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夜明けは星の泉で 〜アストレアの星蝕と祈りの巫女〜  作者: 星谷明里
第三章 試練 〜星の欠片をさがして〜
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第二十一話 陰に囚われた祈り

 幾日もの旅路の果て、空の色が暖かい色彩に染まる夕暮れ時、一行の視界に──その街は、忽然と姿を現した。


 丘の尾根を越えた先、静かに広がる巡礼都市セレファイス。古の星を崇めた神聖国アストレアの影を今に残す、祈りと遺構の街。

 白灰色の石畳が幾筋にも交わり、時の流れに磨かれた建物が連なる。その静けさは、まるで祈りを封じたまま眠る誰かの心のようだった。


 壁面には、いたるところにかすれた金色の星の紋様──遥か昔の信仰の名残が、今もほのかに輝きを宿していた。


 街の中心には、丘の上へと続くなだらかな石階段が見える。

 その先に佇むのは、巡礼者たちがアストレアの“星の泉”を拝するために訪れる 星辰せいしんの神殿。半ば崩れかけた大理石の列柱。今は誰の手も入らぬ、静謐と古代の気配が満ちた聖域。けれど、門前に灯された星形の燭台には、誰かが最近火を灯した跡が残っていた。星々への信仰は、まだ確かに続いているのだという証しだった。


「……ここが、お母様の故郷アストレアと、星の神々に祈りを捧げる場所……」


 ルナリアの瑠璃色の瞳が、かすかに揺れる。月光色の長い髪が風に揺らぎ、胸元のペンダントの星が──かすかに青白く光を返していた。


* * *


 空気は澄み、木々のざわめきしか聴こえない静寂の地。入口にある朽ちた柱は大きく欠けており、白石灰の壁も淡く色褪せて、所々崩れている。

 セレファイスの中でも、もっとも歴史が古いとされる神殿跡地に三人は来ていた。夜は明けて日も高くなってきていると言うのに、静まりかえるそこには、どこか寂しいような、切なさを感じるような、不思議な気配が漂っていた。


「きっと、立派な神殿だったのね………」


 セレファイスの外れにひっそりと眠るように佇むその神殿跡地は、端に追いやられるにしては、その敷地からも随分と大きな規模だったことがわかる。

 ルナリアがゆっくりと進み、古代の拝殿内へと足を踏み入れた。ブーツのつま先が、砕けた石壁の破片にあたり、小さな音を立てる。


「姫様、お気を付けください」


 朽ちている神殿の中、サイードはルナリアを守るように寄り添って後に続く。

 その背後で、アレクシスの足がふと止まった。


(……?)


 朽ちかけた石壁の片隅、そこには、様々な壁画のようなものが刻まれていた。

 ──不意に、その中でもかすかに残るくすんだ白と淡い褐色の色彩に目を奪われる。


(ここには、どのような壁画が描かれていたのだろうか……)


 蒼玉のようなアレクシスの瞳が、それらを食い入るように見つめる。

 白い衣を纏った、祈りの姿を取る白銀色の長い髪の女性──星の巫女だろうか……そして、その傍らには、ひどく掠れてはいるが褐色の肌を持つ人物の影が寄り添うように描かれていた。


(なぜだろう……見ていると、胸がざわめくような……)


 だが、ルナリアはその存在に気づかず、振り返ってアレクシスを促す。


「アレク、あれが拝殿みたいよ……行きましょう」

「はい、姫様……」


 アレクシスは急いで拝殿へと進むルナリアたちの後を追った。


* * *


 ──セレファイスの神殿での拝礼を終えたルナリアの衣の裾に、淡く輝く星の紋がふわりと揺れていた。滑らかな絹地に白銀の星々の刺繍が光を映し、星の巫女としての神聖さを宿している。


「……この衣は、お母様がわたしに残してくれたものなの」


 静かに呟いた声を、ひんやりとした夜風がさらってゆく。いつの間にか日はすっかり沈み、月と星々が煌めく夜空の下に月光色の髪と白い衣が淡く輝いていた。

 だが、胸の前でそっと重ねられた白い手は、何故か少しだけ震えている。


(……どうして、星たちがざわめいているの?)


 少しだけ不安そうに、ルナリアは祈る手に力を込めた。


(もっと、星々の声がはっきりと聴こえたら良いのに……)


