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第9話 私がやります

 私はこんな風に笑いかけられたことはないけれど、澄子さんはいつも簡単に、いつきさんからこんな笑顔を引き出してしまう。


「けど、それを本当にやり遂げてしまうのが澄子だからね」


 やれやれ、と首を振る彼に続いて、侑李さんも太郎さんも、穏やかな笑い声をあげた。それは、澄子さん曰く、「隣人になる」為に、彼らが今までに紡いできた絆を表すような、柔らかくて、温かい声だった。


 その輪の中にいない私は、居心地の悪さを感じながら、口を開く。


「でも、その……そもそも話してくれない場合って」

「ふふふ。雛ちゃん、こういうことはね、時間をかけるしかないのよ。積み上げた時間の長さでしか、解決できないことが、この世界には実は沢山あるから。根気よく声をかけ続ければ、いつかは声を……心を、返してくれるかもしれないわ」


 穏やかに笑う澄子さんは、実際の年齢よりもうんと年上の人に見えた。


 澄子さんは年齢よりもずっと若々しい見た目で、つやつやの黒髪や、夢を見ているみたいにきらめいている瞳も相まって、下手すると私の姉に間違われるくらいなのだけれど。


 精神面から言うと、もしかして、悟りを開いているのだろうか……。なんて思うことが、たまにあるくらいの人なのだ。だからこそ、若く見える外見のわりに、実年齢よりも年上に見える瞬間があるのだろう。


 そのくらい彼女は、私の知らない人生経験が、豊富なのだろうと思う。


 澄子さん、まだ三十代のはずなんだけどな……。


 感心すればいいのか、それを通り越して呆れるべきなのか、判断に困る。


 どんな顔をすれば良いものかと思っていると、澄子さんが再び「困ったわあ」と頬に手を当てた。


「時間をかけるしかない、とは思うのだけれど、最近ちょっとやることが多くて、犬ちゃんに会いに行く時間が頻繁に取れそうにないのよね。でも、強引に話を聞きだすこともしたくないし……。私に時間があれば、もっとちゃんと面倒を見てあげられるのだけれど」


 女将失格だわ、と悲し気に目を伏せる澄子さんに、いつきさんが鼻を鳴らした。


「ふん。澄子が気にすることじゃないよ。時間ができるまで、放っておけばいいんだ。それが嫌なら、今すぐに強引にでも話を聞きだすんだね」

「まあ、いっちゃんったら! 私が拾ってきたのだから、その責任は果たすべきよ。……でも、時間がないのは本当なのよねえ。時間ができるまで、待っていてもらえるかしら」


 澄子さんが、困っている。冗談のような言い方をしているけれど、多分これは、本当に困っている。


 それは、これまで綾部家で過ごしてきて、恐らく初めて見る、澄子さんが本気で悩んでいる姿だった。


 そう思った瞬間、急速に全身に血が巡っていくように感じた。体中から鼓動が鳴っているような気がして、私は胸の前でぎゅうっと手を組み合わせる。


 今しかないのではないか、と思った。恩を返すのは、今しか。


 けれど、あやかしに関わりたくないという感情が、自分自身の行動を阻もうとしているように、体が重い。澄子さんの、力になりたい。あやかしに、深く関わりたくない。二つの相反する感情が、私の体をぐるぐると回って、破裂してしまいそうな心地がした。


「あ……」


 口を開くと、妙に喉が渇いていたのがわかった。ひゅう、ひゅう、と音にならない言葉が霧散する。けれど、諦めるわけにはいかない。私は、返さねばならないのだ、ここまで育ててもらった、この大恩を。


 全身に力を入れて、私は再び口を開いた。


「わ、私がやります!」


 拳を握りしめながら、勢い込んで発した言葉に、注目が集まるのがわかった。不審そうな顔をしているいつきさんの言いたいことは、わかる。


 だって私は今まで、あやかしたちにできるだけ関わらないように生きてきたのだ。


 でも、私は、報いたい。報いなければならない。


 育ててもらった恩を返せるチャンスであるのなら、あやかしと関わる事だってできるような気がしたのだ。


「大学のコマ数も、大分少なくなりましたし……。それに、私だって明石屋の一員ですから。私が犬さんのお世話をして、何があったのかを聞き出します!」

「それは、そうしてもらえるのなら、助かるけれど……。雛ちゃん、本当にいいの?」


 少し不安そうな目をした澄子さんが、窺う様に私を見つめる。澄子さんは、決して強要などはしない人だし、自分の信念とずれていても、他人を受け入れる度量がある。


 だからこそ、彼女は私が無理にあやかしたちと関わることを望まないのだ。


 澄子さんのそんな気持ちに、今まで甘えすぎていた。そう考えた私は、大きく頷いた。


「任せてください!」


 こうして、私の初めての本格的なあやかしとの交流が始まることとなったのだった。


 気合を入れる私に対して、みんなは拍手を送ってくれたのだけれど、いつきさんだけは、冷たい視線を隠そうともしていなかった。

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