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第一章:黒き病と出会う

 次に目を覚ました時、僕は砂埃舞う石畳の上に横たわっていた。頭上には、見慣れない木造の家々が並び、土壁には苔が生している。鼻腔をくすぐるのは、薪の燃える匂いと、家畜の糞の混じったような、生々しい異国の匂い。

 ぼんやりとした頭で起き上がると、全身が少しだけ重い。だが、痛みはない。周囲を見渡せば、僕がいた場所は、どうやら村の広場のようだ。行き交う人々は、粗末な麻の服を身につけ、顔には疲労と諦めが滲んでいる。

 彼らの言葉は、不思議と理解できた。僕の知る日本語とは全く違う響きなのに、まるで母国語のようにスッと頭に入ってくる。これは、あのシステムメッセージの「転生」とやらの影響だろうか?

「……本当に、異世界に来ちゃったのか」

 呆然と呟く。しかし、現実感は薄い。まるで、VRゲームの世界に迷い込んだような感覚だった。

 その時、僕の耳に、激しい咳き込みと、苦しそうなうめき声が飛び込んできた。

 声のする方を見れば、広場の片隅に、むしろが敷かれ、その上に何人もの人が横たわっていた。彼らは皆、顔は土気色で、額には尋常ではない量の汗をかいている。そして、その首筋や脇の下には、不気味なほど大きく腫れ上がったコブがいくつも確認できた。

「熱い……苦しい……」

 痩せ細った子供が、か細い声で母親に訴えている。母親は、ただその手を握りしめ、涙を流すことしかできないでいた。

 その光景を見た瞬間、僕の脳裏に、あの転生時に植え付けられた「現代医療知識」が閃光のように駆け巡った。

『高熱、悪寒、倦怠感、リンパ節の腫脹、皮膚の変色……』

 まるで、教科書をめくるように症状が僕の頭にインプットされる。そして、一つの恐ろしい病名が浮かび上がった。

「まさか……黒死病ペスト……?」

 人類史上最悪の疫病。中世ヨーロッパで数千万人もの命を奪った、あの死の病が、今、目の前で猛威を振るっている。

 人々は、その病を「黒い血」と呼び、神の罰だと信じているようだった。広場には、修道士らしき男が、聖書を手に祈りを捧げている。しかし、病は祈りでは治らない。彼らの表情には、絶望と諦めが色濃く浮かんでいた。

 僕は思わず、自分の手のひらを見つめる。転生時に得たという「チートスキル:薬物生成ポーションクリエイト」。これがあれば、もしかしたら……。

 僕は頭の中で、ある医薬品の構造をイメージする。清潔な水を媒介に、病原菌を殺すための魔法のような薬。

「ペニシリン……」

 思考と共に、手のひらがぼんやりと光り始めた。そして、小さな試験管のようなものが現れ、その中には透明な液体が満たされていた。間違いなく、抗生物質。

 僕は意を決し、病に苦しむ人々の元へと足を踏み出した。

「あの……僕、この病気を治せるかもしれません」

 僕の言葉に、周囲の村人たちが一斉に僕を振り返った。彼らの目には、警戒と不信の色が浮かんでいた。見慣れない服装の少年が、何を言っているんだ、と。

 修道士が前に出てきて、僕を睨みつける。

「何を言うか、小僧! これは神の御心。祈りによってのみ救われるのだ!」

「違います! これは病気です。適切な治療をすれば、治せる病気なんです!」

 僕は必死に訴える。だが、彼らは僕の言葉を理解しようとしない。千年近くも信じられてきた「神の罰」という概念は、そう簡単に覆せるものではないのだ。

 そんな膠着状態の中、僕の視線は、広場の端で静かに佇む一人の少女に引きつけられた。

 彼女は、黒い髪を三つ編みにし、民族衣装のような素朴な服を着ていた。年の頃は僕と同じくらいか、少し年下だろうか。十六歳くらいだろうか。その目は、病に苦しむ人々をじっと見つめ、どこか悲しげな光を宿している。

 しかし、彼女が人々から少し離れた場所にいるのは、彼女自身が何らかの理由で避けられているからだと、すぐに分かった。彼女の周囲には、誰も近づこうとしない。村人たちの視線には、畏怖と嫌悪が入り混じっていた。

 僕が彼女を見つめていると、彼女の視線が僕に向けられた。その目が、僕の手の中にあるペニシリンの試験管を一瞬捉え、そして、僕の顔をじっと見つめてきた。彼女の表情には、諦めの中に、かすかな探究心のようなものが垣間見えた。

 その時、一人の老婆が、激しい咳き込みと共に意識を失った。

「おばあちゃん!」

 娘らしき女性が悲鳴を上げる。修道士は、ただ祈りを捧げ続けるばかりで、具体的な行動は何も起こさない。

 僕は迷わず、老婆の元へと駆け寄った。

「大丈夫ですか!? 意識を失っています!」

 老婆の脈拍を確認する。弱く、速い。熱もかなり高い。このままでは危ない。

 僕は持っていたペニシリンの試験管を掲げた。

「これがあれば、助けられるかもしれません。どうか、僕に治療させてください!」

 老婆の娘は、半信半疑の顔で僕を見つめている。だが、縋るように僕の手元を見ていた。

 その時、あの少女が、ゆっくりと僕に近づいてきた。

「本当に……治せるの?」

 透き通るような声だった。その瞳は、疑いの色を宿しながらも、僕の言葉の真偽を確かめようとしているようだった。

 彼女の出現に、村人たちがざわめき始める。

「あいつだ! 黒い血の魔女が!」

「疫病神め! 近寄るな!」

 罵声が飛び交う。だが、少女は全く気にする様子もなく、僕の隣に立った。

 僕が答える。

「はい。これは、病原菌を殺す薬です。これを使えば、きっと助かります」

 僕の言葉に、少女は迷うことなく頷いた。

「わかった……。やってみて」

 彼女の言葉に、村人たちはさらに騒然となった。しかし、その瞬間、一筋の希望が僕の心に灯った。この少女は、僕の言葉を信じてくれた。彼女は、もしかしたら、この世界で僕の初めての理解者になるかもしれない。

 僕は、彼女の強い眼差しに背中を押されるように、老婆の腕にペニシリンを注射した。薬物生成で、清潔な注射器も一緒に生成していた。

 村人たちは、僕の行動に息をのんでいる。修道士は、顔を真っ赤にして僕を指差す。

「なんという冒涜を! 神を侮辱するのか、小僧!」

 だが、僕は彼らの声など気にせず、老婆の容態を注意深く観察し続けた。

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