 アストレアに近い場所だからだろうか……ルナリアは、初めて聴いた星たちのざわめきに得も言われぬ不安を覚えたのだった。


「姫様、大丈夫ですか?」


 そんなルナリアの様子に、アレクシスが声を掛けた。

 ルナリアは「大丈夫よ……緊張して、少し疲れてしまったのかもしれないわ」と微笑んでみせる。


「ふたりとも、待っていてくれてありがとう……」


 サイードとアレクシスが控える中、ルナリアは最後の拝礼を終えた。

 祭司たちは退出し、今は広い参道に三人だけ。だがその静けさの裏に、何かが潜んでいる気配がした──。

 サイードはその気配を察したのか、鋭い眼差しであたりをじっと伺っている。

 サイードの様子で気配に気付いたアレクシスも、周囲に視線を走らせる。


「帰りましょう、ふたりとも」


 何も知らないルナリアだけが、月明かりの中ひとり歩みを進める。


「姫様──」


 そう言って、サイードがルナリアに手を伸ばした次の瞬間、石畳の影が音もなく動いた。


 「──!」


 サイードが身を翻すよりも早く、白く輝く神聖衣の裾がふわりと宙に舞った。

 影の中から伸びた黒い腕が、まるで決められた運命かのように彼女に絡みつく。


「サイード……アレク……」

「姫様!」


ルナリアの背後から腕を絡めていたのは、黒髪の男だった。黒い神官服に身を包み、月明かりに照らされた青白い顔が、不気味に夜の闇に浮かび上がる。


「ルナリア様……ずっと、あなたを待っていたんですよ……」


 そう言って、上から覗き込むようにルナリアの顔を見つめる。


「お美しい……やはり、セレネ様によく似ておいでだ……ただ、惜しいな――その瞳が、紫であれば、完璧だったのに……」


「ルシアン、さん?」


 見覚えのある優しげなその瞳は瞬きもせずルナリアの顔を見つめていて、瑠璃色の瞳が困惑の色に染まる。

 その男──ルシアンは、ソリュエルの街で一度だけ挨拶を交わした神官だった。名を名乗り、ただ微笑んでいただけのその瞳が、今は狂気の光をたたえている。


「嬉しいな……覚えていてくださったのですね」


 血の気のない薄い唇が、ゆるりと弧を描く。囁くようなその声は、優しさと狂気が入り混じったような響きを帯びていた。


(──怖い……でも、星たちの声が聴こえる……何を、伝えようとしているの……?)


「姫様を離せ!」


 アレクシスは剣を構えてはいるが、ルナリアを捕らえられているため動くことができない。殺気立っているサイードも、両手に短剣を構えたまま機会を伺っていた。

 ふたりの様子を見て、ルシアンが軽くため息をつく。


「……星の巫女に手荒な真似はしたくなかったのですが……仕方ありませんね」


 ルシアンが何かを唱えると、ルナリアがふっと目蓋を閉じた。そのまま力なく黒い胸元へと崩れ落ちる。


「姫様に、何を──っ!」


 むき出しになっているルナリアの白い喉元に、銀色に輝く短刀がそっと突きつけられた。


「本当に、月の女神のようにお美しい……セレネ様が戻ってきてくださったようだ」


 ルシアンは、恍惚の表情でルナリアを見つめている。その黒曜石の瞳は、一体誰を見つめているのか……。


「あの方はね……この星の穢れが届かない、ただ一つの存在だったんですよ……あなたも、きっと──そうなれます……」


 それは、“願い”なのか、“呪い”なのか──


「貴様………」


 サイードが刀を持つ手に力を込める。

 睨みつけてくるサイードを一瞥すると、ルシアンが背後に向かって声を掛ける。


「それでは、あとはお願いしますね」


 ルシアンの言葉に、影の中から黒装束を纏った男たちが一斉にあらわれた。

 ルナリアを捕らえられたまま動けないふたりは、あっという間に囲まれてしまった。


* * *


 神殿から吹き抜ける風を裂くように、サイードの身体が宙を舞った。古い石造りの壁を蹴ると、空中で捻りを加え、敵の死角へと跳躍する。

 背後から次々に切り伏せられた男たちが、呻き声すら上げられずに崩れ落ち、石段を転げ落ちていく。


「な、なんだあの動きは……!」


 男たちが狼狽する間に、サイードの刃が疾風のごとく踊った。


「サイード、後ろだ!」とアレクシスが叫ぶ。


 サイードは背中に斬り込もうとしてくる男の気配を察し地面を蹴ると、後方に飛びながら男の喉元をかき切った。まるで舞うように、しかし一撃で急所を穿つ冷酷な攻撃。

 アレクシスも負けじと優雅な動きで敵を斬り伏せていく。


「本当に人間か!? こっちは二十人いたんだぞ……」


 最後のひとりが逃げ出そうとした瞬間、その背に無慈悲な影が落ちた──刃が振るわれたことすら気づかせずに終わりを告げる。


 夜の神殿前、戦闘の音は止み、アレクとサイードだけが静かに息を整えていた。風は止み、ただ輝く月と星々だけが静かにこの地を見下ろしている。


 他に、その場に残ったのは、ルシアンただ一人。その腕には、眠っているかのように力なく動かないルナリアが抱かれている。

 彼は一歩も動かず、ルナリアを片手に抱いたまま不敵に笑ってみせた。


「……成程。噂は本当だったんですね……その容姿に、剣筋──おまえは……」


 彼は懐から、黒い革の包みに巻かれた古びた護符を取り出す。


「ナザール族の血を引く者……か」


 その瞬間、サイードの目が鋭く細められる。

 だがルシアンは、すでに何かを唱え始めていた。


「……この時代にまだナザールの血が残っているとは思わなかったな……でも構いません。星の巫女は私が手に入れましたから──それでは、失礼」


 ルナリアをしっかりと抱き直すと、ルシアンはサイードに笑いかけた。ルシアンの手に握られた護符が青白い閃光を放ち、サイードとアレクシスの視界を奪う。

 次の瞬間には、ふたりの姿は夜の闇の中にかき消えていた。

 サイードが一歩踏み出した時には、すでに残されたのは煙のような残光だけだった。

 ただ、星々だけがすべてを見下ろすように、静かに夜空に瞬いていた。

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