第25話 行方
「信じられないんだけど。キミ、あの犬っころにちゃんと教育しなよ」
冴え冴えとした眼差しのいつきさんを前にして、私は正座をしてうなだれていた。
柚希を交えての食事のあと、居間から出ようとした肩を後ろから掴まれ、「後で顔貸しなよ」と呼び出しを食らった私は、いつきさんと二人で強制的に反省会を行わされていた。
「澄子はおひとよしだから、何も言わなかったけど。助けてもらった分際で何様のつもりなんだよ」
「でもあの、柚希も傷付いていて……」
「いつどこで何があってどう傷付いたって?」
「それは、あの……わかりません」
「そう。何もわからないよね。それなのに同情する気なんて、僕は起こらないな。それに、傷付いていたら自分の恩人に尊大な態度を取って良いって法律でもあったっけ? 僕の記憶にはないんだけど」
今日もいつきさんは絶好調である。
マシンガンのように放たれる刺々しい言葉たちに、私はうなだれながら、「ありません」と返事をする。
「そうだよね。それもこれも、キミがちんたらと時間をかけるだけかけて、話を聞きださないからじゃないか。いい加減、さっさとしなよ」
「ですが、澄子さんも時間をかけるべきだって言っていましたし……」
「はあ~? 澄子を言い訳にしようって言うの? キミ、もう充分ヤツの懐に入っているだろう。名づけを許しているのがその証拠だ。それなのに、いつまでも情報を聞き出さずにいるのは、キミの怠慢以外の何物でもないよ」
「はい……」
まったく、と息を吐き出すいつきさんは、目に見えて苛立っていた。いつきさんは、澄子さんの敵になり得る相手に、容赦がないのだ。
……私に対して厳しいのも、信頼されていない証……。勿論、あやかしを避けてきた、私が悪いんだけど。
「……ああ、それとも、また捨てられそうで怖いの? キミ、親しい友人すらも作ってこようとしなかったものね? 誰かと親しくなっても、裏切られたらと思うと怖いんだ? ましてや、あの犬っころはあやかしだものね」
痛いところをつかれた。
喉の奥がぐっと鳴って、言葉が詰まる。
「……そういうことでは……」
「じゃあ、何だって言うわけ? 言っておくけど、僕は堪忍袋の緒が切れたよ。キミがズルズルと問題を先送りしようとするのならば、僕が無理矢理あの犬の心を引き出すから」
「やめてください!」
存外、大きな声が出た。いつきさんは、私の大声に対して、面白そうに眉をあげる。
「なら、早く聞き出しなよ。僕の我慢が効くうちにね」
冗談めいた声音だったけれど、いつきさんの目は、どこまでも真剣だった。
聞き出さなければならない。聞き出さなければ。そうでなければ、いつきさんは柚希の心の傷ごと抉り出そうとするだろう。
それならば、私が穏便に済ませたほうが、良いに決まっているのだ。
そう思って、既に三日が過ぎていた。自分でも、臆病な性質であることは理解していたけれど、まさかここまでだとは。
私は、柚希の部屋の前で、ひたすらに深呼吸を繰り返していた。
今日こそ、話を切り出そう。今日こそは。
……そう、毎回思ってはいるのだけれど、結果は惨敗。柚希の顔を見る度に、初めて見た時の、あの痩せこけた顔を重ねてしまって、言葉が喉に張り付いてしまうのだ。
けれど、そろそろ本当に話をしなければ不味いことは、よくわかっていた。いつきさんは、それほど気の長い方ではないのだ。
よし、と気合を入れて、襖に手をかける。入りますと声をかけて、返事を待たずに開いた。
……いない。
部屋の中には、柚希の姿がなかった。最近は、家の中を歩き回れるくらいに回復したらしいので、どこかに行っているのかもしれない。
居間で夕食を摂り始めてから、澄子さんにも懐きつつあるし、台所にでも行ったのかな。
そう思って、台所に足を向ける。
しかし、台所には、澄子さんの姿も、柚希の姿もなかった。居間に戻って、侑李さんに姿を見ていないか尋ねると、見ていないと返ってきた。
澄子さんも、買い物に行っているみたいだし、探すのが大変かもしれない。何せ、民宿だけあって、我が家は部屋の数が多いのだ。
しかし、家じゅうを探し回っても、柚希はどこにもいなかった。
いない。家のどこにも、柚希がいない。そのことに気づいた私は、さあっと血の気が引くのを感じた。急に地面がぐにゃぐにゃになってしまったように感じて、ふらつく。
そんな、だって。回復してきているとは言っても、まだ怪我は完治していないのに。
柚希は一度も、帰りたいとか、帰らなきゃいけないなんて言葉は、口にしなかった。
それはつまり、帰れる場所も、帰るべき場所も、彼には無いのだということを示しているのだと思っていた。
それなのに、何でこんな……。何も言わずに急に、柚希はいなくなってしまったのだろうか。
私のせいだ……!
直ぐにそう思った。きっと、私が柚希から話を聞き出そうとしているのを感じ取って、怯えさせてしまったのだ。そうに違いない。
そう思うと、いてもたってもいられない気持ちになって、私は家を飛び出した。彼を、探さなければならないと思ったのだ。
周囲を見回しながら全力で走る私を、すれ違う人たちが怪訝そうな顔をしてみていた。
いつもならば、気になったであろうその視線が、今の私には気にならなかった。というより、気にしている余裕がなかったのだ。
「あの、白髪の、青年を見ませんでしたか。髪が腰くらいまである……!」
道行く人を呼び止めて、尋ねてみる。迷惑そうに顔を顰められ、首を横に振られるばかりで、肝心な目撃情報は全くと言っていいほど集まらなかった。
心臓がドクドクと鳴っている。キィン、と耳鳴りがした。
どうしよう、このまま見つからなかったら……。
不安に思う一方で、それでいいのではないか、と囁く自分もいた。
これ以上、柚希が家にいたら、私はきっと彼に心を許してしまう。心の内側に、すっかり迎え入れてしまう。それは恐ろしいことだ。ましてや彼は、あやかしなのだから。
探さない方がいい。彼を家に連れ戻すべきではない。
臆病な自分が、心の中でそう呟く。そうだ。その通りだ。それなのに……!
それなのに私は、足を止めることができなかった。目に涙を浮かべて、息切れをして、人々に奇異の目を向けられながら、それでも柚希を探すことがやめられなかったのだ。
「柚希……! どこなの、柚希……!」
人の多い駅前をぐるりと見て回ってから、私はふと気が付いた。
そうだ、柚希は人間が嫌いだったのだ。ならばこんな、人間が多い通りにいるはずがない。人目に付かずに、居場所のないひとが、ひっそりと息を潜められそうな場所……。尚且つ、怪我人の柚希が、向かえそうな距離の場所……。
「うちの、山!」
ぱっと閃いた。灯台下暗しとは、このことである。




