第十一話 異邦の客
少年は、夢を見ていた。炎の中を彷徨う、忘れたい記憶の夢──
足元の焦げた木片も、すすけた空気も、熱くはなかった。
けれど、心が、痛かった。
(帰りたい……でも、どこに?)
不意に、優しい歌声が聴こえた。まだ幼さの残る、澄んだ優しい歌声……。
歌に聴き入っていると、ふわりと白い光に包まれていることに気づく。
「あたたかい………」
左手にやわらかなあたたかさを感じ、その温もりが全身に広がったように感じた。
少年は、そっと目蓋を閉じた。
* * *
「………っ!」
(ここは、どこだ?)
少年が目を覚ますと、目の前には見知らぬ天井。天井も壁も床も真っ白に磨き上げられており、窓枠もカーテンも調度品も、全てが見たことがないほどに美しかった。
(貴族の屋敷か……?)
体を見ると、魔物に噛まれた右腕と腹部に丁寧に包帯が巻かれている。
「………っ!」
右手を握りしめようとすると、激痛が走った。全身が軋んでいる感じがする。
そのとき──
カチャリ…と静かに扉が開く。
気配では、どうやら女のようだ。少年は、ベッドの脇に飾られていた壺に目をやる。
『何も信じてはいけない』──そう、身をもって学んできた。迷いもなく、その壺に手を伸ばす。
「目を、覚まされたのですね!姫様をお呼びいたしま──きゃあっ!!」
ガシャン!と音を立てて壺が割れた。女が言い終わる前に、少年が壺を床へと落としたのだ。
美しかった白い壺は、石床の上でバラバラに散らばっている。
「どうした!?」
壺の割れる音と女の悲鳴を聞きつけて、武装した男たちが数名やってきた。男たちは皆、やたらと綺麗な格好をしていて、美しい装飾の剣を腰に差している。
その後ろからは、少年よりもいくつか年下であろう、まだ幼さの残る少女が顔を覗かせていた。
「気がついたのですね! 良かった……」
安堵した様子で、少年へと近づこうとする少女。
「王女殿下、危険です!」
「お下がりください」という男たちには構わず、少女は前へと進み出てくる。
「お前たちは、誰だ!?」
(王女? ……どこの国だ? 何の目的で俺を助けた?)
少年は壺の欠片を構えると、少女や男たちを睨みつけた。
男たちが、一斉に剣の柄へ手を伸ばす。
「やめて!!」
大きな声で叫んだのは、少女だった。
(──?!)
「王女殿下!」
少女は、少年と騎士たちの間に立っていた。
少年に背を向け、騎士たちから少年をかばうように、細い両腕を広げて……。
(なぜ、俺を庇う?)
「わたくしはルナリア。あなたを傷つけるつもりはありません……」
首だけでこちらを少し振り返ると、そう言って少女はふわりと微笑んだ。
「あなたは、アリシオンの浜辺に傷だらけで倒れていたのです……無事に目を覚ましてくれて、本当に良かった」
「………」
少年の手から力が抜け、するりと欠片が落ちた。無意識だった。
その瞬間から、閉ざされた少年の扉に、微かに光が差し込んだ。
星々すらも、その奇跡の始まりを、まだ知らなかった──。
* * *
「父上、あの者はまだ王宮に? しかも、ルナリアの──王女殿下のお側にいるなんて……」
陽光のように輝く金色の髪の少年が、不満気に窓の外を見つめている。視線の先には、庭園を散策するルナリアと、褐色の肌の少年の姿があった。
「アレクシス……仕方がないだろう。行く先が見つかるまでは、王宮で預かることを陛下がお許しになったのだから」
(どうせ、行く先なんて見つかるわけがないのに……あんな、素性もわからない怪しい異国の者……)
アレクシスは、忌々しげに褐色の肌の少年を見つめていた。
* * *
「サイード、見て」
ルナリアに案内された部屋には、美しい白いドレスが飾られていた。
「秋の建国祭で着るドレスよ……ほら、この刺繍。『ルナリア』の花……私の意匠なの」
ルナリアは、ドレスの胸元や裾の金色の刺繍を指差した。
「綺麗、だな……」
それ以外の言葉を、サイードは知らなかった。
「ありがとう。ルナリアという名前はね、お母さまが付けてくださったのよ……」
ルナリアは、そう言って嬉しそうに微笑んだ。
「サイードの名前は、誰が付けてくれたの?」
少しの間、沈黙が流れる。
「父と、母だ………幸せになるように、と名付けてくれた」
(この名前にふさわしい生き方が、俺にできるのだろうか……)
「サイード……とても良い名前ね」
ルナリアは静かに微笑みながら、そう言った。
サイードの表情から何かを察したのか、ルナリアはそれ以上のことは聞かなかった。
王宮の者たちは、サイードの素性を知りたがり、あらゆる質問をした。
だが、彼はほとんど答えなかった。
質問への答えそのものがなかったのか、話したくなかったからなのかは、誰にもわからない。
ただ、皆諦めたのか、そのうち聞くことをやめた。
サイードの異国出身とわかるその容姿を敬遠したり、不躾に見たりしなかったのも、彼の素性も何もかもを気にしなかったのも、ルナリアだけだった。
サイードは、気づけばルナリアのそばにいるようになり、ルナリアもそれを自然に受け入れるようになっていた。




