第7話 怯え
「あの……」
不可解な動きをする青年の姿に、私は首を傾げながら声をかけようとした。その瞬間、青年の体が大きく震えて、キッとこちらを睨みつけながら、ますます体を壁に強く押し付けた。
……怯えているんだろうか。
怖がっていたのは、私だけではないのかもしれない。そう思いながら、私はそっと手を伸ばしてみる。
すると、青年は私の手を避けるように、身を捻った。その姿に、心が痛む。それはどこか、人間に虐げられ、捨てられた犬を思わせる仕草だった。
でも、あんな大怪我をしていたんだから、こんな風に動き回ったら良くないんじゃ……。
どうにか青年に布団に戻ってはもらおうと、私はできるだけ優しく声をかけた。
けれど、近づくたびにグルグルと喉を鳴らされ威嚇されるばかりで、話を聞いてくれそうな様子はなかった。
「あの、落ち着いて……布団に戻ってくれませんか……?」
じりじりと部屋の角に追い詰められた青年は、ついに伸ばした手を避けられないと見ると、大きく口を開き、咆哮した。
「近付くな!」
びりびり、と空気を震わすような、激しい声だった。急な怒声に驚いて、私は身を震わす。男性の怒声を直接浴びたせいで、恐怖に声が出なくなってしまった。
口をぱくぱくさせながら、どうすればよいものかと考えていると、部屋の外から階段を駆け上がってくるひとの足音が聞こえた。
「何、どうしたの⁉」
襖が大きく開け放たれると同時に、侑李さんが部屋に駆けこんできた。
侑李さんの姿を見て、私は安堵する。同時に、体から力が抜けてしまったようで、その場に座り込んでしまった。
「雛ちゃん……! ちょっとアンタ、雛ちゃんに何したわけ?」
ずかずかと青年に近づきながら、剣呑な眼差しを向ける侑李さんに、慌ててとりつく。
このひとは、ただ怯えていただけなのに……。私が無理に距離を詰めてしまったせいで、余計に怖がらせてしまった。
「違うんです、その、私が彼を脅かしてしまって……」
ちらりと青年に視線を遣ると、彼は目をギラギラをさせながら、息を荒げて体を縮こまらせていた。
「あの、ごめんなさい。彼が、唸り声をあげていたので、様子を見に来たんです。そうしたら、何だかうなされているようだったので、汗を拭いていて……。そのうちに目を覚ましたので、驚かせてしまったみたいなんです」
侑李さんに説明をしてから、改めて青年に向き直る。
「貴方も、驚かせて本当にごめんなさい。私は部屋に戻りますから、貴方はちゃんと布団で眠ってください」
深々と頭を下げると、青年は戸惑ったように視線をさ迷わせた。
その様子をちらりと見てから、侑李さんに視線を向けると、任せなさい、という様にウインクをしてくれた。なんとも頼もしいことである。
侑李さんは、凄く世話好きだし、優しいひとだから……。後のことは、彼に任せてしまってもいいだろう。
私は安堵して、もう一度頭を下げてから、直ぐに部屋を後にした。
背を向けた部屋の中からは、侑李さんと青年がなにやら話し合っている声が聞こえた。けれど、何を話しているのかまではわからなかった。
また明日、侑李さんに話を聞こう。そう思った私は、黙って自分の部屋へと戻る。
自分の部屋に戻ってしばらくしても、今度は、唸り声は聞こえてこなかった。