第二話 堕ちてきた災厄
王宮に星蝕が堕ちた日、ひとりの少女の運命が動き出そうとしていた──。
王女の誕生日を祝う宴が終わり、白亜の宮殿に静寂が戻り始めた頃。星の煌めく夜空を見上げながら、ルナリアはひとり、ホールのバルコニーに佇んでいた。
冷たい夜風が、月光色の長い髪を揺らす。
さっきまでの賑やかさが嘘のように、世界はしんと静まり返っていた。
そのとき、ルナリアの視線が夜空の一点で止まる。その一角が、じわじわと血が滲むように赤く染まりはじめたのだ。
その光は、月のそれではなかった。
「姫様、俺の後ろへ」
後方から音もなく現れたサイードが、ルナリアを庇うように前に立つ。
「サイード……」
少し安堵したようにその名を呼ぶと、再び不安げに夜空を見上げたルナリア。
「大丈夫です。俺がお守りします……必ず」
無表情のまま、サイードは静かに告げた。
ふたりは、同じ赤い星を見つめていた。
そのとき、夜空が赤い閃光を放った。遠くからなのか、近くからなのか、鉄を裂くような、天が悲鳴を上げるような音が──空を切り裂いた。
赤い星が妖しく滲んだ。炎のように揺らめきながら、真っ直ぐに地上を目指していた──
瞬間、ルナリアは無意識に空に向かってその手を伸ばしていた。
「だめ……あれが堕ちたら……!」
「姫様!」
サイードは制止するように、わずかにルナリアを抱き寄せた。
赤い光が地上に届くとほぼ同時に、ごくわずかに王宮が揺れたように感じた。言い知れぬ気配が、風に紛れて肌を這うように過ぎていく。
どうやら、赤い星は王都の外れに落ちたらしい。そのあたりが、赤く光っているのが見える。
光っているのは赤い星の欠片か、それとも、何かが燃えているのか……。
「……この地にも、来たか……」
わずかに眉をひそめ、小さく呟くサイード。その低い声は、風の音に紛れてささやくように消えた。
ルナリアは、涙ぐんで苦しげに胸を抑えている。
「星が……また泣いているの……」
(……どうしても、止められないの?)
ルナリアの瑠璃色の瞳が滲んでいる。
祈るように夜空を大きく仰いだとき、バルコニーの扉が勢いよく開かれた。
「姫様、ご無事ですか!?」
飛び込んできたのはアレクシスだった。陽光色の髪や白いマントは乱れ、肩で荒く息をしている。
「探しましたよ……姫様、早く安全な場所へ──」
「向こうの方に赤い星が落ちたの……きっと、また落ちてくるわ……」
涙を今にも零しそうなルナリアに、アレクシスの瞳が揺れる。
「姫様……外は危険ですから、宮殿の中へお戻りを」
アレクシスは、不安や悲しみの色に染まった瑠璃の瞳を苦しげに見つめながら、ルナリアを促す。
そのとき──
「待て」
ルナリアの背にそっと手を添えて歩き出そうとしたアレクシスの腕を、サイードが咄嗟に掴んだ。
「……何ですか?」
唐突な行動に、アレクシスは戸惑いの声を上げる。だが、サイードの眼には、どこか緊迫したものが宿っていた。
(……まさか、何かが──)
アレクシスが怪訝そうに見つめ返したそのとき、王宮の上空が赤く染まり、空気を裂くような音が響き渡った。
サイードの視線が夜空を貫き──その瞬間、彼は動いた。
「姫様、お許しを」
サイードがルナリアを全身で包むように抱き込み、覆い被さるように地面に伏せた。
刹那、赤い閃光とともに、ものすごい轟音と大地が脈打つような揺れがルナリアたちを襲った。
王宮を包み込むのは、禍々しい星蝕の気配──
まるで、星々の嘆きが形を成したかのような──深く、息苦しい闇だった。