第十三話 王女を護る者 〜サイードの誓い〜
──あたたかい……。
目蓋を開くと、白い天井。
ふと、この王宮に来た日のことを思い出した。
(そうだ、ルナリアは……)
「……!」
左手に温もりを感じて視線を移すと、白く小さな手で握られていた。
寝台にもたれかかって眠っているのは、ルナリアだった。無邪気に寝息を立てている姿はあまりにも無防備で……。
(ルナリアをひとりにして、俺は何をやっていた……侍女の姿も……ない)
そっと左手を抜き取ると、ルナリアを起こさないようにゆっくりと起き上がる。
「………」
力が入らない。毒の影響か?どのくらい、眠っていたのだろうか?
「ん………」
そのとき、白い目蓋が開かれて、瑠璃色の瞳がゆっくりとこちらを向いた。
「サイード!! 良かった……」
「!?」
あっという間の出来事だった。目覚めたかと思ったら、ルナリアが抱きついてきたのだ。
「本当に、怖かったのよ……サイードが、このまま目覚めないんじゃないか、って………」
そっと引き離そうとするも、手には、毒の影響かわずかに震えが残っていた。抵抗できず、抱きしめられたまま、ルナリアの震える声に耳を傾ける。
「ありがとう、助けてくれて……」
「ルナリアが無事なら、それで良い……」
ふと、サイードは少しだけ目を伏せる。
(そういえば、この温もり……いつかの……)
サイードは、あの日の優しい歌声と、温かな温もりが誰のものだったのかを理解した。
* * *
「サイード・ナジルを、王女ルナリアの護衛とする」
王宮の一室にざわめきが広がった。
その広い部屋には大きなテーブルが置かれ、国王を筆頭に身分の高いものから順に席に付いている。大臣や側近を始めとして、身分も高く主要な文官や騎士たちが勢揃いしていた。
「ですが陛下、あのような素性もわからぬ異国の子どもを王女殿下の護衛になさるなど……」
年老いた文官が口を開く。
「素性がわからぬのは仕方なかろう。あの者は火事で村をなくし、家族もすべて失ったそうだからな……その村も東の方の、随分と辺境にあったようで……この国にある地図には載っておらぬし」
納得していない文官たちを一瞥すると、国王は騎士たちの方を向いた。
「建国祭の日、あの場にいた誰もが動けぬ中で、王女を守ったのはサイード・ナジルただ一人。ならば、誰よりも王女の護衛にふさわしいだろう」
騎士たちは揃って険しい表情をしており、伏し目がちに口を噤んでいる。
国王は、文官たちに向き直った。
「……それに、あの者のおかげで、よりにもよって、建国祭の日に王女を狙った“不届き者”が明らかになったのだからな」
王は初老の文官数名を順に見やる。
「……そう、お前たちは、よく知っているはずだ」
皆緊張した面持で、少し青ざめている者もいる。
「……裏切り者に座らせる玉座はない……これで、私の後継者はルナリアただ一人だけなのだと、皆わかってくれただろう?」
王が視線を送った先には、先日の事件の黒幕と繋がっていたと噂された文官の同僚たちの姿があった。
噂された文官の姿は、もうここにはなかった。
──この王宮にも、アリシオンにも、どこにも存在しない。
彼らは誰ひとり言葉を発さず、顔色を失っていた。
国王は、満足気に笑ってみせた。
「それと、王女の護衛の件で異論があるなら……そうだな……」
国王は顎に手を当てて少し考えてみせた。
「飛んできた矢から王女を身を挺して守り、毒矢を受けてなお三階から飛び降り、離れた場所にいる刺客を生きたまま捕らえてみせよ。それができる者がいるなら、考えよう」
国王の言葉に文官たちは唖然とし、騎士たちは更に目を伏せたのだった。
* * *
「本当に良かったの? サイード……」
「お父さまが、勝手に決めてしまって……」とルナリアは申し訳なさそうにしている。
少し肌寒くなってきた風に、月光色の長い髪が揺れる。
王宮の庭園も、秋になり随分と雰囲気が変わった。紅く色づいた木々を始め、花々も落ち着いた色彩に変わっている。
「ルナリアは俺を……俺の命を救ってくれた……これからは、護衛としてルナリアを守る」
「もう、充分に守ってもらったわ……」
ルナリアは建国祭での一件を思い出したのだろう、不安気な表情でサイードを見つめている。
「俺は大丈夫だ……これからも、ずっと守る」
「サイード、あなたが……怪我をするのがすごく怖いの」
