表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/47

第3話 何のためにここにいる?

「それは……あの……」

「キミだってもう大学生だろう。バイトだってなんだってして、ここを出ることだって出来るはずだ。なのに、何でキミはずっとここにいるワケ? 澄子たちにいつまで甘えているつもり?」

「私……私は……!」

「さあ、今すぐここを出るんだ。部屋に戻ったら荷物をまとめて、さっさと出ていっ……!」


 ゴン、と漫画みたいな音がした。侑李さんが、いつきさんの頭に拳骨を落とした音だった。いつきさんの端正な顔が歪む。


 ……ちょっといい気味だとか思って、ごめんなさい。


「ごめんなさいねえ、雛ちゃん。いつもの発作よ。コイツ、未だに澄子ちゃんを、雛ちゃんに取られたと思ってるのよ。ガキよねえ」


 おほほ、と口元に手を当て上品に笑いながら、侑李さんの手は容赦なくいつきさんの背中を叩く。バシ、バシと小気味よい音が鳴った。


 痛っ、とか、おいっとか、いつきさんが声を上げるけれど、侑李さんはどこ吹く風だ。


 止めたほうが良いのかと悩んでいると、少しだけ涙目になったいつきさんが、顔をあげて侑李さんを睨みつけた。


「痛いだろ! この暴力オカマ!」

「オカマじゃないわよオネエよ! アンタ口には気を付けなさい!」


 恐ろしい目つきで睨みつける侑李さんに、いつきさんは不満そうな表情を浮かべながらも黙り込んだ。攻撃的なところのあるいつきさんからしても、侑李さんは頭が上がらない存在のようだ。


 確かに、侑李さんが怒った時の剣幕は、横から見ているだけの私からしても、恐ろしい。


 不服そうないつきさんの様子を見て、侑李さんは大きくため息を吐く。それから私の方を向いて、気遣うように微笑んだ。


「ごめんなさいね。この子も本当は悪い子じゃないのよ。わかってもらえるかしら?」


 眉を下げる彼に、首を横に振ることなどできようか。


 そもそも、侑李さんは何も悪くないのに、わざわざ謝罪までしてもらっているのだから。これで首を横に振るのは、あまりにも子供過ぎるだろう。


 私は、慌てて首を上下に動かした。


「勿論です。いつきさんは、本能に忠実なところがある、ってことですよね」


 誤解を招くような言い回しをしてしまった気がする。けれど、それに関しては、いつきさんも侑李さんも、特に気にしてはいないようだ。むしろ、侑李さんは同調するように頷いてくれた。


「こちらにいると決めているんなら、もっと理性的であるべきなんだけどね……」


 はあ、と再び大きなため息を吐きながら、侑李さんは頬に手を当てる。そのまま、目を尖らせていつきさんに視線を向けた。しかし、彼は既に気分を切り替えたようで、澄子さんの淹れたお茶を涼し気な顔で飲むばかりだ。


「ったく……」

「あの、私は大丈夫なので……気にしないでください。いつものことですし……」

「ああん、雛ちゃんったら優しいんだから! でも、これがいつもの事なのがどちらかというと問題なのよ!」


 体をくねくねさせながら、侑李さんが瞳を潤ませる。


「本当に、大丈夫なので……。あの、課題があるので、これで失礼しますね」


 私はじりじりと後ずさりながら、両手を振る。侑李さんの気遣いはありがたいのだが、できるだけ早く自分の部屋に引き上げたい気持ちが強すぎて、ちょっと余計なお世話だ。それに、話を切り上げたくて出した話ではあるが、課題があるというのは嘘ではない。


「あら、そうなの。引き留めてごめんさないね」


 眉を下げながら、そう謝罪してくる侑李さんに申し訳ない気持ちになる。けれど、心を鬼にして、私は早々に居間からお暇することにした。


 住人たちの輪から抜け出し、階段を駆け上がって、自分の部屋に逃げ込む。襖を閉めると、やっと詰めていた息を吐き出すことができた。


 落ち着いたら、先程いつきさんから放たれた言葉が、ぐるぐると頭の中を回りだした。気にしないように、とは思っても、彼の言葉には力があった。


「何のためにここにいるの、か……」


 私は、ぎゅっと瞼を閉じる。それから、そっと目を開き、視線を落として自分の両手を視界に入れた。何の力もない、無力な手だ。ぎゅっと握りこむと、爪が手のひらに食い込んで、鈍く痛んだ。


 痛みを感じると……澄子さんに初めて会った時のことを思い出す。


 澄子さんは、私の実の母親ではない。もう十五年以上前の話になるが、私は高熱を出し、全身傷だらけになった状態のまま明石屋に運び込まれたらしい。


 その時のことは、高熱も相まってよく覚えてはいない。覚えているのは、とにかく体が痛かったこと。そして、高熱に苦しむ私の頭をなでてくれる、澄子さんの手が優しくて温かかったことだけだ。そうして、私をここに運び込んだひとは、私の熱が下がる頃には姿を消していた。私は、捨てられたのだ。


 寄る辺のなくなった私を、澄子さんと彼女の旦那さんは、養子として迎え入れ、育ててくれた。育てた親に捨てられるような子供を、綾部家の人たちは、受け入れてくれたのだ。


 だからこそ、報いなければならない、と思う。


 捨てられた私を、この年になるまで、血縁もなしに育ててくれた今の両親に、報いねばならぬと。そのためには、ここの……明石屋の手伝いをするのが、最も簡単な恩返しになるということは、よくわかっていた。普通なら、私もそうしていたと思う。


 けれど、それには一つだけ、大きな問題があったのだ。そしてそれこそが、明石屋が「ちょっとだけ変わった民宿である」とされる所以。


 それは……明石屋に住まう住人たちが、人間ではないということ。彼らは……あやかしなのだ。人間とは全く別の、生き物。


 そう、明石屋は、あやかしの住まう民宿なのだ。しかし、民宿を営む綾部の人々は、人間である。つまり、明石屋とは……あやかしと人との交わる、特異な場所なのだ。


そして私は、綾部家の人たちに引き取られた、あやかしと関わり合うことを恐れる、ちっぽけな人間だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