第34話 おでかけ
その日は、雲一つない快晴だった。私は、嫌になるほど天気の良い空を、窓越しに眺める。
「柚希、今日は、とっても良い天気ですよ。……ですから一緒に、お出かけしましょう」
最近は、すっかり暑くなった。私は、白いノースリーブワンピースの裾を翻しながら、部屋でぼんやりとしている柚希に振り返る。
柚希は、ぼやっとした顔でこちらを向いて、反射みたいに「うん」と頷いた。心ここにあらず、という言葉を体現したような表情に、私は内心苦笑した。
多分、話を聞いていなかったんだろうけど……。
それでも、是と返事をしたことは確かだ。
私は、柚希の腕を取って、ぐいぐいと引いていく。そのまま、階段を下りきり、玄関の前まで連れて行く。そこまで行くと、柚希はようやく慌てた様子になり、私の手を引っ張って屋敷の中にとどまらせようとした。
「おい、屋敷から出たら、お前……危ないんじゃ、ないのか」
叱られた子犬みたいに、眉を垂れさせて、瞳をうるうるさせている。
自分の事というより、私の事を心配してくれている様子に、私は思わず笑ってしまった。
やはり、どこまでいっても優しい子なのだ。
「少しだけなら、大丈夫ですよ。それに、マーキングをしているのがご元主人じゃなくて、柚希の恩人さん……虚白さん、でしたっけ? その方なのでしたら、もしもの時は助けていただけるんじゃありませんか」
柚希は、少し考えるような仕草をしてから、それもそうだなと納得したようだった。
……言い出した側の私が言うことじゃないけど、柚希ってちょっとチョロくないかな? 騙されないように、見ていてあげなきゃいけない気持ちになるな……。
内心少し不安になりながらも、私はまた柚希の手を引いて、庭に出た。
「柚希、見てください! ほら、朝顔が咲いたんです」
庭には、丁寧に手入れがされた花々の他に、最近私がお世話をさせてもらっている花が咲く鉢が、いくつかおいてある。最近の私の気に入りは、朝顔だ。
「これが、朝顔……!」
目をキラキラと輝かせた柚希が、私の手から離れて、朝顔の近くに駆け寄った。
直ぐ近くで朝顔の花を観察しているその仕草は、小学生くらいの子供を思わせた。
懐かしい。小学校で、朝顔を育てたんだっけ。
私は、柚希の背後に歩み寄って、そっと声をかける。
「柚希、お水をあげてみますか?」
「いいのか?」
「ええ、今、如雨露をお持ちしますね」
踵を返すと、柚希は私の背中にぴったり張り付くようにして、あとをついてきた。
カルガモみたいで、愛らしいけれど、一体何がしたいのだろうか。
「あの……?」
「俺も、用意する。俺が水をやるから」
ニコニコ笑う柚希に、私も微笑みかける。つまり、働かざる者食うべからずと、そういう心意気なのだろう。働き者の良い子だ。
柚希と雑談を交わしながら、朝顔に水をやっていると、不意に、柚希がピタリと動きを止めた。
……来た!
内心計画通りだと思いながらも、私はそ知らぬふりをして首を傾げた。
「柚希? どうかしたんですか?」
柚希は、私の言葉には反応せずに、フラフラとしながら立ち上がった。そのまま、おぼつかない足取りで、門に向かって行く。
「柚希!」
私は、ちらりと家の方向を向いてから、すぐに柚希の後を追いかけて走り出した。
柚希は、どうやら人気がない方向を探しながら歩いているようだった。
ピタリと足を止めると、細い小道の方を選んで進んでいく。長いこと住んでいる町ではあったが、そんな私ですら知らないような道を進んでいく姿に、いっそ感心する。
さくさくと歩みを進める柚希は、やがて寂れた遊具がポツンとある、小さな公園で足を止めた。くるりと此方を振り返った柚希の顔を見て、私も歩みを止める。
柚希は、虚ろな瞳をしていた。それはあの――犬神に憑かれた時と、同じ瞳だった。
「柚希……」
じりじりと後ずさりながら、ポケットに手を突っ込む。そこには、澄子さんが知り合いにもらったという、お札が入っていた。
身を守る術を持っておいた方が良い、って一言で、こんなものがほいほい出てくるんだから、私が思っていた以上に、家ってちょっと変わってるのかも……。
いざ、札を使おうとした時、不意に柚希が膝から頽れる。
「柚希⁉︎ どうしたんですか、柚希! しっかりしてください!」
私は、彼に呼びかけながらも、一応は警戒して距離は詰めずにいた。
「あ、れ……?」
しかし、予想に反して柚希の目は、通常通りの輝きを取り戻した。私は、あわてて彼に駆け寄る。
「柚希、大丈夫ですか?」
「俺は、なんで……?」
柚希が不思議そうに自分の両手を眺める。すると、その場に第三者の声が響き渡った。
「俺が呼んだんだよ」
それは、穏やかな男性の声で……どこかで聞いたことのある声だった。
どこからともなく姿を現したその男性は、上等な生地を使っているであろう、上品なデザインの服を着ていて、柔らかそうな茶髪を真ん中わけにしていた。目は、随分と糸目で、口角も自然と上がっているように見える顔立ちだ。
そのため、彼が微笑んでいるのか、それとも真顔なのか、遠目では判断が付かないほどだった。
「虚白!」
柚希の嬉しそうな声がその場に響き、私は彼こそが柚希の言っていた恩人……虚白その人なのだと理解する。
柚希が虚白に駆け寄ると、虚白は柔和な笑みを浮かべて柚希の頭を撫でた。
「強引に呼び出してしまってすまないね、七番」
「何かあったのか?」
柚希の問いかけに、虚白は目を伏せて、悲し気な表情を作った。
「……戻って来てくれないか、七番」




