表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第二章:魔女と医療、そして瀉血の真実

 僕が老婆にペニシリンを投与してから、数時間が経過した。奇跡は、ゆっくりと、しかし確実に起こり始めていた。

 老婆の熱が、少しずつ下がり始めていたのだ。激しかった咳も落ち着き、苦しそうな息遣いも楽になってきている。

 広場に集まっていた村人たちは、固唾を飲んでその様子を見守っていた。修道士はまだ何かを呟いているが、その声には以前のような勢いはない。

 そして、ついに老婆が薄く目を開けた。

「……ああ……楽に、なった……」

 かすれた声だったが、それは間違いなく、意識が回復している証拠だった。老婆の娘が、信じられないものを見るかのように、僕と老婆の顔を交互に見つめる。やがて、彼女の目から大粒の涙が溢れ出した。

「おばあちゃん! 本当に、本当なの!?」

 娘の問いかけに、老婆はゆっくりと頷いた。その顔には、まだ病の痕跡は残っているものの、先ほどまでの絶望的な色合いは消え失せていた。

 広場に、歓声が沸き起こった。

「治った! 本当に治ったぞ!」

「神の奇跡だ!」

「小僧は、神の使いか!?」

 先ほどまで僕を罵っていた村人たちは、手のひらを返したように僕を称賛し始めた。修道士は、呆然とした顔でその光景を見ている。

 僕は、人々の歓声の中で、そっと僕の隣に立つ少女の顔を見上げた。彼女は、何も言わずに老婆の様子を見ていたが、その表情には、ほんのわずかな安堵と、かすかな笑みが浮かんでいた。

 僕は彼女に声をかけた。

「僕の名前は、花芽三月。君は……?」

「マナ。マナ・レーデル」

 彼女は、少し照れたように名乗った。

「ありがとう、マナ。君が僕を信じてくれたから、老婆を助けることができた」

 僕の言葉に、マナは首を横に振った。

「私じゃない。貴方の……貴方の薬が、すごい」

 彼女の言葉に、僕は少し胸が熱くなった。この世界で、僕の能力を理解してくれた最初の人物だ。

 しかし、喜びも束の間だった。黒死病は、一人の治療でどうにかなるような生易しい病ではない。村には、まだまだ多くの患者が苦しんでいる。そして、この病は、この村だけの問題ではない。

 僕はマナに語りかけた。

「マナ、君の力が必要なんだ。この村だけじゃなく、この世界中の黒死病を治すために、僕に協力してくれないか?」

 マナは、僕の真剣な眼差しに、一瞬だけ躊躇するような表情を見せた。だが、すぐに決意したように頷いた。

「……わかった。私にできることなら、何でも」

 こうして、僕とマナの、異世界における黒死病との戦いが始まったのだった。

 僕たちはまず、村の現状を把握することから始めた。黒死病患者は増える一方で、村の医者や薬師たちは、全く手の施しようがないと諦めているようだった。彼らが唯一行っていた治療は、瀉血しゃけつ だった。

 瀉血とは、患者の「悪い血」を体外に排出することで病気を治すという、中世の治療法だ。だが、現代の医療知識を持つ僕からすれば、それは全くの非科学的で、むしろ患者の体力を奪い、病状を悪化させる危険な行為に他ならなかった。

 僕は、瀉血が行われている小屋へと向かった。そこでは、村の老医者が、患者の腕を小刀で切りつけ、黒ずんだ血を器に流し込んでいるところだった。患者は、苦痛に顔を歪め、弱々しい呻き声をあげている。

 僕は思わず声をかけた。

「おじいさん、それはやめた方がいい! 患者さんの体力が奪われるだけです!」

 老医者は、僕を振り返り、不審そうな顔をした。

「なんだ、お前は。これは古くから伝わる治療法だ。悪い血を抜かねば、病は去らぬ!」

「違います! この病は、細菌によって引き起こされるんです。血液を抜いても、細菌は減りません。むしろ、貧血で容体が悪化します!」

 僕は必死に説明するが、老医者は頑として聞く耳を持たない。彼にとっては、僕の言葉は異端以外の何物でもないのだろう。

 その時、マナが僕の隣に立った。彼女は、老医者の手元から流れ出る血液をじっと見つめている。そして、ゆっくりと手を差し伸べた。

「あの……その、血……」

 マナが血に触れようとすると、老医者はぎょっとしたように後ずさった。

「来るな! 魔女め! この聖なる治療を汚すな!」

 やはり、マナは村人から忌み嫌われている。しかし、マナは怯むことなく、僕を見た。

「三月……この血、何かおかしい……」

 マナの言葉に、僕はハッとした。彼女の能力は「血液操作」。血液の流れを微調整したり、病変を感知したりできると言っていた。もしかしたら、瀉血は「治療」ではなく、「診断」として活用できるのではないか?

