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第29話 特別な存在

「柚希、柚希。私も、私も人間ですよ。柚希は、私が憎いですか?」


 とん、とん、と背中を叩きながら、尋ねる。すると、柚希は私の腕の中で、首を横に振った。それに心底安堵して、「内緒話をしましょう」と囁く。


「柚希、私はね、本当は、あやかしが嫌いだったんです」


 柚希の体が、びくりと震えた。それを感じ取って、私はあわてて言葉を続けた。


「あ、でも、柚希のことは、好きです。言葉が足りませんでしたね……あのね、私の『最初の育ての親』がいたって話、覚えていますか?」


 尋ねると、今度は首を縦に振る。素直なその挙動に、私はふふ、と笑みをこぼしてしまった。


「あれね、実は……あやかしだったんです。多分、人間の子供にちょっとした好奇心を持って、少しの間育てて。でも興味を失ったから、捨てたんだと思います。ふふ、勝手でしょう? 綾部の家の人たちは、あやかしものにも優しいから。だから、丁度良いと思って綾部の家に、勝手に置き去りにしたんです」


 腕の中で、柚希の頭がぐいぐい動くので、解放してやる。体を離すと、驚いた表情の柚希が、こちらを見つめていた。


「お前、人間とあやかしに、一回ずつ捨てられたのか」


 私は柚希の言葉に、微笑んで頷いた。


「そうなんです。……でも、生みの親は、覚えていないからかな。それとも、私をこの年まで育ててくれたのは、結局人間の綾部家の人たちだからなのかな。人間のことは、別に恨んではいないんです。けど」

「……あやかしの方の親は、うらんでるのか」


 私は黙って頷いた。


「ぼんやりとだけど、覚えているんです。優しく私の頭を撫でてくれたのとか。私を『雛』って呼ぶ時に、優しく笑ってくれていたのとか。……だからこそ、許せなかったんです。あんなに、あんなに私を、好きにさせておいて。ずっと一緒だなんて、指切りをしておいて。あのひとは、私を置いて行ってしまった。あのあやかしは、私を裏切って捨てて行った」


 思い出す。熱に浮かされながらやって来たこの綾部の家で、最後にあのひとは、私の頭を撫でて、消えてしまった。目を覚ました私に、澄子さんは言ったのだ。今日からあなたは、うちの子よ、と。


「だからずっと、あやかしはそういう生き物だと思っていたんです。どんなに近しくしても、優しくしても、本心なんかどこにもなくて。繋いだ絆を一瞬でなかったことにしてしまう、薄情な生き物なんだって。だから、この綾部家にいても、ずっと住民のあやかしたちを、避けていたんです」


 柚希は、真剣な目をして、私の話をただじっと聞いていた。ちょっと前まで、錯乱していたとは思えないその様子からは、彼の誠実な人柄が透けて見えるようだった。


「でも、柚希と出会って、それが間違いだったんだって、気が付きました」


 柚希のあの、アイスブルーが、私を曝け出そうとする。私はもう、それから逃げる気はなかった。


「私を裏切ったのは、あのあやかしで。それは、あやかし全体とは、関係ないんです。いろいろな人がいるみたいに、色々なあやかしがいるんだって。そんな当たり前のことに、私全然気が付いていなかったんです。……柚希は、どうですか」


 そっと柚希の手を取る。いつかみたいに、震えたりは、もうしていなかった。


「柚希は、人間全部が嫌いですか? 私は人間ですけど、私の事も、嫌いですか?」

「お前は、ちがう。特別だから、他の人間とは、ちがう」

「何も違いませんよ。……じゃあ、澄子さんは?」

「澄子もちがう。だって、あいつは変なやつだ」

「ふふ。変って……。まあ、少しは変わっているかもしれませんけど。例えばあの人は、あやかしが好きですしね」

「そうだ、変だから、特別だ」


 多分、この言い方では伝わらないだろう。私はそう判断して、質問を変えることにした。


「……じゃあ、柚希は誰が憎いですか?」

「人間だ」


 間髪入れずに、柚希が答える。


「本当に? 例えば、柚希の好きな、柚子を育てている人にも、死んでほしいですか? 柚希の読んでいる、本を書いている人にも? 花の世話をしてくれている人たちにも?」


 私が矢継ぎ早に質問をすると、今度は言葉に詰まったようだ。


 難しい顔をして、考え込んでいる。


「……柚希、柚希には、憎い人間がいるだけなんじゃないですか? 私と同じく、憎い人が、たまた自分とは違う種族……人間だった。だから、その全部が悪いと思ってしまっているのではありませんか?」


 私の言葉に、柚希は固く口を結んだ。より深く考えようとして、口に力が入ってしまっているようだった。


 やっぱり、素直なひとだ、と思った。私の話なんて、屁理屈だと言われてしまえば、それまでなのに。彼は、どこまでも真摯に考えようとしてくれている。


「……柚希、貴方に何があったのか、私たちに教えていただけませんか。それで、皆でこれからどうすべきか、考えましょう。だって、私たちは同じ釜の飯を食べた、仲間じゃないですか」


 考え込んでいたはずの柚希が、その瞬間、ぱっと顔を上げた。


「その言葉の意味、俺ちゃんと知ってるぞ! えっと……特別仲が良いってことだ!」


 キラキラとした目の柚希が、誇らしげに胸を張るのを見て、私はあっけに取られたあと、笑った。


「ええ、全くその通りです!」

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