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第44話 柚希:求めるもの

「七番‼︎」


 地の底から響き渡ってきているような、激しい叫び声が、廃墟中に響き渡る。どろどろとした感情の籠った虚白の目が、その感情を如実に訴えかけていた。


「お前……お前、お前、お前! ふざけるな! 誰のおかげで今、生きて居られていると思っている! 俺に拾われなければ、野垂れ死んでいただけの、捨て犬だったくせに! 俺に手を借りなければ、すぐに摘まれた命だったくせに! 俺がいなければ、まともな感情だって抱きはしなかった人形のくせに! それなのに!」


 俺は、虚白の絶叫を聞きながら、ただ、可哀想だな、と思っていた。そうして、そんな自分の感情に驚いて、ハッとした。


 俺にとって、虚白は神様だった。


 自分より圧倒的に高いところにいる存在で、いつだって正しくて、絶対的で、俺は虚白の言うことにただ従っていればいいのだと思っていた。


 だからこそ今、自分が虚白に対して、可哀想だなどという感情を抱いたこと自体が、衝撃だったのである。


 そうして、そういう感情を抱いた今だからこそ、俺は……。虚白は神様なんかじゃなかったんだってことを、初めて知れたような気がした。


 もしかすると、虚白をこんな風にしてしまったのは、俺なのかもしれない。俺が、虚白を神様だと思い込んで、持ち上げて、縋りついて。そのせいで、虚白は高いところから、降りられなくなったのかもしれない。ふと、そんなことを思った。


 もし、そうならば。俺のせいで、虚白がこうなったんなら。俺が、虚白を何とかしてやらないと、嘘じゃないか。


 大きく息を吸って、腹に力を籠める。


「……虚白なら、こう言うところだろ……。御託はいいから、かかって来い!」


 俺の言葉に、虚白は爆発するようにして大きく跳ねた。唸り声を上げながら飛びかかって来るその姿は、まさしく野生の獣の姿だ。俺は後ろに飛びのいて避けようとして、すぐにそれが間に合わないであろうことを察した。


 ……早い!


 肉を打つ鈍い音が響くのと、腹部に強烈な衝撃を受けたのは、殆ど同時に思えた。一瞬呼吸ができなくなって、すぐに咥内にあふれてきた液体を吐き出す。


 熱い! ……いや、痛い!


 勢いのまま、後ろに滑っていく。吹き飛ばされたせいで、体が地面にたたきつけられた。どこが痛いのか、既によくわからない。


 けれど、立たなければ。その意思だけで足に力を込めて、ふらつきながらもなんとか立ち上がる。同時に、迫ってきている虚白の姿が見えて、横に飛んでよけようとする。今度は何とか間に合った。


 しかし、一度大きく距離を取った虚白が、再び大きな跳躍をしてきた攻撃は、まともに喰らってしまった。また、腹だ。人間だったら、臓器の一つ二つ、やられていたのかもしれない。


 自分で決着をつけるだなんだと偉そうなことを言っておきながら、なんてザマだ!

 呼吸を整えようと、虚白と距離をとっていると、脳裏に元主人に言われた罵詈雑言が思い起こされた。


『この能無し。何の役にも立たないくせに、面倒見てもらって、恥ずかしくないわけ?』


 冷たい目が、忘れられない。


 ……やっぱり、俺みたいな無能の役立たずなんかじゃ、ダメなんだろうか。虚白の言うような、人形としての価値しか、俺にはないんだろうか。


 ほの暗い感情に、視線を下に向きかけた。


 しかしその時、手出しをしないように外野に徹してくれたいた侑李が、何か叫びながら自分の左手首を指し示しているのに気が付いた。


 ……なんだ?


「よそ見をするとは、余裕じゃねーか!」


 声に反応して視線を向けると、虚白の顔がすぐそばにあった。今度は頬を殴られ、俺は再び吹き飛ばされた。


「痛てて……」


 口の中が切れたようで、咥内に鉄の味が広がる。


 だがまあ、今更だろう。状態を起こして、口の中にたまった血を吐き出すと、俺の背中を支えてくれる手があった。そちらに振り向くと、いつの間にか俺の背後に回っていたらしい侑李の顔があった。


「ちょっと、柚希ちゃん。何してんのよ。あんな奴、さっさとやっつけてみんなで帰りましょう! 早く寝ないと、お肌にも髪にも悪いのよ~!」

「う、うん……。そうしたいのは、俺も山々なんだけど……。ごめん。俺が、能無しだから……」


 視線を下げながら謝罪すると、侑李は豪快な笑い声をあげた。


「やあねえ! 何言ってんのよ。本当に忘れてるみたいだから、これだけ言いに来たんだけど……。柚希ちゃん、貴方のお守り、まだ外してなかったでしょう」

「お守り……」


 侑李の仕草を真似て手首に触れて、ようやく腕輪の存在を思い出した。


 そうか、そういえば、いつきはこれが俺の力を押さえているようだと言っていた。俺にとって、その腕輪は、虚白との繋がりで……。それ以上でも、以下でもなかったのだ。だから、すっかり忘れてしまっていた。縋るように、腕輪をつけ続けてしまっていたのだ。


 俺は、腕輪を外そうとして、一度、躊躇った。それを外してしまったら、本当にもう、何もかもが、元通りにはならないのだと、そう現実を突きつけられてしまうような気がしたのだ。


 けれど、そんな俺の躊躇いを見透かすように、虚白の攻撃が飛んでくる。侑李が、背中を思いっきり押してくれたおかげで、俺はそれに当たらずに済んだ。


「ちょっともー! こっちはアンタに攻撃しないであげてるんだから、タンマくらいくれたっていいでしょうが!」


 侑李のプリプリ怒った声が聞こえる。俺は慌てて体勢を立て直した。


「柚希ちゃん! どちらにしろ雛ちゃんは、貴方を虚白のところに返す気なんて、ないわよー! だから、もう手遅れね!」


 手をぶんぶん振りながら叫ぶ侑李の言葉に、俺は思わず目を見開く。それからつい、笑ってしまった。


「たしかに」


 あのひとは……綾部雛という女の人は。怯える俺に、根気よく、毎日毎日、襖越しに声をかけ続けた。最初は、恐れていたのだ。俺の元主だった人間は、若い人間の女だったから。澄子より、あやかしたちより、一番近い形の雛が、俺は恐ろしかった。


 それなのに、気が付けば、あいつの話を聞くのが、楽しみになって。あいつと飯を食うのが、楽しみになって。いつの間にか、絆されてしまっていた。じわじわ、じわじわと。布にしみ込む水みたいに、俺の中に侵入してきてしまった。


 控えめなようでいて、頑固で、自分の意思を曲げないひとだと思う。だからきっと、今更俺が、元の生活に戻りたいなどと言っても、じわじわと、その考えを曲げさせられることだろう。だけど、俺はそれが、嫌ではないのだ。


 それが、何もかもの答えであるような気がした。


 すうっと心が軽くなって、俺はそっと腕輪を外した。軽い素材のその腕輪は、なんともあっさりと俺の腕から無くなった。そして……。俺の身体中に、力がみなぎるのを感じたのだった。

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