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第三話 目覚めの祈り

崩れた神殿で祈りを捧げた少女。その胸に灯ったのは、静かな決意だった。

「姫様、いけません!」 

「……星が、呼んでいる気がするの……わたしが行かなくては」


「危険ですから」とアレクシスが声を上げるのも構わず、ルナリアは王宮内の神殿へと足を踏み入れた。先ほどの星蝕で、赤い星が落ちたらしい場所だ。


「はやく、あなたも姫様を止めてください!」と苛立ちを滲ませるアレクシス。

 だがサイードは一言も発せず、ルナリアに付き従う。


「あなたは来てくれるのね?」

「当然です」


 低い声が落ち着いた響きで返された。

 ルナリアはわずかに頷く。サイードは迷いなく、その後を追った。


「まったく、仕方のない人たちだ……」


 アレクシスは苦い息を吐きながらも、その背中を追って駆け出す。


* * *


「これは……!」


 神殿に入った瞬間、三人の足が止まった。

 天井は無残に崩れ落ち、白亜の柱も裂け、神聖な気配は見る影もない。赤黒い痕跡が壁にこびりつき、神殿の中央には、鈍く赤く輝く星の欠片が漂っていた。

 その下には、ぐったりと動かない女性神官の姿。周囲にも呻きながら倒れている神官たちの姿があった。

 辺りを包む、赤く揺らめく光がひどく禍々しい──


「姫様、お気をつけください」


 サイードはルナリアの前に立つように身を寄せ、アレクシスも反対側に回る。

 ルナリアは胸の前で手を組み、苦しそうに震えていた。澄んだ瑠璃色の瞳が、目の前の光景を見てじわりと潤む。


(……私には、本当に、何もできないの?)


 目の前で星が落ちて、人が倒れている。

 震えて泣くことしかできない自分。

 ルナリアは、苦しかった。目の前で起きている状況を、心から悲しみ、嘆いていた。

 星の囁きや嘆きが聴こえるだけで、何も応えられない無力な王女。何の役にも立てていないのに、王宮で守られ、王族として何不自由ない暮らしが約束されている存在。

 このときほど、自分自身を情けなく、恨めしく思ったことはなかった。


(わたしにも、お母様のように力があれば……お母様……)


 自身がまだ七歳の頃に、若くして亡くなった優しい母の面影を思い出す……。頬を伝って流れ落ちた涙が、ぽたりと神殿の床を濡らした。

……その瞬間だった。


『赤き星落ちるとき、星に祈りを届けられるのは、星の血を受け継ぐ巫女だけ……』

「……!」


 どこからか聴こえたのは、子どもの頃に聞いた言葉だった。

 優しく、穏やかな母の声。

 ルナリアは、その言葉に導かれるように神殿の中央へと歩き出す。もう、その頬に涙は流れていなかった。


「姫様、危険です」


 サイードはルナリアの腕を掴んだ。


「……あなたも、一緒に来てちょうだい」


 祈るようで、縋るようで──けれど、真っ直ぐな瑠璃色の瞳。その眼差しに射抜かれたかのように、サイードはその瞳をわずかに見開いた。


「わかりました」と答えると、サイードはルナリアと共に歩き出す。


「姫様!」


「危険なのに……!」と顔を歪めて、慌ててアレクシスも続く。


 宙に浮かぶ赤い星の欠片と倒れている女性神官のそばまで近付くと、ルナリアはそっと跪いた。


(わたしには、何もできないかもしれない……すごく怖い、でも……)


 ルナリアは震える両手を組んで、強く、強く祈りを捧げ始める。


(わたしに、お母様と同じ星の巫女の血が流れているのなら……どうか、お願い……!)


 そのときだった、神殿内の時間が止まったかのように、白く煌めく光の粒子がルナリアから発せられた。柔らかく温かな白い光が、赤い星の欠片を包み、あたりをも優しく包んでいく。

 その光景を、傍らにいたアレクシスは息を飲んで見つめていた。


(姫様……なんて、綺麗な光なんだ……私は、あなたを守りたくても何もできないのに……)


 アレクシスは震える手で剣の柄を強く握りしめた。

 サイードは表情をほぼ変えていないものの、その瞳からわずかに驚いている様子が感じられる。


 目蓋を閉じていても、あたたかな白い光に包まれているのがルナリアにも感じられた。


(私も、お母様のように……祈ることができたの……?)


 白い光に包まれたのは、まるで一瞬だったかのような……また、永遠かとも感じられるような、不可思議な時間だった。


 そっと瞼を開いたルナリアの瞳に映し出されたのは、柔らかな光の中で跪く、若い女性だった。まばゆい光の中に現れたその姿は、白銀の祈りを纏うような佇まいだった。

 微かに震える肩に、月の光のような髪の赤子を抱きしめて、涙を流している──。


(これは、過去の残像を、祈りが見せてくれたものなの……?)


「お母、さま……?」

 ルナリアは、思わず声を発していた。

 不意に、その紫水晶の瞳が、そっとこちらを見た気がした。何も言わず、ただ静かに微笑んで……。まるで、「あなたなら大丈夫」とでも告げるような眼差しだった──


(……お母様……わたしも、誰かのために祈れる人になりたい……)


 そう願った瞬間、彼女の胸に、確かな光が芽生えた。瑠璃色の瞳に、再びじわりと涙が滲む。

 

 ルナリアは、母親の残像に向かって震える手を伸ばした。

 だが、気づけば母の残像も、赤い星の欠片も、白い光に導かれたかのように光の粒子となって宙に消え失せ、あたりを包んでいた白い光も跡形もなく消えていた。


 瓦礫に埋もれた神殿が、ただの静寂に包まれている。それでも──彼女の胸の奥には、確かに何かが灯っていた。

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