第31話 現状整理
私は、柚希を一度横目で見て、目を閉じた。深く息を吸って、吐く。
「……私の視点から話してもいいでしょうか? 何か、気になったことや補足があれば、適宜他の方にお話していただくということで」
食卓に着いているみんなの顔を見回す。誰からも否の返事がなかったことを確認して、私は大きく頷いた。
「私はいつも通り、柚希の部屋を訪れました。ですが、部屋に彼の姿はありませんでした。最初は澄子さんのところにでもいるのかと思っていたのですが、家じゅうを探しても姿が見当たらず……いてもたってもいられず家を飛び出しました」
侑李さんが、うんうんと頷く。
「雛ちゃん、ちょっと焦った感じで柚希ちゃんのことを見てないかって聞いてきたから、おかしいなと思っていたのよね。柚希ちゃんは、どうして家を出たの?」
話を振られた柚希は、考えるような仕草をする。
けれど、その状態のまま、ぴたりと動きを止めた。どうやら、思い出せないようだ。
「あら、柚希ちゃん。お花を摘みに行くって言ってなかった?」
ふと、澄子さんがそんなことを言い出した。思ってもいなかった方向から声が出て、私は驚いた。
柚希が失踪した時、澄子さんは買い物に出ていたから、てっきり何も知らないものだと思っていたのだ。澄子さんの言葉を聞いて、柚希の表情が輝く。
「それだ!」
大きな声が上がった。
「花……ですか?」
「ええ。雛ちゃんがお花をくれたから、今度は自分がお花をあげたいんだって、言ってたわ。それで、庭の花を摘んでも良いかと聞かれたのよね」
「柚希がそんなことを……!」
ちょっと感激してしまった。柚希に目を向けると、あからさまに逸らされた。その耳が赤く染まっている。照れ屋さんだ。
柚希の行動にほっこりしていると、いつきさんが咳払いをした。目を向けると、いつきさんはにっこり笑っていたが、その目が「いいから早く進めろ」と語っている。私は慌てて話を戻すことにした。
「庭に出た後は、どうして山に行くことになったの?」
「俺は山になんて行ってない。……庭に出たところまでしか、覚えてないんだ。庭に出て、意識がぼんやりして、気が付いたら部屋で寝てた」
つまり、庭に出たところで犬神に憑かれた、ということなのだろうか。
「なるほどね。恐らくは、この家から出たから奴に捕まったんだろうね」
いつきさんが、片眉を持ち上げる。
「この家を出たからって……どういうことですか?」
「あら、雛ちゃんには話していなかったかしら。この家、結界が張ってあるのよ」
のんびりとした口調の澄子さんが、私の疑問に答えてくれる。ケロッとした表情で言われたけれど、その内容は衝撃的だった。
「結界!?」
「ええ。ほら、家って、いろんなあやかしの子と縁があるじゃない? だから、たまに厄介ごとに巻き込まれることがあるのよね。だから、私たちを守ってくれようとした子が、家に結界を張ってくれたのよねえ」
「そういうこと。恐らく、屋敷内にいる時は、結界のおかげで認識が阻害されていたけれど、屋敷を出ることで、認識の阻害が解けて、捕捉されてしまったんだろうね」
家って、結界なんか張ってあったんだ……。全然知らなかった。
衝撃の事実だった。けれど、よくよく考えてみると、結界が張ってあろうとなかろうと、私の生活には何の影響もないのだから、気が付くはずもない。
それにそもそも、家にいるあやかしたちを避けていたし、あやかしの話を自分から聞こうともしなかったんだから、知る機会自体なかったのだ。
感心しながら聞いていたが、ここで過去のいつきさんの発言を思い出し、慌てて尋ねる。
「そういえば、柚希がマーキングされているって言ってましたよね?」
柚希がピクリと耳を立てた。
「俺が、マーキングされてる……? それは、元主人に見張られてるってことか?」
いつきさんは、鷹揚に頷いた。
「今までの話を統合して考えると、その可能性が高いだろうねえ。家を出てすぐに捕捉されたみたいだし……。犬っころ、自分に印がつけられているの、わかってる?」
柚希は、ふるふると首を横に振る。いつきさんは、トントンと自分の左手首を叩いた。その仕草を真似るように、柚希が自分の左手首に触れ……さっと顔色を悪くさせた。
「これは、ちがう。これでマーキングされてるなんて、あるはずがない」
駄々をこねる子供を思い起こさせる仕草で、柚希はいつきさんの言葉を否定する。
「どうしてそう思うのさ」
「だってこれは……俺の……。俺を拾って、守ってくれたひとにもらったものだ」
腕輪をいつきさんの視線から庇う様に、柚希は左手首を押さえて胸元に当てる。
「待って頂戴、柚希ちゃん。貴方を拾ったのは、祓い屋の人間だと言っていなかった?」
それは私も気になっていたことだ。
「正確にはちがう。俺の親代わりになってくれたあやかしが、最初に俺を拾ってくれた。その後に、祓い屋に拾われたんだ」
「つまり……柚希ちゃんと、その親代わりになってくれたっていうあやかしが、まとめて祓い屋に拾われたってこと?」
侑李さんのまとめに、柚希は首肯した。
「そうだ。その親代わりのあやかしにもらったのが、この腕輪だ。大切にしてたから、元主人にも見つからないようにしてたし、触らせたこともない。だから、主人はこの腕輪のことは知らないはずだ。……これにマーキングをつけることなんて、できるはずがない」
大切そうに腕輪を撫でるその表情からは、腕輪をくれたあやかしに対する深い信頼が伝わってくる。
けれど、そんな柚希に対して、現実は……というか、いつきさんは非情だった。
「でも、その腕輪には良くないものしか感じない。キミの力を押さえようとする力も働いているようだし、それでキミをマーキングしているのは確かだ。だからこそ、結界から出たキミに、すぐさま取り憑くことができたわけだしね。最初から仕込んでいたとしか思えない。元主人がやったんじゃないとすると、十中八九、キミにマーキングをつけたのはその、腕輪をくれたというあやかしだろうね」
いつきさんは、いっそ冷淡な程正直だ。
柚希は、いつきさんが嘘を吐こうとしていないことに、気が付いたのだろう。哀れな程取り乱した様子で、泣きそうになるのを我慢しているようだった。
その様子が可哀想で、せめてもの慰めに、と彼の背中をそっとさする。それに気が付いた柚希は、縋るような目で私を見つめてきた。
そんな目で見ないでほしい。私にできることなら、してあげたくなってしまうじゃないか。
「……もしかすると、最初は柚希に何かあった時のための、見守り用としてくれたものが、悪用されてしまったのかもしれないですね。今は、何かあって、祓い屋の命令に逆らえない状況なのかも」
柚希に元気を出してほしくて、必死に頭を巡らせそうフォローをする。ぱっと思いついことを並べただけだったけれど、理由としては意外と的を射ているように思えた。
「そうだ!」
柚希の顔色が、ぱっと明るくなる。
「きっと、あの女に無理やりやらされたんだ! ……虚白は、いつも俺を助けてくれた。飯を抜かれた時は、こっそり菓子を分けてくれに来た。俺が怪我をした時は、薬を塗ってくれた。俺がここまで生きてこられたのは、虚白のおかげなんだ……!」
柚希の訴えに、皆が黙り込む。いつきさんは、不満そうな表情を浮かべていたけれど、隣に座る侑李さんに口を押えられて、何も話せない。




