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第4話 怪我人

「……あれ、ここ…?」


 目を覚ますと、あたりはすっかり暗くなっていた。一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなったけど、部屋に据え置かれた文机の上に置かれたノートが、すぐに目に入って、自分の部屋だと理解した。


 課題を済ませた後、私はどうやら眠ってしまっていたらしい。机に突っ伏していた体を起こすと、家の中が何だか騒がしいことに気が付いた。


 何か、あったのかな?


 普段の落ち着いた空気感とは違う、どこかひりついた気配を肌に感じる。事態を把握しようと、私は部屋からそろりと抜け出した。


 きし、きしと微かに音を立てる階段を下っていくと、嗅ぎなれない匂いが鼻についた。


 コレ、何の匂いだろう……? 嗅いだことあるような……。


 どこか覚えのある匂いに、顔を顰める。


 階段を下りきり、広間を横目に廊下を左に折れると、玄関にひとが集まっているのが見えた。バタバタと廊下を行ったり来たりしている住民たちの中心にいたのは、見覚えのないひとだった。


「ひっ」


 そのひとを視界に入れた瞬間、図らずも口からそんな声が漏れ出た。声というより、息をのんだ音の方が、正確かもしれない。というのも、その人の体が、真っ赤な色に染まっていたからである。


 血、血……! コレ、血だよね……!


 そう、どこかで嗅いだことがあるように感じていた匂いは、血の匂いだったのである。けれども、あまりに濃いその匂いは、現実味がなかった。だからこそ、私はそれが血の匂いであると気付けなかったのだ。


 指先をちょっと切ったりする時とは比べ物にならないような、濃厚な匂いに、クラリとする。


 どうしてあんなに血が……。何があって、血だらけの人が家に運び込まれたんだろう。


 廊下の角に身を潜ませるようにして様子を窺っていると、玄関の方から、小走りでやって来たいつきさんと、肩がぶつかった。


「あっ、すみません」


 咄嗟に謝罪すると、いつきさんは不機嫌そうに眉を寄せて、舌打ちをこぼした。いらだった様子に、思わず肩が跳ねる。


「あのさあ、今忙しいの、見てわかんない? そうやって突っ立ってるだけなら、部屋に引っ込んでてくれる? 邪魔だから」


 いつきさんの険のある物言いに、私は視線をさ迷わせて、それから小さく頭を下げた。


「すみません……」

「いや、すみませんじゃなくてさあ」


 私の謝罪に、いつきさんは大きくため息を吐いて、ガリガリと頭を掻きむしった。その仕草が乱暴に見えて、体が勝手に揺れてしまう。


「こら、いつき。なに雛ちゃんに意地悪してんのよ」


 更に言葉を重ねようとしたいつきさんの頭に、大きな手が乗る。視線をずらすと、呆れたように眉を寄せた侑李さんが、軽く叩くようにしていつきさんの頭を掻き撫ぜていた。


 いつきさんは、苛立った様子で侑李さんの手を払いのけ、それからまたため息を吐いた。


「別に、いじめちゃいないけど。ただ事実を言っただけだろ。っていうか、お前何しに来たんだよ。こっちに構ってる暇無いだろ」

「そりゃあ、アンタが可愛い雛ちゃんをいじめてるから、喝入れに来てやったに決まってんでしょ。ほら、暇がないって言うなら、早く行ってきなさいよ」


 侑李さんに背中を叩かれながら促されると、いつきさんは眉を吊り上げた。けれど、侑李さんの言葉がもっともだと思ったのだろう。特に言い返すこともなく、フンと鼻を鳴らしただけで、すぐに台所の方向に向かって行った。


 その後ろ姿を見送ってから、私は侑李さんに頭を下げた。


「すみません、お忙しそうな中、お手間を取らせてしまって」

「いいのよ。でも……そうね。もしよかったら、雛ちゃんもお手伝いしてくれない?」


 言いながら、侑李さんはウインクを一つした。アイドルのようにばっちりと決まったウインクに、縮み上がっていた心がほぐされていくように感じる。


 ほっと息を吐きながら、固まりかけていた表情筋を何とか動かして、微笑む。


「お邪魔でなければ」

「邪魔だなんてあるわけないでしょ! あの子……澄ちゃんが連れて来た子なんだけど、意識がないみたいだから、お部屋に布団を敷いてきてくれない? 二階の……そうね。雛ちゃんの隣の部屋、確か最近掃除してたでしょう? あそこがいいわ」

