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第6話 月の光の下

 月の光が、部屋に差し込んでいた。


 煌々とした光に目を溶かすように細めると、微かに虫の鳴き声が聞こえる。黙って座っていると、自身と世界との境界が曖昧になりそうな夜だった。


「あれ、もうこんな時間なんだ……」


 机の上に置いた時計を手に取ると、既に深夜を回っていた。随分と集中していたようだ。


 学期末にある試験に向けて、勉強するために開いていたテキストを閉じると、世界が急速に情報量を増やしていく。


 雨の匂いがする。


 いつの間にか、通り雨が降っていたようだ。


「んん……そろそろ寝ようかな」


 ぐぐっと伸びをすると、疲れがたまっていたようで、自然とあくびが出た。今夜はよく眠れそうだ。


 電気を消してから、先に敷いておいた布団に、滑り込むように入る。


「おやすみなさい……」


 誰にともなく告げて、目を閉じた。そうして私は直ぐに、夢の世界に……。


 入ることは、出来なかった。


 どこからか、ヴー……! ヴー……! という、獣のごとき唸り声が聞こえてきたからだ。


「な、何……⁉」


 びくりと体が勝手に震える。目を強く瞑って悪い夢だ、と追い払おうとするけれど、寝入ることは出来そうになかった。


 諦めて体を起こす。


 きょろきょろと周囲を見回すと、唸り声の発生源が隣の部屋であることに気が付いた。


 隣の部屋は無人だったはずだ、と飛び上がりかけて、すぐに新しく部屋に入ったひとがいたことを思いだした。


 そうだ、怪我をしたあやかしを、澄子さんが拾ってきたんだった。


 自分では気が付いていなかったけれど、眠気で思考が働いていなかったらしい。あんなに大騒ぎした出来事を、忘れるなんて。


 謎の唸り声の正体が、なんとなくわかって安堵の息を吐く。けれど、正体がわかったとしても、恐ろしい唸り声が聞こえる部屋の中で、眠りにつける気はしない。


 ……様子を見に行くだけなら、大丈夫だよね。どうせ、眠れそうもないし。


 苦しそうな唸り声に、少し心配になってしまった。もしかすると、怪我の具合が、侑李さんたちが思っているより、悪いのかもしれない。


 あやかしは怖いけれど、澄子さんが連れてきた客だ。もし、このまま回復しなかったら、彼女を悲しませてしまうだろう。


 そう思うと、やはり様子を見に行った方が良いような気がした。


 私は、そっと部屋を抜け出して、隣の部屋にそっと忍び込んだ。


 隣室の中には、寝苦しそうに汗をかいた青年を照らし出すように、月の光が注がれていた。


 淡い光を、彼の髪が反射させる。まるで、海の中にいるかのように錯覚させる、美しい輝きに、思わず目を奪われる。


「綺麗……」


 自然とそうこぼしてから、慌てて口を押えた。寝入っているあやかしを、起こしてしまっては事だと思ったのだ。


 侑李さんにも、気を付けるように言われたし。


 けれども、そんな私の心配を他所に、青年はうめき声を絶やすことなく、目を覚ます様子もなかった。


 ほっと息を吐き出しながらも、青年の脇に座り込んで、その顔を覗き込む。


 苦しそうに顔を歪めながら、大量の汗をかいているのが可哀想に思えて、せめて拭ってやりたいと部屋を見回した。


 すると、昼間も使っていたのか、水の入った桶とタオルが、部屋の隅に置かれているのに気が付いた。


 ちょうど良かった。


 私はすぐに桶とタオルを取って、再び青年の横に舞い戻る。タオルを水に浸け絞り、首筋や額などを拭いてやる。すると、唸り声がすこし小さくなったような気がした。


 少し、落ち着いたのかな。


 安堵の息を吐く。どうやら、具合の悪さというよりは、夢見の悪さから唸り声をあげているみたいだ。


 少し穏やかになった呼吸の音を聞いていると、私も心持が落ち着いた気がして、ぼんやりと眠る青年を見つめた。


 きちんと見てみると、美しいと思っていた髪は、随分とごわついて、栄養も足りていないように思える。


 体つきも細く、頬も少しこけている。左手首に、濃青の飾り紐の腕輪をしているようだが、脂肪が少ないせいか、今にも腕から抜けてしまいそうに見えた。


 もしかして、ちゃんとご飯を食べられていなかったのかな。


 そう思うと、細い体が何だか痛々しく感じた。衝動に突き動かされて右手をあげ、そっとその白い頬に触れる。先ほどは気が付かなかったが、肉付きが相当薄いことに、驚愕した。


「そんな……」


 どうしてこんなことに。貴方に一体、何があったの。


 声に出さずにそう呟いた瞬間、目の前にアイスブルーが滲んだ。青年が目を覚ましたのだ。


 視線がぶつかって、その瞬間、世界の時間が止まったような錯覚を覚えた。青年の瞳が、あまりにも美しかったからだろうか。


 それとも、目を覚ましたあやかしに、恐ろしさを感じたからだろうか。


 自分でもよく、わからなかった。


 強烈な吸引力を感じる、青年の瞳をみつめていると、どこか懐かしさを感じた。その懐古の原因を探ろうと、呼吸すら止めてしまう。


 青年の方も、何を考えているのか。ただ目を見開いて、逸らすことも、身じろぎすることすらもせずに、こちらを見つめている。


「あ……」


 私が息を吐き出すと同時に、青年はハッとしたように体を飛び起こした。


 青年の素早い動きを見て、脳裏に「気を付けてね」とウインクする侑李さんの姿が浮かんだ私は、逃げなければ、と咄嗟に思った。後ずさろうとして、尻餅をつく。


 動けない……!


 両腕を上げて、自分を庇う様にしながらぎゅっと目を瞑る。けれど、特に痛みが走ることはなかった。状況を把握しようと、目を開ける。


 視界に広がったのは、グルグルと喉を鳴らしながら、壁に張り付いてまで私を避けようとする、青年の姿だった。

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