第28話 憎しみと抱擁
「柚希ちゃん、目を覚ましたみたいよ」
そう侑李さんが教えてくれたのは、翌日の昼間になってからの事だった。
侑李さんと太郎さんの強い勧めにより、その日は大学の講義を自主休校して、自室で休養していた。
侑李さんのお知らせを聞いて、私は慌てて部屋から出ようとした。
けれど、すれ違いざまに腕を掴まれて、それは叶わなかった。
不思議に思った私は、振り返って侑李さんの顔を見つめる。彼は、大げさなほどに眉を下げていた。
「ちょっと待って、雛ちゃん。……本当に、大丈夫なのね?」
心配そうな表情の侑李さんに顔を覗き込まれて、私は思わず笑ってしまった。
侑李さん、昨日から何度も同じことを聞いてくる。
その目が、私の首元に向いていることも、気が付いていた。
自分でも、鏡で確認してみたのだが、首に絞められた時の痕が、かなりしっかりと残っていた。恐らく、私の精神的な部分や、体調面を心配してくれているのだろう。
「大丈夫です。勿論、気にしていない訳じゃないですけど……。私、これから死ぬのかなって時、柚希と過ごした時間が楽しかったことを、思い出していたんです。それって、その記憶が私にとって、凄く大事だったからだと思うんです。だから……だから、柚希と一緒に過ごした時間は、無かったことには出来ないって。そう思うんです」
「……その時間の全てが、嘘だったとは、思わないの?」
侑李さんの不安そうな顔を前に、私は、あはは、と声を上げて笑う。
なんだか、いつもと逆みたいだ。
いつもなら、私がネガティブなものの考え方をして、侑李さんが前向きなものの見方を示してくれているのに、今日に限っては、それがまんま入れ替わってしまっている。それがなんだか無性におかしかった。
「柚希が嘘なんて、吐けるわけないじゃないですか!」
すんなり口から出てきた言葉に、侑李さんは目をまん丸くさせた。それから、私と同じように声を出して笑った。
「そりゃそうよ。違いないわ! あーんな素直な子、私他に見たことないもの!」
そのまま二人で暫く笑いあう。それが終わると、侑李さんは笑顔のまま、行ってらっしゃいと背中を押してくれた。
お礼を言って部屋を出る。そうして、すぐ隣の柚希の部屋に、私は声をかけるのだった。
「雛です。入ってもいいですか?」
返事はすぐだった。
「入ってもいいそうですよ」
太郎さんの声だ。柚希を見ていてくれたのだろう。
私は返事をしてから襖を開いた。まず目に入ったのは、柚希が寝ている布団の傍らに座る、太郎さんの姿だ。
そして……陽の光を反射する、柚希の髪と、あのアイスブルーの瞳が目に入った。その瞬間、私は自然と良かった、と思っていた。
良かった……柚希を連れ戻せて、良かった。
気持ちが昂るままに、笑顔を浮かべて、私は太郎さんの横に腰を下ろす。それとすれ違うように、太郎さんが立ち上がった。
「それでは、自分は部屋の前に控えておりますので、何かあったら呼んでください」
恐らく、気を遣ってくれたのだろう。私は、座ったままに太郎さんに頭を下げる。
応じるように、太郎さんはぺこりとお辞儀をして、部屋から出て行った。
「柚希……」
「俺がやったのか?」
改めて柚希と向き合って。いざ体調はどうかと尋ねようとした瞬間、押し黙っていた柚希が口を開いた。
何を問われたのか咄嗟に理解できずに戸惑ったが、彼の視線が私の首元に向いていることに気が付いて、質問の意図を悟った。さっと首を手で隠しながら、苦笑する。
「柚希がやったわけではないですよ。そうでしょう?」
当然の台詞だ、と思って微笑みかける。しかし、柚希は首を縦に振ってはくれなかった。自分の両手を見下ろしながら、柚希はぽつりと呟いた。
「夢を見たんだ」
「え?」
「この手で、誰かの首を絞めた感触が、まだ残ってる。俺は、首を絞められたら苦しいって、知ってる。それなのに、俺は誰かの首を絞めた」
「柚希……でも、柚希がやったことでは……」
震える柚希を落ち着かせようと、肩に手を置いて宥めようとする。
けれど、柚希はいやいやするみたいに激しく体をねじって、触れさせてはくれなかった。
「俺、俺が、俺のせいで……! 可哀想に、痛いのに、苦しいのに! お前は、お前は、俺に花の話をしてくれたのに、お前は、俺と一緒に飯を食ってくれたのに! 人間が、人間が悪いんだ! 人間がいつも俺たちを苦しめる!」
柚希は、錯乱状態にいるらしかった。私を呼び、私の為に悲しんでいながら、彼は人間に対して呪詛を吐き始めた。
「人間が何もかも悪いんだ! アイツらさえいなければ、俺は虚白と一緒に静かに暮らしていられた! それなのに、それなのに、俺が犬神だからとゴミのように扱われて! 俺は一人で逃げてきた! ……憎い! 憎い! 人間はどうして俺たちをわざわざ苦しませる! どうして、どうして!」
咆哮する柚希は、頭を抱えてどんどん小さくなっていった。それは、怒っているというより、やはり怯えているように見えた。私は、ちぐはぐになる彼の言葉に、自分の姿を重ねた。
柚希は、私だ。あやかしという生き物と、個人を切り離せずにもがく、私だ。私があやかしを一括りにしてしまったように、柚希も人間を一括りにしてしまっているのだ。
そう思うと、私は小さくなってしまった柚希を、どうにかして助けてあげたい気持ちになった。その衝動に従って、私は小さくなって震えている柚希を、ぎゅうっと抱きしめた。




