第23話 一緒だ
柚希さん、と呼ぶと、青年は不思議そうに首を傾げた。
けれど、柚希、と呼ぶと、耳をピンと立てたので、私は気付けば彼を柚希と呼び捨てで呼ぶようになっていた。
「柚希、見てください。桔梗が咲いていたんです。上品で愛らしい花でしょう? ふふ、貴方に見せたくて、少しだけ摘んできてしまいました」
小さな花瓶に桔梗を挿して、布団からでも見える位置を探す。窓辺がよさそうだと判断して置くと、部屋の中が明るくなったように感じる。満足して一人でうんうん頷いてしまった。
「あ、そうだ。昨日、柚子シャーベットを作らせていただいたんです」
「しゃーべっと……氷菓子だ!」
「はい。今日の夕飯の後に出しますから、楽しみにしていてください」
ふん、ふんと鼻を鳴らして胸を張る柚希に、微笑んで首肯する。
近頃、柚希は、本を読みたがるようになった。
私が話題に出す花のことや、食べ物のこと。様々な物事に対して、自分の知識が乏しいと感じたみたいだ。
ある日突然、本が読みたいと言い出すようになった。
それに応えて、いくつか本を見繕うと、そこからどんどんと情報を吸収しているようだ。
今みたいに、勉強の成果を発揮できると、瞳を輝かせるのが、最近の常だった。
柚希の傷は、大分癒えてきたらしい。特に何か治療を施したわけでもないのに、回復をしているのだから、あやかしの回復力には驚愕せざるを得ない。
「……柚希。あの……そろそろ、一階の居間で夕飯を食べませんか?」
私は一大決心をして、柚希にそう提案をした。度胸が足りなくて、顔を見ることは出来なかったのだけれど。
返事がなくて、私の鼓動の音だけが耳に届く。
沈黙に耐えかねて顔を上げると、柚希は今までに見たことがないような、無表情をしていた。
「あ……柚希、その」
「俺はこの家に世話になっている。だから、来いと言われれば、俺は行く」
感情を感じさせない平坦な声に、私は慌てて首を横に振った。
「いえ、そんな! 強制させようというつもりは毛頭ないのです。ただ、私、私も……この家にお世話になっている身なので……。この家の人が、恐ろしい人ではないのだと、貴方にも知って欲しいのです」
柚希は、耳をピクリとさせた。
「お前も?」
どうやら柚希が気になったのは、その部分らしい。私は少しためらってから、頷いて口を開いた。
「はい……私は、ここの家の人の、本当の子供ではありません。生みの親のことは、知りません。その後の育ての親のことも、朧気にしか覚えていません」
「……? なんだか変な言い回しをするな。生みの親から次いでお前を育てたのが、ここの家の人間だという話だろ? だとしたら、その後の育ての親のことも覚えていないというのは、妙な言い方だ」
薄々感づいてはいたのだが、柚希は賢い子みたいだ。
私の微妙な言い回しに、すぐに気が付いて指摘されてしまった。
私は、ゆっくりと首を横に振る。
「いいえ。その間にもうひとり……五つになるまで、私を育ててくれていた存在が、他にいました。所謂育ての親というやつです。……最初の。ですが、そのひとにも、私は捨てられました。……私は、二度捨てられた子供だったんです」
こんな話をすべきだったのか、わからない。というか、他人のこの話を聞かせたのは、初めてのことだった。
どんな風に思われるのか、全く想像がつかなかった。綾部家の人と、血が繋がっていないことは、近隣の住民たちには知れ渡っているし、私も特に隠してはいない。
けれど、自分が二度も捨てられた人間だということを教えたのは、これが初めてだ。
憐れまれるんだろうか、それとも……蔑まれる?
自分が、誰にとっても価値のない人間であることを、明かしてしまったのだ。それも仕方のないことかもしれない。
けれど、これによって、綾部の人々が、素晴らしい人たちなのだと、柚希にわかってもらえるのなら、それでいいと思った。
「そうか、お前も捨てられたのか。俺もだ」
私の考えに反して、柚希は、サラリとそう言った。
「えっ?」
「俺も、生まれてすぐに、捨てられた。祓い屋の家門に拾われたけど、その前の記憶はない」
「……私に話して、良かったんですか?」
今まで、柚希は頑なに自分の話をしようとはしなかった。
それなのに、どうして急に話してくれる気になったのだろうか。気になって、柚希の様子を窺う。柚希は、自分を指さして、それから私を指さして、言った。
「一緒だ」
……もしかして、私を励まそうとしてくれたのだろうか。この話で、私が落ち込んだと思って……。
私は、柚希の優しさに、泣きたいような気持ちになった。喉がぐっと詰まって、目頭が熱くなる。けれど、ここで泣き出してしまっては、柚希を困らせてしまう。
私は、下がりかけた口角を無理やりあげて、「ありがとうございます」と口にした。
「……二度も捨てられてような、何の価値もない人間を、拾い上げてここまで育ててくださったのが、この綾部家の方々です。ここに住まうあやかしの方々も、綾部家の人々に何かしらの恩があって、ここにいるのです。……そういう人たちなんです」
柚希の瞳を、じっと見つめる。私の真剣な気持ちが伝わったのか、柚希も私から目を逸らすことはなかった。
それは、数十秒、いや数分間続いた。……体感だから、本当はもっと短い時間だったかもしれない。
「……わかった」
やがて、柚希は了承の意を示し、彼が綾部家に来て初めての、居間での食事が決定したのだった。