ルナリアの瑠璃色の瞳は揺れ、わずかに滲んでいる。
「王女殿下、失礼いたします」
そのとき、回廊の方から侍従があらわれた。
「サイード卿、国王陛下がお呼びです」
「わか……りました」
サイードは、ぎこちなくそう返した。
「サイード?」
ふたりの間を、ひんやりとした一陣の風が吹いた。赤く染まった葉が、ひらりひらりと舞い降りてくる。
「王女の護衛として、今日からしばらく教育を受けることになった……教育が終わったら、またルナリアの──あなたの側にいられる……」
唖然としているルナリアに「行ってくる」と一言告げると、サイードは侍従とともに回廊の奥へと消えた。
(早く教育を終えて、ルナリアの元に戻ろう……ずっと、そばで守れるように)
サイードの虎眼石の瞳の奥には、真っ直ぐな光が宿っていた。
「サイード……」
見えなくなったその背中に、ルナリアは囁くように呟いた。サイードがいなくなった場所に、冷たい風が吹いている気がする。
近衛騎士たちは、少し離れた場所に佇んでいて……。
近衛騎士たちは……他の皆も、『王女殿下』としてしか接してはくれない。
(……こんなに寂しいなんて、思わなかった)
成長し、王女として見られるほどに、ただの“ルナリア”ではいられなくなるのが、少しだけ怖かった。
夏から一緒に過ごしてきたサイードは、“王女”としてではなく、“ただのルナリア”として接してくれていたのだと痛感する。
ルナリアの中で、『サイード』は特別な存在になっていた。
* * *
「お前の立ち居振る舞いは、兵士──否、まるで傭兵のそれだ。王女殿下の護衛ならば、剣術だけでなく、騎士としての品格も学ばねばなるまい」
そう言ったのは、壮年も終わりかける年嵩の男性だった。
彼は元近衛騎士で、騎士団副団長も務めていたことがあるらしい。頭には白髪が混じり始めているが、その身体は頑強で、動きも素早く剣筋も鋭い。現役の騎士でも敵わないのではと思わされる風格と実力を兼ね備えていた。
王女の護衛としての教育が始まってから、サイードの生活は一変した。
早朝に起きて走り込みをしてから水を浴びて着替えると、朝食を取り、午前中は礼儀作法や教養を教わる。昼食を取ってから、日が沈むまでは鍛錬と剣術の訓練。湯浴みをして夕食を取ってからは、用意された部屋へ戻り、深夜まで復習と予習を行なった。
慣れない宮廷作法の授業には戸惑ったが、王女の護衛として必要であることはサイードもよくわかっていた。そして、教養を学ぶ授業は、新鮮で面白いと感じていた。
元騎士からの剣術指南は、太刀筋が自分のものとはあまりに異なり最初は苦戦したが、日ごとに手応えを感じられるようになってきている。
(ルナリア……)
サイードは毎晩、守るべき少女の顔を思い浮かべてから眠りについた。
* * *
国王の私室。
国王と、呼び付けられた元騎士がソファに向かい合わせに腰掛けていた。
「サイード・ナジルの様子はどうだ?」
「はい、宮廷作法も教養も最初は苦戦しているようでしたが、真面目に取り組んでおり、少しずつ様になってきました。
騎士としての剣筋はまだ粗削りではありますが、実力は護衛として申し分ないかと……」
「そうか……」と呟いた国王は、沈黙する元騎士を見つめる。
「何か、言いたいことがあるようだな……」
「……はっきり申し上げて、あの者は……普通では、ありません。
まだ十五でありながら、既に近衛騎士数人でかかっても軽く打ち倒してしまう程の実力を持っています。恐らく、どこかで訓練を──」
「構わん」と国王は騎士に言い放った。
「あの者が何であろうと、ルナリアを命懸けで救ったことに変わりはない……そして、毒矢で死にかけても尚、ルナリアを守ろうとしている」
黙っている騎士を見て、国王は続けた。
「ルナリアを守るために命を懸けることができる、実力のある者を娘のそばに置きたいのだ……」
国王はそう言って、壁に掛かっている肖像画を見つめた。
そこには、若き日の国王と、寄り添う美しい女性、そして、月光色の髪の愛らしい少女が描かれている。
娘だけは、失いたくない──
あの少年なら、きっと守ってくれる。娘を守ってくれるのならば、どんな過去を抱えていたとしても構わなかった。
国王の視線の先で、微笑みを浮かべた妻が、やさしく娘を見守っているように思えた。
それは、遥か遠くで静かに輝く、星のようなまなざしだった。