「あ、はい。そうですね」


 私は、最近掃除した部屋の記憶を思い出しながら、頷く。それから、もう一度侑李さんに頭を下げて、すぐに踵を返した。


 廊下を足早に進み、階段を駆け足で登っていく。階段を上り切ってすぐ左手にある自分の部屋を通り過ぎ、その隣の、しばらく空室だった部屋の襖を開く。


 窓から差し込む光に、舞うハウスダストが鮮明に見えた。けれど、定期的に掃除はしていた部屋だし、一週間前にも一応掃除をしているから、人を入れられない状態というわけではないだろう。


 押し入れの中にぎゅうぎゅうに押し込まれている布団を、一組下ろして簡単に整えていると、廊下の方から物音が聞こえてきた。


 開け放っていた襖から廊下を覗き込むと、太郎さんが、白い長髪の男性の腕を肩にかけて、半ば抱きかかえるようにしてこちらに向かって来ているのが見えた。


 慌てて駆け寄って反対側を支えると、太郎さんが小さく頭を下げてきたので、釣られて私の頭も下がる。前を見ていなかったせいで、少しだけ躓いた。


 あ、危ない……!


 どっきりしたけれど、太郎さんがしっかり男性を抱えてくれていたおかげで、なんとか転ばずに済んだ。


 そのあとは、慎重に歩を進めたおかげで、危なげなく部屋まで男性を連れていくことができた。


「とりあえず、止血はしたので寝かせておきましょう」


 抱えていたひとを、ゆっくりと布団に横たえさせてから、太郎さんは言った。

 いつもの穏やかな笑顔を浮かべているところを見るに、危険な状態ではないのだろうか。


「あの、病院とかは……」


 真っ赤に染まった服を見ていると、不安になってしまう。けれど、太郎さんは鷹揚に首を横に振った。


「ああ、必要ありませんよ。人間なら、連れて行くべきなんでしょうけど。彼は、あやかしですからね」


 ……そういうものなんだ。それにしても、大怪我だったように思うけど。


 曖昧に頷いて、布団に横になっているひとの顔をじっと見つめる。白いと思っていた髪は、蛍光灯の光を浴びるとキラキラと光って見えて、銀糸のようにも見えた。


 その髪に負けじと光を反射する顔は、血の気がないことも手伝って、真っ白だ。本当に生きているのか不安になって、そっと頬に触れると、思いのほか温かくてほっとした。


「……生きてる」


 思わず呟くと、太郎さんが、ははは、と大きな声を上げて笑った。おかしそうな笑い声に、頬が熱を持つのを感じた。


 私が恥ずかしがっているのが伝わったのだろうか。太郎さんは、笑いを噛み殺しながらではあるが、「失礼」と詫びを入れてくれた。


「死んでいたら、流石にここまで運んでは来ませんよ。綾部家の皆さんにご迷惑になりますからね」


 それは確かに、その通りだ。彼らはあやかし……同胞を大切にはしているけれど、それ以上に綾部家の人々を大切に思っているのであろうことは、私もよく理解していた。


「そ、そうですよね。すみません、かなり大きな怪我をしていたように見えたので……」


「人間の体に化けてはいますが、あやかしというのは、基本的に体積も治癒力も人間とは比べ物になりません。確かに彼は人間から見れば死んでもおかしくないような怪我をしていますが……。休ませれば問題ないでしょう。時間はかかるかもしれませんが」


「そうなんですね……」


 こんな大怪我でも、あやかしからすれば、死に繋がるようなものではないのか。


 笑う太郎さんは、私達と何ら変わりない……人間のように見える。


 けれど、大怪我人を前にして、優しそうな、余裕を感じさせる表情を崩さずにいる様からは、彼らが自分たちとは全く違った生き物なのだという事実を、まざまざと感じさせられるように思えた。


 太郎さんが言うには、彼……血だらけで運ばれてきた青年は、道に倒れていたところを、澄子さんが見つけたらしい。


 けれど、自分の力では運ぶことは出来ないと判断して、太郎さんに電話して、運んでもらえるようお願いしたのだとか。

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