 僕は老医者に向き直った。

「おじいさん、瀉血を止めてくれとは言いません。ですが、どうかその血液を、僕たちに見せてください。彼女の能力を使えば、この病気の状態を、もっと詳しく知ることができるかもしれません!」

 老医者は疑いの眼差しを向けてくる。だが、老婆を治したという僕の実績が、彼を少しだけ迷わせたようだ。結局、彼は不承不承といった様子で、瀉血で抜き取った血液を、僕たちの前に置いた。

 マナは、その血液にそっと触れた。彼女の指先から、かすかに青白い光が放たれる。

 そして、マナの表情が険しくなった。

「……血の粘度が、異常に高い……。そして、小さな、黒い粒が、たくさん……」

 マナの言葉を聞きながら、僕の頭の中では、現代の血液検査の知識が駆け巡っていた。血液の粘度、凝固状態、そしてマナが言う「黒い粒」。それはきっと、ペスト菌の塊か、あるいは菌が引き起こす血栓だろう。

 僕は「薬物生成」で、簡易的な顕微鏡を生成した。

「マナ、その血液を、このレンズ越しに見てみてくれ」

 マナは僕の指示に従い、顕微鏡を覗き込む。そして、彼女の目が大きく見開かれた。

「これは……! 黒い粒が、蠢いている……!」

 マナが見たものは、僕が想像した通り、活発に増殖しているペスト菌の姿だった。

 僕は老医者に向き直る。

「おじいさん、これが、この病気の原因です。この目に見えない小さな生き物が、体を蝕んでいるんです。瀉血では、これを全て取り除くことはできません」

 老医者は、顕微鏡を覗き込み、そして顔を真っ青にした。彼にとって、それはまさに悪魔の姿に見えたのかもしれない。

 僕は続けた。

「しかし、彼女の能力を使えば、この血液の状態を、より詳しく知ることができます。そして、それによって、患者さんがどれだけ病が進行しているのか、どんな状態なのかを把握できる。つまり、瀉血は治療ではなく、診断として使えるんです」

 老医者は、僕の言葉に衝撃を受けているようだった。彼の目の前で、数百年続いた瀉血という行為の意味が、根本から覆されたのだ。

 僕は、マナの能力と僕の医療知識を組み合わせれば、黒死病の病態をより正確に把握し、治療に繋げられると確信した。瀉血はもはや、無闇に血を抜く行為ではない。それは、患者の命を救うための、重要な情報源となるのだ。

 僕は村人に、黒死病の恐ろしさと、その原因が「目に見えない小さな生き物(細菌)」であることを説明した。

「この病気は、『黒い血』と呼ばれる病原菌が体の中で増えることで引き起こされます。そして、その菌は、主にノミという小さな虫を介して広がります。ノミは、ネズミの体に寄生していて、ネズミが病気になると、ノミがその病原菌を吸い込み、次に人間を刺すことで、病気が人に移ってしまうんです」

 僕の言葉に、村人たちは半信半疑の顔をしていた。目に見えない病原菌、小さなノミが病気を運ぶ、というのは、彼らの常識を遥かに超えた概念だったからだ。しかし、老婆を救ったという事実は、彼らに僕の言葉に耳を傾ける理由を与えていた。

「だから、この病気を防ぐためには、まずネズミを駆除すること。そして、清潔な環境を保つことが何よりも大切なんです」

 僕は、具体的な対策を指示した。

「家の周りや中をこまめに掃除し、食べ残しを放置しないこと。ネズミの巣穴になりそうな場所を塞ぎ、捕獲用の罠を仕掛けること。そして、一番大切なのは、手を洗うことです。特に病気の人の体に触れた後や、食事の前には、必ず水で手を洗い流してください」

 村人たちは、僕の言葉に戸惑いながらも、その日からネズミ駆除と清掃活動を始めた。最初はぎこちなかった彼らの動きも、僕とマナが率先して手本を示すことで、徐々に活発になっていった。

 マナは、その血液操作の能力で、瀉血の際に血液の状態を詳細に把握する役割を担った。彼女は、患者の血液に触れるだけで、病原菌の量や、体の免疫反応の強さ、臓器への影響などを、僕に伝えることができた。僕の現代医療知識とマナの特異な能力は、まさに最強のコンビだった。

 僕は、マナから得た情報をもとに、「薬物生成」で患者に最適な抗生物質を生成していった。ペニシリン、テトラサイクリン、ストレプトマイシン……。現代医学の粋を集めた薬剤が、次々と僕の手のひらから生み出されていく。

 抗生物質を投与された患者は、目に見えて回復していった。高熱は下がり、リンパ節の腫れも引いていく。黒い斑点は薄れ、肌の色も健康な状態に戻っていく。村には、わずかながらも希望の光が差し込み始めていた。

