 そうやって木々の間を進むと、王宮を囲む壁に辿り着いた。

 サイードはじっくりと衛兵の気配を確認すると、ルナリアに低い声で囁く。


「姫様、失礼いたします」


 サイードはまるで羽を抱くようにルナリアを抱き上げると、音も立てずに地面を蹴った。ひらりと飛び上がると、そのまま塀を軽く蹴って王宮の外へと静かに着地する。

 あっという間の出来事だった。

 花の香りは消えていて、夜露をまとった草の香りと、土の温もりが広がっていた。

 ルナリアは、驚く暇もないままそっと地面に立たされる。足元には、不揃いな石や草がひっそりと眠っていて、王宮の滑らかな石床とはまるで別世界のようだった。


「姫様?……大丈夫ですか?」

「え、ええ……サイード、ありがとう」


 フードを深く被り直しながら、ルナリアがサイードにそう返した。その表情はフードの陰に隠れて、見ることはできなかった。


 ルナリアが静かに振り返ると、美しい白亜の宮殿が闇夜に浮かんでいた。

 王女は今までの人生のほとんどをこの場所で過ごした。瑠璃色の瞳はいま、何を想うのか……。


「姫様、行きましょう」


 サイードの低い声が、静かな夜の静寂の中に響いた。

 手を差し出され、ルナリアはサイードの手のひらにそっと自身の手を重ねる。

 サイードが静かに栗毛の馬を引いてくると、ルナリアはその背に導かれるように跨った。サイードがその後ろに跨ると、闇夜に紛れて駆け出す。


 ルナリアは不思議と恐怖はなかった。サイードが一緒にいるからだろうか……。

 ただ、彼女もよく分からない、漠然とした不安だけが彼女の胸に居座っていた。


(わたしに、何ができるかしら……)


 馬の背中に揺られながら、ルナリアは夜風に包まれていた。頭の中では、さまざまな想いや不安が渦のように巡っていた。


* * *


 王宮からだいぶ離れてから、サイードは馬を歩かせ始めた。


「姫様、大丈夫でしたか?」

「少し馬を急がせてしまいました」と謝罪し、心配してくるサイードに、ルナリアは目を細めて微笑んだ。


「ありがとう、大丈夫よ……」


 そう言って瞼をそっと閉じると、後ろで手綱を握るサイードにゆっくりともたれ掛かる。

 彼の厚い胸板は微動だにせず、彼のことを更に頼もしく感じられた。


「サイード、一緒に来てくれて……わたしのそばにいてくれて、本当にありがとう……」


 サイードは、「いえ……」とだけ答えた。

 夜空には、王宮を出る前に見た赤い光はひとつもなく、美しい星々が一面に広がっていた。

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