第二十六話 星の裁き
──星の泉が、ざわめいた。水面を伝うさざ波が、まるで何かの鼓動のように脈打ち始める。
「さあ……ルナリア様。ともに、星の元へ──」
ルシアンの青白い手が、ルナリアの手首を強く引いた。その黒い瞳はどこか虚ろで、しかし狂信的な熱に染まっている。
不意に──サイードが、静かに天を見上げた。星々のざわめきが、彼にだけ届いたかのように──
その鋭い視線が、星の輝きの奥に潜む“何か”を捉える。
(……来る)
口にすることなく、彼は剣の柄を握りしめると、迷いなく動いた。
「……っ!」
次の瞬間、ルナリアを引くルシアンの腕を、剣の柄で勢いよく薙ぎ払う。
ルシアンも隠し持っていた短剣をサイードへと振るった。
ガキン、と鈍く金属が打ち合う音。水飛沫があがり、サイードの剣撃で短剣を弾かれたルシアンの身体が揺らいだ。
ルナリアは泉へと引き倒される寸前で、サイードの左腕にしっかりと抱き留められていた。
「サイード……」
「下がりましょう」
その声は低く、しかし震えひとつなかった。
──そして、空が、裂けた。
真紅の光が天より降り注ぎ、星の泉を包んだ。
「……セレネ様……!」
ルシアンが天を仰ぎ、叫んだその刹那──赤い閃光が、彼の身体を貫いた。熱と衝撃が空間を歪ませ、赤い星の欠片が爆ぜるように広がる。
光の中、ルシアンの姿が滲み、崩れていく。その瞳には焦点がなく、星蝕の光に向かって両手を伸ばしていた。
「セレネ様ァァァァ──!!」
それは、断末魔とも、恋慕の絶叫ともつかぬ悲しい声だった。
──しかし、ルナリアは、その光の中へと一歩、踏み出す。
「……ルシアンさん……」
彼の苦悩に満ちた背中が、かつての信仰に縋るように震えていた。
ルナリアはそっと手を重ねて、祈るように目蓋を閉じる。
「あなたの母を大切に想う心は……きっと、母にも届いていたと思います……あなたが信じた星を……わたしは、違うかたちで照らしてみせます──」
その瞬間、赤黒い光の中に、白銀の粒子が舞い始める。星蝕の灼熱が白い光に包まれて、穏やかな光へと変わっていく。
光に包まれながら、ルシアンの輪郭がゆっくりと崩れ、塵となって空へ還っていった。
その表情には、もはや苦しみも、怒りもなかった。ただ──穏やかに、何かから解き放たれたように、静かに消えていった。
赤い星蝕の光が消えたあと、星の泉に、静けさが戻った。まるで、何もなかったかのように──けれど確かに、ここには祈りの余韻が残っていた。
ルナリアはゆっくりと視線を上げる。
そのとき──淡く、白銀の光が泉の中央に揺らめいた。
柔らかな光を纏った白衣の影が、泉の中央に立っていた。どこか懐かしく、胸の奥を震わせる気配──
それは、セレネ──ルナリアの母の姿だった。その面影は、変わらず優しく、あたたかい。娘の姿を見つめ、慈しむように微笑んでいた。
「お母様……」
ルナリアは、呼吸を詰めたまま、声を絞り出すように呟いた。
セレネの唇が、そっと開かれる。
『ルナリア……よく、ここまで来てくれましたね』
その声は幻とは思えないほど穏やかに響き、まるで母に抱かれたときのぬくもりのようだった。
『あなたが背負ってきたもの……すべて、見ていました。わたくしは、星の巫女として祈りを捧げてきたけれど──最後に願ったのは、娘であるあなたの幸せでした』
ルナリアの瞳に、涙がふたたび滲む。
「わたしの使命は、お母様の背中を追うことだと思ってた……でも、祈るたびに、わたし自身が消えていくような気がしていたの……でも、違ったんですね。お母様は……」
セレネはゆっくりと頷く。
『わたくしは──何よりも、あなたに生きてほしかった。愛する人と笑って、喜びと共に、星を見上げるあなたを……これからもずっと、それを願っています』
その言葉に、ルナリアの胸の奥で、何かが崩れて、そして解けていく。
(お母様は……わたしの幸せを……)
ずっと、使命を果たすために誰かのために生きなければならないと思っていた。救いの手を差し出すたび、祈るたびに、自分がなくなっていくようで怖かった。
でも今、初めて──心の底から、願える。
(生きたい……)
この星の下で、誰かと笑い、祈り、未来を築いていく。
(わたしは………)
ルナリアはそっと胸に手をあて、涙を拭った。母は微笑んで、白い光と共に淡く消えていく。
「ありがとう……お母様……」
星の泉が、ふたたび青く、穏やかに輝いていた。




