第十六話 外の世界との対峙
ルナリアとサイード、アレクシスの三人は、アリシオンより北に広がる草原を歩いていた。
どこまでも続く大地は、芽吹いたばかりの若草に覆われ、ところどころに咲く野の花が彩りを添えている。
少し離れた小高い丘の上には、古びた神殿が静かに佇んでいた。石壁には年月を重ねた痕跡が刻まれていたが、手入れの行き届いたその姿は清らかな空気を纏い、この地に今も星の神々への信仰が息づいていることを物語っていた。
「……あそこに、綺麗な川が流れているわ」
ルナリアが指さす方角には、陽光にきらめく川面が見える。
「それでは、あそこで休憩にしましょうか」
アレクシスが微笑みを浮かべ、そっと応じる。
「……俺は、森に昼食用の食材を探しに行きます」
川辺に続く森を見つめながら、サイードが静かに呟いた。
「ありがとう、ふたりとも」
ルナリアがやわらかく微笑むと、三人は川へと向かい、馬を進めた。
* * *
川辺に着くなり、サイードは言葉通りに森の中へと姿を消した。残されたルナリアとアレクシスは、川辺で休息を取っている。
アレクシスが残っているのは、ルナリアを守るためだった。旅を始めてから、どんなときでもどちらかが彼女のそばにいるよう取り決めていたのだ。
清らかな川のせせらぎが、耳に心地よい。
アレクシスはふとルナリアの方へ視線を向け、静かに口を開いた。
「……姫様は、使命を果たすために王宮を出られたのですよね」
そう呟くように問いかけるアレクシスに、ルナリアはゆっくりと頷く。
「そうね……」
「子どものころは、どんな夢を持っておられたのですか?……実は、私は姫様にお会いするまでは、騎士ではなく詩人になりたかったんです」
アレクシスの声には、幼い頃の記憶を思い出すような優しさが滲んでいた。
「そうだったのね……子どもの頃から、詩と物語が好きだと言っていたものね。詩人のアレクは想像できないけれど……素敵な夢ね」
ルナリアはくすっと笑いながらそう返し、アレクシスは少しだけ赤くなった。
穏やかな風が川面をなで、ふたりの髪をやさしく揺らした。
「わたしの子どもの頃の夢は……よくわからないわ。幼い頃から、王宮の外のことはほとんど知らなかったから……」
ルナリアは、そっと川の流れを見つめている。
「でも……今は、そうね……こうしてアレクやサイードや、みんなと一緒にいられることが、幸せだって思うわ」
その微笑みは儚く、今にも風に溶けて消えてしまいそうだった。
アレクシスは、思わず伸ばしかけた手を自分の胸元でぐっと握りしめた。
「大丈夫です。姫様は、必ず私がお守りしますから……。必ず、一緒にアリシオンに帰りましょう」
それは、まるで自分自身に言い聞かせているような声だった。
「侍女長のハンナは、姫様の手紙を読んで子どもみたいに大泣きして、侍女たちも大勢集まって……それはもう大変だったんですよ」と、話を明るい調子へと転じるアレクシス。
「ふふ……ハンナに会いたいわ……」
(……わたしは……本当に……アリシオンに帰れるのかしら……)
少し翳っている瑠璃色の瞳を、アレクシスはそっと見つめていた。
* * *
「サイードは、料理が上手なのね!こんな風に食べるのは初めてで……とても美味しいわ」
焚き火を囲んでの食事、初めての味に目を輝かせながら、ルナリアは美味しそうに鶏肉を頬張っていた。それぞれの皿には、サイードが狩ってきた鳥を塩で焼いたものと、綺麗に切られた果物が並んでいる。
「……肉を焼いて、果物を切っただけです」
表情を変えず、淡々と答えるサイードに、アレクシスは呆れたような視線を向けた。
(この人は、いつもこの調子なのか……?)
「アレクシスも、美味しいわよね?」
ルナリアに笑顔で尋ねられ、「ええ、とても美味しいです」とアレクシスも笑い返した。
* * *
昼食を終え、三人は再び馬を進めていた。
穏やかだった空は、ゆるやかに不穏な色へと変わりつつあった──だが、その異変に、まだ誰も気づいていなかった。
森と草原の境を越えようとしたそのとき、突如、空を覆うような黒い影が現れた。
「……何か来る」
サイードの警告とほぼ同時に、鋭い風切り音が耳を裂き、あたりを暗く染めた。
頭上から、翼を広げた大型の鳥の魔物たちが次々と降下してくる。羽ばたきに巻き起こる突風が木々を揺らし、草が大地から舞い上がった。
「姫様、下がってください!」
アレクシスは即座にルナリアの前に立ち、剣を抜く。
「……俺が右を引きつける」
サイードは音もなく地面を蹴り、森の影に姿を消した。
──その瞬間、魔物たちの鋭い爪がアレクシスへと襲いかかる。
彼は剣を振るい、空中から襲ってきた一体を斬り払った。
「くっ……邪魔が……!」
視界の端に、新たな魔物が滑空してくる。
だが次の瞬間、それはサイードの短剣によって正確に急所を貫かれ、魔物は音もなく地に落ちた。
「……遅い」
「タイミングを合わせるつもりがないのなら、せめて声ぐらい出してください!」
魔物を斬りながら、アレクシスが苛立った声を上げる。
二人の戦闘スタイルはあまりに違いすぎた。
アレクシスはまさに騎士道といえる正面からの剣術で敵を打ち倒し、サイードは影から音もなく急所を突き落とす。
──互いに強い。だが、息はまるで合わない。
空を舞う羽音と、魔物の叫びが混ざり合い、辺りは騒然としていた。ルナリアは少し離れた木陰で身を潜め、何もできずに立ち尽くしている。
だが、そのとき──
「……?」
空が、泣いているような気がした。急激に空気が冷たくなり、胸がざわめく。
(これは……)
──鼓動が一瞬跳ね上がった。
サイードは一体を仕留めた直後、ふいに動きを止め、空を見上げた。
アレクシスがサイードに声をかけようとしたそのとき、ルナリアが天を仰いで叫ぶ。
「──星が泣いているの……星が、また落ちるわ!」
空の彼方から響いた、名もなき星たちの嘆き。
「姫様!」
サイードが叫ぶと同時に、天が赤く染まり、赤い閃光がほとばしる。轟音とともに、光の矢のような赤い塊が、地上へと堕ちてきた。
「姫様、伏せてください!」
アレクシスが駆け寄り、ルナリアを抱きしめながら地面に伏せさせる。
直後、少し離れた地に──赤い星が、落ちた。眩い光が草原を照らし、凄まじい音が大気を引き裂いて響き渡る。
大地は揺れ、空は確かに──泣いていた。“星の嘆き”が、再びこの世界に刻まれた瞬間だった。