 しかし、喜びもつかの間、新たな問題が浮上した。

 僕が生成できる抗生物質の量には限りがある。僕の集中力と体力、そしてある程度の時間が必要だった。患者の数は膨大で、このままでは、全員を救うことはできない。

 僕は、抗生物質を量産する方法を考える必要があった。現代の製薬工場のような大規模な設備は、この世界には存在しない。手作業で、しかし効率的に薬を製造する方法。

 僕はマナに相談した。

「マナ、この薬を、もっとたくさん作れる方法はないかな?」

「たくさん……? 私の血では、そんなには作れない……」

 マナは自分の能力のことだと思ったようだ。僕は首を振った。

「そうじゃない。僕の能力で薬の元は作れる。でも、それをたくさんの人に届けるには、もっと効率的な方法が必要なんだ」

 僕は頭の中で、簡易的な薬品製造装置の設計図を組み立てていた。蒸留器、ろ過器、加熱装置……。この世界の素材で、どこまで再現できるだろうか。

 マナは、僕の言葉を聞きながら、真剣な表情で僕の思考に耳を傾けているようだった。

「ねぇ、三月。私の能力で、血液の粘度を調整するように、貴方が作った『薬の元』を、水に均等に混ぜることはできる?」

 マナの言葉に、僕は目を見開いた。その発想はなかった!

 薬物生成で作り出す抗生物質は、純粋な結晶のような形をしている。それを水に溶かし、薄めてから患者に投与する。その希釈作業を、マナの血液操作の能力を使えば、より正確に、そして効率的に行えるかもしれない。

 僕はすぐに試作に取り掛かった。僕が生成した抗生物質の結晶を水に溶かし、マナにその液体を操ってもらう。マナは、液体の流れを微調整し、結晶が均一に分散するように操作した。

 結果は驚くべきものだった。マナの能力を使えば、僕が手作業で希釈するよりも、はるかに短時間で、しかも正確な濃度の抗生物質溶液を作ることができたのだ。

「これだ! マナ、君のおかげだ!」

 僕は歓喜の声を上げた。マナは、僕の笑顔を見て、少し頬を染めていた。

 こうして、僕とマナの共同作業による、抗生物質の簡易量産体制が整えられた。僕が「薬物生成」で抗生物質の原液を作り、マナがそれを効率的に希釈して、多くの患者に届けられるようになったのだ。

 村の黒死病患者は、目に見えて減少していった。死者の数は減り、病から回復した人々が、僕とマナに感謝の言葉を伝えるようになった。修道士も、最初は僕を異端視していたが、多くの命が救われる光景を目の当たりにし、何も言えなくなっていた。

 村には、再び活気が戻りつつあった。子供たちの笑い声が聞こえ、人々は希望を取り戻し始めていた。僕とマナは、文字通り村の救世主となっていた。

 しかし、その平穏は長くは続かなかった。

 ある日、隣村から、一体の患者が運び込まれてきた。彼は、これまでの黒死病患者とは、明らかに違う症状を呈していた。

 リンパ節の腫れは異常なまでに巨大で、皮膚にはこれまでに見たことのない、奇妙な色の斑点が浮き出ている。呼吸は荒く、意識も朦朧としている。そして、何よりも僕を驚かせたのは、彼の血液の状態だった。

 マナが瀉血で採取した血液に触れると、彼女の顔から血の気が引いた。

「三月……これは……」

 マナの声が震えている。僕は顕微鏡を覗き込んだ。

 そこには、これまで見てきたペスト菌とは、明らかに異なる姿の細菌が蠢いていた。形状は似ているが、その数は圧倒的に多く、動きも活発だ。まるで、僕たちがこれまでに使ってきた抗生物質を嘲笑うかのように、力強く増殖している。

 僕はゾッとした。

「まさか……変異株……!?」

 現代医学の知識が、僕に最悪の可能性を告げていた。病原菌は、薬剤に耐性を持つように進化することがある。この異世界でも、それは起こりうるのだ。

 僕が生成したこれまでの抗生物質を投与しても、患者の容態は一向に改善しない。どころか、みるみるうちに悪化していく。

 この新たな脅威に、村人たちの間に再び不安が広がり始めた。

 そして、その不安は、一部の者たちを狂気に駆り立てる。

 夜、村の広場で、数人の村人が松明を手に集まっていた。彼らの顔は怒りと恐怖に歪んでいる。

「やはり、あの魔女と異邦人は、疫病神だ!」

「一度は病気が治まったかのように見えたが、それは奴らの魔術に騙されただけだ!」

「新たな病は、奴らが呼び込んだに違いない!」

 彼らは、僕とマナを指差し、口々に罵声を浴びせ始めた。修道士は、その輪の中に加わってはいないが、何も言わず、ただ黙ってその光景を見守っている。

 僕とマナは、再び村人たちの偏見と恐怖の対象となってしまった。そして、この新たな変異株が蔓延すれば、僕たちの医療革命は、あっという間に崩れ去ってしまうだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