第46話 そして
「今日も良いお天気ですね……」
陽光を浴びて、眠気に襲われながらも、私は呟く。すると、大人しく本を読んでいた柚希が視線を上げて、小さく微笑んだ。
「眠いのか?」
穏やかな柚希の声に、私はますます微睡んでしまう。柚希とふたり、日光の差し込む部屋の中で、穏やかな時間を過ごしている……素晴らしい昼寝のシチュエーションのように思えた。
畳の上に正座で座り込んだまま、うとうととしている私の腕を、柚希が不意に引っ張った。
特に抵抗することもなく、引かれるままに倒れこむと、ぽすりと顔に何かが当たった。温かさを頬に感じて、少しだけ目を開ける。すると、柚希が肩を貸してくれたらしく、至近距離で目が合った。
「膝を貸した方かいいか?」
悪戯気に微笑む柚希に、軽く首を横に振る。そこまでしてもらうのは悪いような気がしたのだ。
「大丈夫、です……。おやすみ、なさい……」
「本当に寝るのか。……おやすみ、雛」
その言葉と共に、頭を撫でられた。
あ、何だか、懐かしい……。
私は曖昧な世界の中で、あの優しいひとの腕の中で、抱きしめられて眠った日のことを思い出す。
そうだ、思い出した。私が寒いって言うと、あのひとは困った顔をして、それで……。
これなら寒くないだろうって、抱きしめてくれたんだ。もふもふで、あったかくて……。あのひとの腕の中は、世界一温かい場所なんだって、私は信じて疑わなかった。
あのひととの思い出は、捨てられたあの日を境に、全て悪いものに変わってしまったと思っていた。
けれど、柚希がいうように、思い出自体は決して無くならないし、嘘になるわけでもないのだ。だからこうして思い出した時は、悲しがらずに、ただ懐かしめばいいのかもしれない。
柚希の、くすくすという笑い声が耳をくすぐる。それが、段々遠のいていき、私は眠りに落ちていったのだった。
「おい、柚希! お前、また何冊も新しい本を買い込んで来やがったな!」
荒々しい声に驚いて、私は飛び起きた。気が付けば、本格的に眠ってしまっていたようで、一度は断った膝枕を、柚希はしてくれていたようだ。私が慌ててはね起きたのを見た柚希が、咎めるように人差し指を立てる。
「こら、虚白。雛がせっかく眠っていたのに、うるさくするな。怒鳴り声で目が覚めるなんて、かわいそうだ」
ぷんぷん、と音が聞こえてきそうな様子の柚希だったが、虚白は怯むことなく、むしろ額に青筋を立てて見せた。そのまま、柚希の頭……というか、顔を強引に掴む。アイアンクローってやつだろうか。
「お、ま、え、な! 誰の金だと思ってんだ、誰の金だと!」
ぎりぎりと音を立てながら、顔を掴まれているのだが、柚希は何とものんきな様子で、「痛い痛い」と笑うばかりだ。
「ま、まあまあ、虚白。柚希も、働きに出るのなら、勉強をする必要がありますし……そのための、投資だと思ってくだされば……」
「てめえなあ! お前がそうやって甘やかすから、柚希がつけあがるんじゃねえか! 大体、俺はもう少ししっかり躾けていたはずなのに、お前のせいですっかり我儘坊主の出来上がりだ!」
フォローを入れようとしたのだが、どうやら、火に油を注いでしまったらしい。虚白の怒りの矛先は、柚希から私に変わってしまったようだ。
「こら、虚白。雛に対して怒鳴るな。澄子や雛のおかげで、おまえもここにいられるんだからな」
頬を膨らませた柚希に抱き込まれ、私はあははと乾いた笑い声をあげた。
柚希、多分今はそういう話はしてないと思うよ……。
「お、ま、え、なぁー!」
案の定、怒り狂った虚白の怒鳴り声が、明石屋中に響き渡るのだった。




